犬猿と敬遠と喧嘩と喧騒

四人で登校する際の待ち合わせ場所にしている近所の公園。すでに集まっていた・アントーニョ・ギルベルトのもとに、珍しく遅れてやってきたフランシスは、いつもの調子で呑気な挨拶を叫んだ。


「おっはよー遅くなってごめ〜ん!」


悪びれる様子もないその態度に、三十分前から来ていたギルベルトが黙っているはずがなく。説教の一つでもするつもりで立ち上がると、今まさに入口からこちらに向かってきているフランシスの方を振り返り――――


「いやあまさかアントーニョより遅くなるなんてね」
「…………おい、どうしたんだよ、お前、それ……」


怒鳴る気満々だったギルベルトの表情は、フランシスの姿を見るなり動揺の色に染まり、口からは自身も想像していなかったであろう言葉が飛び出した。


「フランシス……?なに、どうしたの、なにこれ……?」
「来る途中になんかあったんか!?そんで遅くなったんか!?」


とアントーニョも、ギルベルトと同様の反応をしてフランシスに駆け寄る。
三人が焦るのも無理はなかった。
右手には包帯、左腕には多数の絆創膏が張られており、頬にはガーゼ。と、今までに見たことがないくらい痛々しい格好をしたフランシスが、目の前にいたからだ。


「……実は昨日、帰り道でお前らと別れたあと他校の奴に絡まれてね」
「どこの奴だ!?人数は!?」
「一人。学校は……俺たちの所とは少し離れた場所にある……ほら、あそこ」
「――――ああ、あっこかいな」
「カツアゲとかされなかった?」
「うん。取られた物は何もないよ。普通に喧嘩売られただけ」
「喧嘩売られただけって……フランシスは何も恨まれるようなことはしてないんでしょ?」
「……いや。俺も変に挑発とかしちゃってさ……。そしたらこのザマだよ。自業自得」


肩を竦めて苦笑するフランシス。
あまりの予想外の展開に、三人は遅れて来たことについて怒る気力さえ失ってしまう。


「……あっこの学校は、あんまええ噂聞かんよなあ」
「良いどころか悪い噂しか聞いたことねえよ」
「やっぱり荒れてるんだね、あそこ。もしかして流れてる噂全部が本当だったりすんのかな……」
「? うわさ?」


フランシス・アントーニョ・ギルベルトが口々に言う『噂』がただ一人分からないは、話題について行けず、首を傾げる。


「あれ?知らんのん?」
「うん……」
「まあ、俺たちもクラスの男連中から聞いた情報だけで語ってるからな」
「どんな噂が立ってるの?」
「それがな……」


呆れたように、はあ、と溜息を零すとフランシスは気だるげに語りだす。


「三年の一人に学校にいる不良全員を仕切ってる奴がいるとか、そいつでさえ手のつけられない奴が二年にいるとか、改造エアガンを持ち込んで登校してくる奴がいるとか、三年の教室に度々侵入して授業妨害する奴がいるとか、今年入ってきた一年でさえ喧嘩慣れした強い奴がいるとか」


とにかくロクな噂がないんだよ。
と、フランシスは表情を曇らせる。
この他にも、周辺校との抗争があったり、生徒が喧嘩で大きな怪我をして入院したり、仲裁役の教師が被害に遭ったりもしているという。
だが一方で、万引きや引ったくり、一般人に対しての暴力などといった噂はほとんどないらしい。
そんな妙な線引きができているその学校の生徒の一人は――――


「今回、俺に絡んできた奴……学校にいる不良全員を仕切ってる三年でさえ手のつけられない二年……実は、そいつとはちょっとした縁があってな……」
「「「……は?」」」


フランシスの衝撃の告白に、・アントーニョ・ギルベルト三人の声がハモる。
悪い噂しか聞かない不良校に、なぜフランシスの知り合いが?
しかもその人物は、先ほどフランシスの口から挙がった噂の一つの張本人。
おまけに、昨日喧嘩を売ってきた生徒でもあると。

