――大人になれば少しは変われると思ってた、かもしれない


小学生の頃、些細な事で弟と喧嘩してイラついた俺は結果的に近くにあった冷蔵庫をあの小さな体で持ち上げてしまい、それが始まりで、毎回骨を折ろうが関係なく俺の手は実に色んなものを破壊し続けて――自分の体が大きくなっていくにつれて、壊す物も机や道路標識だけに止まらなくなった。

自分の意思で制御できない力には忌々しさしか感じない。
大事な人は守るどころか傷つけてしまうだけ。


何故俺はあの時、大人になれば変われると思ったんだろうか。
確かに成長するにつれて、基本的な知識は身につけたものの、この馬鹿力はなくなるどころか増していき、高校時代は校内で恐れられ、現在は池袋という町で名が知れ渡っている。


きっとガキの頃は"変われる"という言葉にしがみ付いて逃げてただけで、そんな無意味なことを考えてる間にも、俺の近くで何かが壊れて、誰かが傷ついて、終わることのないこの無限ループは多分俺が死ぬまで繰り返される。



「しーずお」

不意に、少し間伸びさせて俺の名前を呼ぶ声に、今まで考えていたことを頭の隅へやる。

「どうしたの?」


様子を伺うように横で俺の顔を覗きこんでいるのは、
一番大事な愛しい女。愛したくてたまらない、大切な恋人。だけど俺は唯一「好きだ」の一言をいっただけで、その他は何もらしいことをしてやっていない。抱くことさえも、本当に「触れる」というだけで十分にできなくて、少しでも力を入れてしまえばの細い体はすぐに壊れてしまうようで、その恐怖心を拭えない俺は結局何もしてやれない。


「静雄」

俺を呼ぶ声に、先程にはなかった呆れの感情が混ざっていることに気付き、今度こそ椿の方に意識を集中させる。


「また同じこと考えてたでしょ」
「… …」
「もぉ」

言い返す言葉がなく、ワザをらしくから目を背けた。
力のことや、何よりのこと――― 一度考え始めたらとまらなくなるほどに、そのことだけが頭の中を駆け巡る。ずっとこうしていてはダメだとも思うし、に心配もかけたくない。だけど周りが見えなくなるくらいに、自分がをどう愛せばいいのかとかを考えずにはいられない。



「ん?」
「手」
「はいはい」


自分勝手だとは分かってるけど、は絶対に離したくない。
それを伝えるように、俺はの手を軽く握る。一方のも、そんな俺のことを見透かしたように、子供を宥める母親のような口調で俺の手を握り返す。

「静雄はネガティブすぎるよ」
「そうか?」
「十分そうだよ」
「…悪ィ」
「うん、だから―――」

途中で言葉を切るように、繋いでいない方の手を俺の頬に添え、そのまま背伸びをして、ほんの2、3秒ぐらいの触れるだけのキスをする。

「もっと私を頼ってよ」


けして強くなく、寧ろ弱々しさを感じられる声で、は小さく呟く。疑問の混じった悲しげな顔は、俺の心に小さくとも深い傷をつくる。「そんな顔をさせたかったわけじゃない」といっても、自分でも嫌なほどに、その表情をつくらせてるのは俺自身だと自覚している。


「ここ最近ずっとだよ」
「、ごめん」
「あのね、静雄」

再び俺の横に並び、さっきよりも強く手を握りながら、変わらない表情で言葉を紡ぐ。


「そんなこと考えてる暇あったら、少しでも私の方、見てよ」
「…だけど、それは」
「私は静雄が傍にいればそれでいいのに」
「…」
「らしいこと、とか望んでないって言ったら嘘になるけど、こうやってね、触れられてるだけでいいんだよ」
「…俺は、」
「――――もういいから…!」


の力のこもった一言は、俺を黙らせるのには十分だった。
自分のこの力故にを満足に愛せない自分が嫌で、どうすれば口以外で愛を伝えることができるのかを、いつも考えた。でもそのせいでには心配だけじゃなく、不安も寂しさも抱かせてしまって――結局の為だといって頭を抱えていたのは口実で、俺は今も逃げてる。証拠に俺は、答えを見つけ出せていない上に、の顔を曇らせてばかりだ。
大事な大事な愛しい存在。だからこそ、一番力を加えることはできない。

暫く沈黙が続いて、それでも繋いだ手を離さないまま。が先に口を開いた。


「静雄は、自分の力が嫌い?」

落ち着いた、優しい口調で、それでもやっぱり色々複雑な感情の入り混じった声で、は俺に尋ねる。

「…嫌いだ」

何度かこのやりとりをした。でも決まってこの後のの言葉は「…そっか」という、どこか諦めたようなもので、いつもここで話は途切れていた。

「なんで?」

唐突に、毎回同じだと思っていたものは今日は違って、一瞬驚いて俺はの方を見る。


「なんでって…」
「…私のせい?」
「お前せいじゃない、お前の為―――」

そこまで喋って、俺は思い出したように口を閉じる。

の為、じゃない。結局は自分が逃げてるだけだろ。真正面から向き合うのが怖くて、の方も見ずに、それでも離したくはないという我が儘をは黙って受け入れてくれて――――俺は、何をしたかった?

何もかもが上手くできない自分にイラついて、実に分かりやすくそれは顔に出ていたようで、が宥めるように、手を伸ばして俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。


「私はね、静雄のその力、案外嫌いじゃない」

言葉を紡ごうとした俺の口を、再びは自身のそれで塞ぐ。
だけど今度は、たったの2、3秒だけではなく、半ば押し付けるように長く、長く―――
そのお陰で、背伸びをしたの体はよろけ、見事に俺の腕の中にすっぽりとおさまる。


「ほら、ね」

何か、全てを見透かしたように、は先程の話を続けるために口を動かす。

「私は静雄の手、大好きだよ。今まで色んなモノを壊してきたから、静雄は嫌いだっていってるけど、私は好きだな」

俺が疑問の一言を漏らす前に、はその隙さえも与えず、声を発し続ける。


「―だって、静雄の手は、私を撫でてくれて、手を繋いでくれて、そして、抱いてくれる手でしょ?」

ね?、と、が静かに微笑みかける。
全てを包み込むような、優しげなその笑みは、俺が今まで溜め込んでいた不安や恐怖を、一気に取り除いた。


「だからさ、もっと強く、抱いて?」

力が入れられてなく、ほぼ触れてるだけといっていい状態で、が「大丈夫だから、ほら」、と言いながら俺の体を力強く抱きしめる。

それに応えるように、俺も少し、力を入れる。
壊さないように、壊れないように。ゆっくりと抱きしめる。そんな行動に反して、気持ちと心臓の音はみるみるうちに加速していき、の方にまで伝わってしまうと思うほどに、口から出てしまいそうになる言葉の数々は、一部が声となって溢れ出す。



「なーに?」
「好きだ」
「うん、私もだよ」
「愛してる」
「うん」
「ずっと傍にいろ」
「もちろん」
「好きだ」
「うん」
「キス、させろ」
「いーよ」

いつも決まってから俺にしてくれていたことは、今度は逆に、俺からにしてやろう。
この目の前のという女は俺だけのものだ。―――それを主張するように、の唇に深くキスを落とす。口内で絡み合う舌も、お互いの唇を伝う銀色の糸も、全ては俺とだけのもの。
何秒か、何分か。短かったのか、長かったのか。それすらもハッキリと分からないくらいに、俺たちは二人の世界に酔いしれた。




糸は解かれた