―――熱い。
自分の体全体がそう叫んでいるような錯覚に囚われるほど、は高熱にうなされていた。寝返りをうつのさえも体力を消費するようで、布団に入ってからずっと仰向けになって天井と顔を合わせている。
昨日あたりから体調を崩し、朝から寝込んで現在は夜に差しかかろうとしている時間だ。空は明るくもなければ真っ暗でもない。夕方といえるこの時間帯になっても起き上がるほどの元気は沸いてこなかった。
つまりは、一日中この状態。
時々お腹が食べ物を欲しがるように空腹を訴えたが、自分で作る気力もなかったので結局この日は何一つとして口にしていない。
――そういえば小さい頃は家族皆が付きっきりで看病してくれたっけなぁ。
今となっては自分一人しかいない家。なんとなくそんなことを考えた。
――熱を出した時といえば、お母さんがよくお粥やお握りを作ってくれて…
昔の出来事をやんわりと思い出すが現在置かれている状況は変わらない。
普段は滅多に風邪を引かないので、一日でも寝込むと一気にいつもの生活ペースが崩れる気がした。せめて何か食べようかとゆっくりと体を起き上がらせる。
―さすがに台所に立つのはしんどいから残り物でいいか。
ずっと寝ていたせいでもあり、足取りはふらついている。
行き先は勿論リビング。その時はただ、早く食べて早く寝よう。ということしか考えていなかったのだがリビングの方から漏れる光に、今までの思考が消え、同時に次は疑問という疑問が頭の中を駆け巡った。
――なんで明かりが?
確か昨日は帰ってきてすぐに自分の部屋に直行して寝たはずだし、ほんの今までリビングに行くどころが自室からも出なかったのに。
考えれば考えるほど目の前の光の原因は掴めず、ずっとその場に立って首を傾げるのも今の自分の体に負担をかけるだけだと気付き、ゆっくりとドアを開く。
「あ、おはよう」
実に爽やかな声で青年はに話しかける。
「お腹すいたから来たんでしょ。の分も作ったからさ、食べな」
堂々とイスに腰をかけ、そういいながらテーブルの上の皿を指さす。しかし当のはその言葉を流すように自分の疑問を口にする。
「…臨也」
「ん?」
「なんでいるの」
高熱で幻でも見ているんだろうか。でも今、目の前に映るのは間違いなく現実で。そして普段から知っている人がいるということも、変わらない事実で。
「電話しても全然出ないからさぁ。来てみたら鍵あいてたし」
「不法侵入って言葉知ってるかな」
「おまけにこの家の主人は熱を出して寝てるし」
「…、で?」
「何も食べてないだろうと思ったから、こうして焼飯作ってが起きて来るまで待ってたんだよ」
「…そう」
「うん」
――そういえば昨日、鍵閉めた記憶ないな…。
家に帰って真っ先にベッドに向かうことしか考えてなかったせいか。確か携帯を入れた鞄も玄関に置いたままの気がする。ふと、思い出したようには玄関に向かって鞄の中の携帯を取り出し、着信をチェックする。
――臨也からの着信22件……。
不法侵入とストーカーの容疑で訴えてやろうか。
内心でそう呟いたものの、すぐに携帯を閉じてリビングに戻った。先程臨也が作ってくれたという焼飯を口に運びながら、会話を交わす
「…冷めてる」
「が早く食べないからだよ」
「それにもうちょっと軽いものがよかった」
「…文句しか言わないね」
「うん」
「… …」
「でもおいしいよ」
「、ちょっと元気になった?」
「え?」
「だってさっきより顔色いいし」
「うーん、そうかも」
話してるうちにも、手と口は動く。今まで食欲がなかったのが嘘のように、早々と完食した。
「ごちそうさまでした」
「はい」
食事の終わりの挨拶をすると、臨也は嬉しそうに笑いながら空になった皿を持って台所へと向かう。
そんな臨也の背を見てから、再び携帯を開いた。臨也の他に着信履歴には静雄や京平、新羅の名前まであり、電話に出れなかったことへの理由と謝罪のメールを送った。
―新羅は多分、セルティに促されて電話してきたんだろうなぁ。
当たり前の如くセルティから電話は来てなかったが、メールが2、3通ほど送られてきていた。
携帯画面を見つめながら普通に文章が打てるようになったのをみると、大分気分は優れてきたようだ。時計の針は20時を過ぎており、台所で食器洗いをする臨也に声をかける
「もう8時まわってるよ」
「ふーん」
「…帰らないの?」
「そんなに追い出したいわけ?」
「いや…でも、もうここにいる必要ないでしょ」
「そうかなぁ」
キュ、という蛇口を閉める音が響く。
「そうだよ」
「冷たいなぁは」
食器を洗い終え、台所から出てきた臨也はソファに座っているの横に腰掛ける。微かにギシリと軋む音がしたが、そんなことは気にもかけない。相変わらず携帯を弄ってるの横顔を臨也は隣でまじまじと見つめる。でも見ていたのはほんの数秒くらいで、いつもの不吉な笑みを顔に張り付けながら、そっと、の耳元で囁いた。
「襲わせてくれないんだ」
その言葉に、ビクリとの肩が跳ね上がる。同時に携帯を弄っていた指の動きも止まり、その場の雰囲気が塗り替えられる。
その隙に臨也はの手からヒョイと携帯を取り上げ、畳んでから近くのテーブルの上に置く。続いてをソファに押し倒し、自分は天井に背を向ける形になる。
「い、いざ…」
「大丈夫。忘れずに閉めといたからさ、鍵」
「そういう意味じゃ…」
「でもホント、顔色良くなってきてるよね。――――で、今はまだしんどいの?それとも楽になった?」
一段と深い笑みを浮かべ、お互いの吐息がかかるような距離で臨也は言葉を続ける
「俺はさ、何をしても素直にハイハイ従う子よりも、必死に抵抗してくる子の方が好きなんだ」
でも今回は風邪に免じてここまでにしとこう。――と、一旦言い終わるとの腕を引っぱって起き上がらせる。そして何事もなかったかのように「さてと、」と言って立ち上がり、何も言えず顔を真っ赤にしたを残してその場を後にした。
交わる境界線