知らされた事実が瞬時に飲み込めず、三人を代表してギルベルトが視線で話の続きを促す。


「……中学の頃にちょっとね。以来、望んでもないのにそいつとはちょくちょく顔合わせるようになっちゃってさ。そんで今まで関係が続いて変な腐れ縁みたいになってるんだよ。でもまあ、根本的に合わなかったからあいつと一緒に行動するなんてことはなかったけど。あいつ昔っから喧嘩っ早くてさ、俺が穏便に済ませようとしてることを力で解決したりするし……。昨日は久しぶりに会って喧嘩売られて、思わず俺も応戦しちゃったよ。……心配かけてごめん。本当に」


後半になるにつれ声の音量が下がり、やがて謝罪と共にフランシスは頭を下げた。
普段の彼からは考えられないその態度に、たちも面食らう。


「…あ、あんまりハラハラさせんなよな」
「付き合いが長いゆうても人間関係全部把握してるわけやないしな」
「確かに、今回みたいなことはちょっとびっくりするね」
「……ごめん」
「いいよ」
「あんま変なことに首突っ込んだりしなや」
「ん。ありがと」


「――――でよ、」
「ん?」
「お前、そいつと中学から知り合ってんなら、名前も勿論知ってるんだろ?」
「うん?」
「お前とそいつの事情にどうこう言う気はねーけどさ。せめてそれだけは教えてくれねえか?」
「……え」
「できたらでいい」
「…………」


これだけ心配をかけたのだ。
別に、仇を討ちに行くだとか殴りこみに行くだとかそんな宣言はしていないのだから――――いいだろう。
時間にして悩むこと約十秒。
一度ギルベルトから視線を外したフランシスは、どこか忌々しげに当の名前を呟いたのだった。




「……アーサー・カークランド」






***








一日の授業終了のチャイムが鳴る頃。



「昨日よりも明らかに増えてるじゃないか」



前方に見える集団を目に捉えながら、呆れの混じった言葉を吐き出す。
数にしておよそ二十人くらいだろうか。
横一列に広がったその大衆は、辺りに禍々しい空気を撒き散らしながらこちらへ迫って来る。


「君が余計な皮肉飛ばしたりするからだよ。せっかく決着が付きかけてたのにさあ」
「黙れ。倒れたらハンバーガー奢らねえからな」


対して、その集団の前に立ちはだかるのは――――たった二人。
噂を知らない人間から見れば、無謀としかとれない人数だ。
緊張感に包まれた空気の中でも、いつも通りに会話を交わす光景からは余裕が窺えるが、それにしても差が大きすぎる。
しかし物怖じ一つしない二人は、堂々と相手を睨め付けると一歩また一歩と歩を進め、戦闘態勢を整える。



――――今から始まるのは言うまでもない。

喧嘩。
抗争。
乱闘。

どれを選んでも聞こえは良くないが――――



「あんな皮肉飛ばされたくらいでこれだけの人数連れてくるのか。――――ご苦労なこったな」


二人のうち一人が前へ歩み出て開口一番、早々に嫌味をぶつける。それを受け取った集団のリーダーと見られる相手は、額に青筋を浮かべながら低い声で応答する。


「……ああ?」
「何人引き連れてこようが同じだって言ってんだよ。これに懲りたら二度と俺達の前に現れんじゃね――――――」




パシン。




完全に不意をつく形で。
スピードをつけて振り上げられた相手の拳は、喋っている男の顔面に命中したと思われた。
しかし。



「……おい」



前振りなく放たれたその一撃を、男は当然のように受け止めていた。
無論、掌で。


「喧嘩にルールなんてモンはねえけどな……話の一つくらい、最後まで」


冷静だった先刻までとは打って変わって怒気を含んだ声で言う。
拳を掴んだ手の力がだんだんと強くなっていき、そのまま握り潰してしまうのではないかというところまできた時。
突然一気に力が抜け――――たかと思いきや。


「――聴け!!」


今度は男が拳を作りあげると、相手に向かって容赦なく殴りかかった。
そして。
形相までをも鬼のように一変させると、そのまま数十人といる敵の中に突進するかの如く勢いで身を投じる。
いきり立つ群衆と、一人突っ込んでいく男。
――――事実上の、火蓋が切られた瞬間であった。



