「散っちゃったね」
風に吹かれてひらひらと地面に落ちていく桜の花弁を見て、の口からそんな声が漏れた。
つい最近まで満開だった桜の木は、今は見事に色を失くしている。何日か前は、この季節の風習ともいえる花見をしに、たくさんの人々が訪れていたこの場所も、すっかり静けさを取り戻していた。世間では、卒業式や入学式も終わり、学校の方も落ち着いてきて、生徒達も新しいその生活に慣れ始めようとしているところだ。
「そうだね」
もはや春を語る桜も、そんな風に散っていく中、特に深い理由もなく、臨也と肩を並べて歩く。独り言のように呟かれたの言葉に、相槌を返した後、次は臨也の方から口を開いた。
「春ってのは過ぎるのが早い」
「、うん」
「は花見とかした?」
「今年はしなかったなぁ。去年は絵理華ちゃんやウォーカー君たちとやったけど」
思えば自分も、かなり花見というイベントを楽しんでいた気がする。外で皆と騒ぎながら弁当を食べるというのは、稀にしかできないことであったためか、毎年欠かさず予定を組んでいた。が、今年はせずに、ただ桜と花見客を眺めるだけだった。何件か誘いも受けたが全て断りを入れ、正に蚊帳の外といった感じで、この時期の行事に参加せず――――"気が乗らなかった"で済まされたものだ。
「臨也は全然しなさそうだよね」
「実際ここ何年もしてないよ」
小さく肩を竦める臨也に、やっぱり、と言うと、訝しげに声を上げてくる。
「…まさか、俺に花見をする相手がいなさそうとか思ってる?」
「それも4割はあるね。だけどその前に、臨也って花見自体やらなそう。っていうか合わないよ」
鮮やかな桃色の桜に、いつもの黒服を着た臨也を思い浮かべて、は軽く頭を左右に振った。格好以外にも、臨也が純粋に花見を楽しむということが、まず考えられない。非常識と非日常と非凡を持ち合わせたこの男に、そこらの人間と同じことをするというのは、あまりにも似合わなさすぎる。
今度はうんうんと頷きながら、まぁ人柄もあるか、と呟いた。
――――その時。上下左右に首を動かすを見ていた臨也の足が止まる。
「こっち」
それからの腕を掴み、歩いてきた道を引き返して逆方向へ足を進める。
「え、ちょ、え…臨也?」
「いいから」
早口早足で、まるでその場から逃げ出すようにグイグイをを引っぱり、一方で意味の分からないは、臨也にされるがままに足を動かす。急になんなんだ、と、後ろを振り返れば、人が一人居るのが分かった。距離があって、顔もハッキリとは見えないが、服装には見覚えがある。
「あれ?静雄?」
予想でしかない名前。だけど、臨也の行動と確実に早くなった足を見れば、恐らくは間違っていないのだろう。
「しーずーおー!」
「ちょっと、」
臨也に引かれていない方の手を振り、名前を呼ぶと、こちらに気付いたようで、じっと見据えてくる。
「臨也、離して」
「嫌」
「嫌じゃなくて」
「嫌」
「静雄ー!臨也が私を拉致しようとしてくるー!助けてー!」
「……っ」
が叫んだ瞬間、静雄と思わしき人物が、近くにあった木を引き抜こうとし―――――が慌てて先ほどの発言に修正を入れる。
「嘘!散歩してただけだから!拉致られてない!嘘!」
ブンブンと手を激しく振りながら、今まさに、静雄に引き抜かれて投げ飛ばされそうになった木は、なんとか地面から離れずにすんだのだった。
「……」
「ごめん、嘘ついてごめん」
歩み寄ってきたバーテンダールックのその人はやはり静雄で、臨也の方を睨み見て、露骨に怒りの表情を表す。臨也はというと、の腕を抱きながら静雄を睨み返し、二人が火花を散らしてるのも知らず、は無垢に笑っている。
「悪ィ、ちょっと今からこのノミ蟲ぶん殴るからどいてろ」
「いいけど木は引っこ抜かないでね」
「あれ?、俺が殴られていいの?」
「別に」
「その前にテメェはの腕を離しやがれ」
殺気を纏う静雄を、とめる術はなし。おまけに相手が臨也ときたら、も今回は口出しせずに喧嘩を見守る。臨也から離れて、安全な場所へ身を移すと、すぐに静雄が怒声をあげて臨也に殴りかかる。臨也はそれを軽やかに避け、でも偶に掠り、始まったばかりの喧嘩という名の戦争を目の前に、は鞄から取り出した紙パックのジュースをストローで吸いながら、二人を眺める。
「あー、平和だ」