「まったく……誰の皮肉のおかげで喧嘩が増えてると思ってるんだい、――アーサー」



本人には聞こえていないであろう愚痴を零すと、男――――アーサーに続き、控えていたもう一人、アルフレッドもかけていた眼鏡を投げ捨てて加勢に入る。
こうして。
結構な規模の争いは、二十対二という有利不利が目に見えて分かる状態で開始された。
両者とも手加減無しの喧嘩は、どちらかが全滅するまで終わらない。
反則や決まりといったものはない。
それこそ、競技でもスポーツでも、なんでもないのだから。





***







「思ったより近かったやん」


アーサーとアルフレッドが戦闘を始めて大分経った頃。
・フランシス・アントーニョ・ギルベルトの四人は、上記二人の通う悪名高き学校へとやってきていた。


「ほんっとうに一目見たら帰るからね!」
「おう。ところでそのアーサーって奴はどこにいんだよ」
「あいつ帰宅部だから校門辺りで待ってたら来るよ。すでに帰ってなければだけど」
「……なんかすごく不安なんだけど」


いつぞやのアントーニョを彷彿とさせるノープランぶり。だが、こうやって直接学校を訪れる他に計画の立てようがなかったのだ。
『アーサー・カークランドって奴に会ってみてえ』というギルベルトの好奇心がきっかけで、それにとアントーニョも便乗。会うだけ会ってみることになったのはいいのだが――――想定外なことに、当のフランシスがアーサーの家の住所も電話番号も何も知らなかったのだ。 中学の時から付き合いがあって、なぜ一つも情報を持ってないのかと、当然たちは突っ込みを入れた。
が、これに対しフランシスは『別にあいつとは親しいわけじゃないからね』と納得できるといえば納得できる至極単純な理由を述べた。



「―――しっかし、案外まともだな」



帰宅部らしき生徒がちらほら学校から出てくるのを眺めながら、ギルベルトが呟いた。


「お前はどういうのを想像してたわけ?」
「そりゃ、あんだけ物騒な噂があちこちで流れてんだからよ。教室の窓ガラスは全部割られてて、壁には一面落書きがあって、いかにもって感じの奴らが闊歩してる――――そんな風景を予想してたんだが」
「どんな無法地帯やねん、それ……」
「漫画の中でもそこまで荒んでるのはあんまり見ないよ……」


アントーニョとが苦笑いしつつギルベルトの持つ不良校のイメージを否定する。
確かに、悪い話をたくさん耳にするせいで、そういったイメージは抱きがちだ。どんなヤンキー集団が集まってるのかと、三人も最初はドキドキしたものの――――しかし実際目にしてみると、いい意味で予想とは違っていた。

校舎自体は普通の学校と変わりなく綺麗で、目立つ風貌をした生徒も見受けられない。
拍子抜けしたとは正にこのような時に使うのだろう。
それほど、思い描いていたものとは遠くかけ離れていた。




「…………こないね」




四人で雑談してるあいだも。
門を抜ける生徒一人一人に目線をやっているが、アーサー・カークランドの姿は一向に探しだせないまま、何もせずに十数分が過ぎた。

すでに帰ってしまった後なんじゃないか?
このまま待ってて来る見込みはあるのか?
ずっとこんな所にいたらさすがに怪しまれるんじゃないか?
そんな視線を三人が同じタイミングでフランシスに向ける。


「……あー……えっと……」


自分自身もどうしていいか分からないフランシスは、言葉を濁らせながらぽりぽりと頭を掻く。
――――今日は帰ろうか。
仕方ない。と諦めの色を滲ませ、彼が口を開きかけた、丁度そのときだ。




「君たち、こんなところでなにしてるのかな?」




フランシスよりも一足先に声を発した者がいた。
背後に気配を感じた四人が振り向くとそこには――――――


「その怪我……もしかしてうちのにやられた?普通ならその腹いせにやってきたって見るけど、そんな雰囲気じゃないね。――――なに、してるの?」


喋り方と服装からして、恐らくここの生徒だろう。
幼児に話しかけるような穏やかな口調と、柔和な笑顔。180以上はあると思しき長身に、少々ふっくらとした体形。
といっても太ってるわけではなく、ただ単に体質として骨が太いだけのようで、その証拠に顔は余分な肉をつけていない。
まだ夏の暑さが残るこの時期になぜか首にはマフラーが巻かれており、他が至ってノーマルなだけにその点が唯一奇異に映る。


「私たち、人を待ってるんです」
「人?」
「ああ。アーサー・カークランドっつんだけどよ、お前知り合いだったりしねえか?もしそうなら……まだいるなら連れて来て欲しいんだけど」
「…………」


アーサー・カークランド。
その名前を聞いた瞬間、長身の男子生徒の表情が僅かに強張った。
しかしほんの一秒にも満たない変化だったので、たちがそれに気づくことはなく。


「一応ゆうとくけど、喧嘩売りにきたとかやないから。確かにこいつの怪我はあいつのせいやけど、その件は二人の間ですでに片付いとおみたいやしな。俺らはただ、会いに来ただけや」
「会ってなにするの?」
「一目見るだけ。……なんにしろ騒ぎとか起こすつもりはないから、安心して」
「……そう。わかった」
「あーそれで二回目だけど、お前あいつと顔見知りなら……」
「でもごめん。アーサー君もうとっくに学校出ちゃってるんだよね」


申し訳なさそうに、けれどさらりと事実を告げる男子生徒に、四人は思わず間を置いてからの反応をしてしまう。


「……え、本当ですか?」
「うん。最後の授業の時間にはすでに抜けてたみたい。僕は見てないんだけど、アーサー君と同じクラスのトーリスが教えてくれたから確かだと思うよ」
「そんな早くからいねえのかよ!」
「なんやねん……。結局無駄足かいな」


ここまで足を延ばした体力と今まで待っていた時間が全て無駄になってしまった。
大げさに肩を落とすアントーニョの傍で、フランシスは真面目な顔をして男子生徒に尋ねる。


「行き先とかは分かるか?」
「いや、そこまでは」
「……だよな」
「念のためきくけど、君はアーサー君に対して恨みとか持ってたりは?怪我の具合からして、結構派手にやられたんじゃないの?」
「ん?あーそうだな、生意気だとは思ってる。でも恨みとかそんな大げさなもんは」
「へえ。……ふうん……そっか。なら、大丈夫だね」
「? なんだよ、一体――――」





「お前らそんなとこに溜まって何やってんだよ」





男子生徒の意図が掴めず、フランシスが聞き返そうとした時だ。
またもや、それを妨害する者が現れた。
声のした方へ五人がゆっくりと視線を動かす。
するとそこには――――



まだ乾ききってない鮮血と、生傷をあちこちにつくった男が二人、立っていた。



「…………え」
「…………ああ?」


互いの顔を確認するなり目を丸くするフランシスと、不機嫌そうに眉間に皺を寄せる割り込みの犯人。
数秒間見詰め合ったあと、目の前にいる人物を認識すると、二人は同時に目くじらを立てた。


「テメエなんでこんなとこにいんだよ!」
「お前こそなんで戻ってきたんだよ!授業すっぽかして出て行ったんだろ、聞いたぞ!こっちとしては都合がいいけど!――――じゃなくて!お前その格好……またやってたのか?」
「俺が何してようと勝手だろ!つーかいちいちこんな所にまで来て何の用だよ、説教ならウゼェからやめろよ!」
「今更お前に説教するつもりなんてねえよ!……っああもう!学習しないやつだな!何回そんなことしたら気が済むんだよ!」
「ああ?もう一回言ってみろ!」


「……」
「……」
「……」


激しい言い争いを前に、・アントーニョ・ギルベルトの三人は口を挿むことすらできない。
いつもは穏やかなフランシスのいきなりの激昂に、戸惑ってるのが今の正直な感想だ。
空気の読めないアントーニョでさえも、見慣れない幼なじみの態度に驚きを隠せないのか、話しかけることもできないでいる。
そんな中、ずっと微笑みを絶やさなかったマフラーの男子生徒が、相変わらずの優しい声色で二人に語りかける。


「―――― 一応ここさ、学校の前だから。そんな大声で口喧嘩されちゃうと、ほら、変な目で見られちゃうからさ。分かるでしょ?僕の言ってること。分かる、よね?」


静かな口調でありながら、どこか重さを感じる喋りかた。
実際纏ってる雰囲気は、無言で相手を抑え付けられそうなくらいの威圧感を持っていた。



「……悪い」
「……チッ」



素直に自分の言動を振り返って反省するフランシスと。
ガラの悪さを隠しもしない男と。
対照的でありながら似たような空気を持った二人は、フンと鼻をならすと、背中を向け合って腕組みをする。


落ち着きを取り戻した現場には、しかし沈黙はやってこない。
傷を負ったもう一人の男、眼鏡と(本人から見て)右にぴょこんと生えた跳ねた髪の毛が特徴的なその少年は、はあと大きなため息をつくと、学校の敷地内に足を踏み入れた。


「俺、鞄取ってくるよ。君はそこで待っててくれないかい」
「お前が鞄忘れたりしなけりゃ、この変態とも会ってなかったんだがな」
「しょうがないじゃないか。誰にだってうっかりはあるんだぞ。それに、ハンバーガーを奢ってもらう約束をしたから、君だけ先に帰ってもらうわけにはいかなかっただろう」
「早く取ってこい」
「わかってるよ」


素っ気ないやり取りを終えると、駆け足でロッカーに向かう。
靴を履きかえて階段を上っていく姿が見えなくなると、アントーニョがフランシスと張り合ってる男に近寄る。


「……ひょっとしてお前?」
「何がだよ。つーかテメエ誰だ」
「フランシスの連れや。で、アーサー・カークランドってお前んこと?」
「そうだったらなんなんだ」
「いや、一回お前に会ってみたいなあておもてて、今日フランシスに連れてきたもろたんや」
「で?こいつに怪我させた俺にやり返ししようってか」
「ちゃう」
「……は?」
「会ってみたかっただけやって。いや、ほんまに」


まじまじとアーサーを観察するアントーニョ。
すると、釣られるみたいにとギルベルトもやってくる。


「うおっ眉毛すげえ!」
「う……うるせえ!」
「なんだよ、何食ったらこうなるんだよ?」
「じっくり見るなばかあ!」
「……あの、傷、大丈夫ですか?保健室とか行った方がいいと思いますけど……」
「別に、これくらい慣れたから平気だ。今更行くほどのもんでも……」


ねえよ。
そう続くはずだったアーサーの言葉。だが、直前でそれは唾と共に喉の奥へ流されることとなった。



目が合った。



アーサーの体の怪我を気遣っていたと。
かなりの至近距離で、目が、合った。


「…………」
「…………?」


純粋な瞳にクエスチョンマークを浮かべると、目線をに固定して逸らそうとしないアーサー。
の双眸を直視していた緑色の両眼は、首、胸、腕、足、と次々に見据える対象を変えていき――――――



「なに見とんねん」



舐めまわすという表現がぴったりな光景に、アントーニョがすかさずアーサーの前に立ちふさがった。
を背中に隠すと、鋭い眼光を放ちつつアーサーを睨みつける。


「やらしい目で見んなや」
「そいつ、お前の彼女?」
「ちゃうわ」
「……ふーん」


やらしい目については一切否定せず、品定めするような目で見え隠れしているをまた一瞥すると、


「お、遅くなってごめん!」


鞄を片手に眼鏡の少年が息も切れ切れに戻ってくる。


「……なんでそんな正直に謝るんだよ。つーかそんなに走らなくても逃げねえよ」
「いやあ、今回……みたいな時くらいは……少しでも君からの印象……を良くしておいたほうが……一番高いハンバーガーを奢ってもらえるかもしれないだろう?」
「…………」
「本人の前で言っていいの、それ……」


天然なのか、ワザとなのか。
ゼエゼエと荒れてる呼吸を大きな深呼吸で落ち着かせると、「さあ行こう!」と元気よくマックへの道を目指す眼鏡の少年。
そんなすっかり上機嫌の彼の腕を素早い動きで捕まえたのはギルベルトで、


「ちょっと待て!」
「ん?なんだい?」
「なんだい?じゃねえ!俺たちに触れろよ!」
「え?君たちイヴァンの客じゃないのかい?――俺にも何か関係あるのかい?」
「……イヴァン?」


聞き覚えのない単語。
イヴァンって誰だ?とハテナマークを頭上に浮かべてとフランシスとアントーニョに目配せする。
だが三人とも困った風に首を横に振るだけで、『イヴァン』についての知識は誰も持ちあわせておらず。



「え、え……えええええええええええええええええ!?」



四人のアイコンタクトでの応酬を見ていた眼鏡の少年は、酷く驚いた様子で声を上げる。
ギルベルトたちからすれば、いきなりの意味不明な絶叫なのだが、


「え……お前ら、まさか今まで知らずにずっと……?」


アーサーも同じ、衝撃を受けたと言わんばかりの反応をするので、もどかしくなったギルベルトが「二人揃ってなんだよ、知ってるなら教えろ」とぶっきらぼうに真相を求めた。
眼鏡の少年が絶句で固まっていたため、アーサーが仕方なしに説明を始める。


「俺が言うのもなんだが、これって結構有名な噂でな……学校にいる不良全員を仕切ってる三年がいるって、きいたことねえか?」
「あるよ。大体お前のと一緒に話されるからね」
「……それが、こいつなんだ」
「え?」
「だから、こいつ。イヴァン・ブラギンスキ。俺らが来る前からお前らが話しこんでたこいつが、その噂の三年なんだよ」


にこにこと顔を綻ばせた男子生徒――――もとい、イヴァン・ブラギンスキを、指で指し示すアーサー。


「……」
「……」
「……」
「え、そうなん?」


イヴァンがいっそうにっこりと笑いかけると、まるでブリザードにでもあったかのように、主にフランシスとギルベルトの顔面から血の色が失せる。


「いやいやいやいや!」
「ねえねえねえねえって!」
「……ほ、本当に……?」
「へえ、そうやったん」


ないない絶対ありえない!と頑なに認めようとしない二人に、イヴァンは再度微笑みを返すと、ペコリと礼儀正しくお辞儀をして、楽しそうに自己紹介を開始する。


「えっと……遅くなったけど初めまして。僕の名前はイヴァン・ブラギンスキだよ。なーんかすっごい物騒な噂が流れてるみたいだけど……ふふ。その噂の僕と本物の僕は比べてみてどうかな?」
「予想と何もかも違う!」
「例えば?」
「だから何もかも違うって言ってるだろ!」
「派手な髪色に、奇抜な髪形、改造された制服に、たくさんのアクセサリー、鋭い眼つきに、ドスの利いた声……せいぜい合ってたのは高身長ってとこくらいだよ!」
「うふふ」


頭が混乱しきって冷静さを見失ってしまってるフランシスとギルベルトを横目に、アントーニョは「ほい」と手を上げると、イヴァンへの質問を口にする。


「どうしたのかな?」
「なんで学校支配なんかしとるん?」
「支配?」
「仕切っとんやろ?それにはなんか理由があるんかって聞いとんねん。やっぱ強い奴が偉いとか、そんな認識みたいなんがあるん?ここでは」


校門前で話しかけてきた人物の正体があのイヴァン・ブラギンスキだと知った後も、特に怖がる素振りも見せず、至って普通に接するアントーニョ。
隣にいたが『ある意味尊敬』の眼差しを送る。
天然やKYは、こういう場面でのみ最強なのかもしれない。


「学校の頂点なんかに立って何がしたいの?ってこと?」
「そうや」
「……面白い質問だね」


場合によっては皮肉的な受け取り方もできることを呟いて、イヴァンは常時の笑み崩さぬまま、言葉を紡ぎだした。


「ここの学校はね、僕が入学する前から悪い評判が結構あって。授業中に殴り合いの喧嘩が起きたり、余所の学校の生徒がおしかけて来たり、外での万引きやカツアゲが後を絶たなかったりで、遠くまで噂が広まっちゃうくらい、そんなことばっかりが続いてたんだ」
「……なんで、入学しようと思ったんですか?」
「色々条件がよかったんだよ。家から近いから交通費もかからないし、偏差値もそこそこあるしね」
「そうなんや」
「うん。――――それで、酷く荒れてるって言われるこの学校だけど、全員が全員悪いことしてるわけじゃもちろんないんだ。普通の人だってちゃんといる。なのに、『あの生徒はガラの悪い学校に通ってるからきっと不真面目なんだ』とか『万引き犯と一緒の学校に行ってるんだ……』とか、一括りにされて偏見を持たれたりする。……それって、すごっく迷惑だよね?すっごく嫌だよね?まるで同じ仲間みたいに扱われるの、勘弁してほしいよね?――――――だから僕は、悪事の源である不良たちを、統括することに決めたんだ」


それが、きっかけ。
とイヴァンは控えめに、はにかんで見せる。



『それって、すごっく迷惑だよね?すっごく嫌だよね?まるで同じ仲間みたいに扱われるの、勘弁してほしいよね?』



訴えかけるかのような声でそう主張していた時のイヴァンの表情は、複雑そうに歪められ笑顔はいつからか消えていた。
――――統括する。つまりは不良たちを纏め上げ、不正な行為を取り締まる。言い換えれば、粛正。

とアントーニョ、そしていつの間にか落ち着きを取り戻していたフランシスとギルベルトは、今に至るきっかけを聞いて、持っていた考えを改める。


「……なんだよお前、意外とまともじゃねーか」
「不良の統括は一人でやったのか?」
「まあね。みんな言うことを聞いてくれないから最初は大変だったけど、今は大分決まりに従ってくれるようになったよ。さすがに外の人たちまでは纏められないけど、――あんまりしつこく恨みや因縁を擦り付けてくるようなら、その時は僕がじきじきにお仕置きしちゃうしね」
「なるほど。さっきの『なら、大丈夫だね』はそういうこと。――――で、決まりって?」
「――万引き、引ったくり、カツアゲといった犯罪全般、街中での乱闘騒ぎ、争う気のない相手への一方的な暴力、抵抗できない子を力で抑え付ける行為――これらのルール、最近はかなり守ってくれるようになってね、助かってるんだ」


口元を緩ませて言うイヴァンに、「どうやって不良たちを纏めたんだ?」とは聞けず(なんだか聞いてはいけない気がした)「そ、そうかよかったな……」と適当に相槌を打つと、フランシスが話題を切り替える。


「色んな噂があるけど、あれって実際のところどうなの?改造エアガンを持ってきてる奴がいるとか」
「バッシュ君のことだね」
「それいいのかよ」
「ほとんど見せかけで所持してるだけで発砲するのは妹が被害に遭った時だけだよ。脅しに使うだけで人体に直接撃ったりはしないからいいかなって」
「三年の教室に侵入して授業妨害してる奴もおるってきいたで」
「え?ああ………………うん。ナターリヤのことだね。毎回僕のクラスにやってきて…………うん。」


あからさまに歯切れが悪くなるイヴァン。
何か事情があることは明らかなのだが、あえてそこには踏み込まず、は問う。


「今年入ってきた一年生で喧嘩慣れした強い人がいるっていうのも聞いてますが……」
「それは俺のことなんだぞ!」


眼鏡の少年は自らの胸をドンと叩き、


「なんだい?まさか君たちのところにまで俺の噂は届いてるのかい?いやー困っちゃうな!これだからHEROは!」
「ヒーローっぽいことは何一つしてねえだろ!」


HAHAHA!と快活に笑い声を上げる少年に、間髪入れず突っ込みをするアーサー。


「大体、お前が強くなれたのは俺のおかげだろ。あーあ、中学時代は俺の後ろをついてきてて可愛かったのに……」
「またそれか!そうやってすぐ懐古するのはやめたほうがいいぞ!」


鬱陶しそうにワザとらしく肩を竦めると、再びたちの方を向き直り、


「まあ、ずっと見てたら分かるように、アーサーはこんな性格だろう?ただでさえここの学校の生徒ってだけで喧嘩売られたりするのに、これだからさ」
「馬鹿にされて無視できるわけねえだろ!」
「俺はその加勢についたりしてるってわけさ」
「自分から因縁つけて殴りかかることがほとんどないのが唯一の救いだよね」
「唯一ってなんだ!カツアゲも一方的に暴力振るうようなこともしたことねえよ!」
「もうちょっと大人しくなってくれれば、扱いやすいのにね?正直君の暴走は僕でも止められないし。」


調子が復活したイヴァンも加わり、混沌とした会話が繰り広げられる校門前。
部活が終了したのか、気づけば傍を通り過ぎていく生徒の数はかなり増えていた。
噂の発生源である三人が同じ場所に集まってるからなのか、周りは小さくざわめいている。


「おい、結構集まってきてねえか」
「さすが。校内でも有名ってわけね」
「用事は済ませたんやし、もう帰らん?」
「…………ちょっと待って。私たち、自己紹介も何もしてなくない?」


言われてみれば。


「……そういえばそうだね」


考えてみればこちらもあの眼鏡の少年の名前を知らない。
話題の順序を完全に間違えていたことに今更ながら気づく四人。
イヴァンたちも指摘してこなかったということは、多分あちらもすっかり忘れているのだろう。


「おい、ちょっとちょっと!」
「え?なんだい?」
「自己紹介!忘れてた!」
「―――あ」
「俺はフランシス・ボヌフォワ。お前ならアーサーから……」
「聞いてないぞ!中学の時からの腐れ縁がいることは知ってたけど、名前は口にするのも嫌だって言ってたからな!」
「……(まあ俺もそうだけど)」
「俺はギルベルト・バイルシュミット。今後会うかどうかは分からねえが、一応」
「アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド。覚えたってなー」
「えっと、です。」
「俺はアルフレッド・F・ジョーンズ!HEROって呼んでくれてもいいぞ!よろしくな!」
「……俺からも宜しく」
「ふふ……僕のことも覚えてね」


一番最初にやるべきことを終わりにするのも可笑しな話だが、最後が上手く纏まったので、これはこれでありかもしれない。

――――それじゃあ帰ろうか、と。

そんな空気になりかけたと同時に、こちらにやってくる人影があった。


「イヴァンさん!ここにいましたか!」
「トーリス。どうしたの?」
「あの、今日俺用事があるので、先に帰らせてもらってもいいでしょうか?」
「用事?」
「はい。フェリクスが今日、風邪で休んでるのはご存じですよね?学校からの届け物をしなきゃいけないので……」
「そっか。―――わかった。いいよ」
「ありがとうございます」


深く頭を下げてから、たちにも軽く会釈をするトーリス。
門を抜けて早足で帰路につく彼を目で見送ると、また、声が一つ、二つ。




「なんだ、今日はやけに来客が多いではないか」
「お三方のご友人の方々でしょうか、お兄様」



「アーサー兄さ〜ん」
「おうアーサー!アルフレッドも!戻ってきてたのかよ!」
「これはこれは。なら今日は皆で一緒に帰るというのはどうかな?」
「そやよかが!」
「アルフレッドさん、また一段と派手にやりましたね……」

「新、濠、リバー、印も……珍しいな、お前らも集まってるなんて。偶然か?」
「何事も派手にかっこよく!それが俺のモットーさ!シア!」



「イヴァンさん、部活終わりました。今日はいつ頃お帰りになりますか?」
「ま、まだ学校でやることがあるんでしたら、ぼ、僕たちもお付き合いします」

「このあとはまだすることがあるから、エドァルドもライヴィスも残っててくれると嬉しいな」



「…!兄さん……!見つけた!こんな所にいらしたのですね兄さん!さあ今から私と結婚結婚結婚結婚結婚結婚ケッコンケッコンケッコン…………!!」

「ナッ…ナターリヤ!?え、いや……ちょ、こないでえぇえええぇぇええぇぇぇええええぇええ!!!!!」




「……」
「……」
「……」
「……」


先ほどとは比べものにならないほどカオスと化する場。
ぞろぞろと時を図ったかのように登場する、アーサー、アルフレッド、イヴァンの顔見知りたち。
おかげで、校門前にはちょっとした雑踏が出来上がってしまった。


「……」


用事は済ませた。時間も時間な上、長く話しすぎた。
この渦の中に溶け込める自信はないし、もうここにいる理由もない。
そう判断したフランシスは、・アントーニョ・ギルベルトの背中を来た方向へぐいぐいと押すと、



「……じゃ、俺たちはここらで失礼しまーす」



遠慮ぎみに呟いて、そそくさとその場をあとにしたのだった。




犬猿と敬遠と喧嘩と喧騒

「いろんな奴がおっておもろかったな!」
「たまに顔だしてみるのもいいかもね」
「つーかフランシスよ、お前が怒鳴るところは俺たちでさえ数えるくらいしか見たことねえんだけど、アーサーとはいつもあんな感じなのか?」
「まあ…………うん。(実に濃い一日だった……)」

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2012.10.07