周りから見れば、平和島静雄と折原臨也の喧嘩は、"危ない"の域を通り越して恐怖にしかなりえない光景だ。
それを呑気にジュースを飲みながら、まるでスポーツ観戦をするように、「平和だ」と吐いて見ていられるのは、高校から結構な付き合いがあったからだろうか。でもいくら彼らの友人の岸谷新羅や門田京平でも、喧嘩を前にそんなことは言わないだろう。だがにとって、見慣れたこの風景は、ある意味安心できるものかもしれない。
ぼーっと昔のことを考え、ストローに口をつけながら、傍観するは、当たり前のように、自分の後ろにいる人影に気付かなかった。
両肩に手を置かれた時は既に遅く―――。
「わっ!」
「っひゃあ!?」
突然の間の抜けたの声に、臨也と静雄の動きも止まり、の方へ視線が向けられる。バクバクといってる心臓を落ち着かせる余裕もなく、は固まったまま、後ろを振り向きもしない。硬直したままのに、「やりすぎた?」、と聞き覚えのある声が振ってくる。臨也と静雄も、の声を聞いた時は、それこそ何事かと相手を睨んだが―――――よく知った昔馴染みだと分かると、体の力が抜けたように、やれやれと溜息を吐く。
「おーいー、僕だよ、僕僕」
ゆっさゆっさとの肩を揺らしながら、一向に後ろを見ようとしないの前に、新羅自身が顔を覗かせ、新羅がドアップで視界に入ってきたことに、
「っわぁ!」
またも驚きの声を上げて肩を跳ねさせた。
「まさかこんなに驚くとはねー」
「今の凄く心臓に悪いよ…新羅」
ごめんねー、と謝りながらの隣に腰を下ろし、その間に臨也と静雄の喧嘩は再開される。
「でも新羅が外にいるって珍しいね。仕事帰り?」
「そんなとこかな」
「そ、お疲れ様。ジュース一本どう?」
「…君はいつでもジュースを持ち歩いてるのかい?…しかも何本も」
「たまーにね。だって喉渇くじゃん」
渡されたリンゴジュースを、新羅はお礼を言って受け取り、ストローを刺して吸い上げる。――と、同時にが飲んでいた紙パックが、ズズズーと音を立てて、残りが少ないことを主張し、完全に中身がなくなると、鞄に手を伸ばして2本目を取り出す。
「それ何本目?」
「まだ2本目」
適当に手に取ったぶとうジュースを喉に通し、目先で変わらず繰り広げられている喧嘩を視界に入れる。
「あ、静雄は珍しく素手なんだね」
「公共物も近くにないしね、木は私が引っこ抜いたらダメだって言ったから」
何本もの桜の木が生えた、花見をする為の少し広めの公園。あるいは広場とも言える場所で、二人は息を切らすことなく戦闘を続けている。
「お互い武器無しで喧嘩って新鮮だなぁ」
「でもなんか、物が飛んでないと臨也と静雄の喧嘩って感じがしない」
「これはこれでいいだろ」
「だね、僕も思うよ」
「確かにその方が普通の喧嘩っぽいかな」
「「… … … … … … … …ん?」」
どこからかしてきた第三者の声に、と新羅は顔を合わせる。二人のものではないそれに、何秒かの間、場がホラーな雰囲気に包まれるが、今度はも悲鳴を上げずに、後ろを振り向く。
「お前ら……こんなとこで何やってんだ」
案の定、声の主は二人の背後に立っており、前に見える臨也と静雄の喧嘩を見ながら、大きく溜息を吐いた。
「、京平」
「あぁ、門田君」
「……すまんが状況を説明してくれ」
「じゃあ、とりあえず横にどうぞ」
言われて、新羅同様の横に座った門田は、からジュースを受け取ると、ストローに口をつける。
「私と臨也が二人で散歩してて、で、偶然静雄に会って、臨也と喧嘩始めちゃって、それから仕事帰りの新羅が通りすがって、今京平が来たってところかな」
「なるほど、解った」
門田はそれだけ聞くと、後は何も問い出すことはせず、手に持っていた袋をと新羅の前に差し出した。
「ん?何なのこれ」
「さっき近くのコンビニで買ったんだ。アイツら二人も呼べ。5個はあるからな」
「あ、アイスー!」
又もや、の大きな声に、臨也と静雄の喧嘩は中断され、いつの間にか増えている人数に、疑問の声を投げかける。
「…ドタチン?」
「あ?何でんなに増えてんだ」
「臨也も静雄もこっちおいで」
手招きで二人を呼び寄せるに、門田が「さすが」、と呟いて、新羅も頷いて同意する。
「なんだソレ」
「京平が買ってきたんだって!どうせだからこのまま5人で花見しようよ!」
袋と鞄を持って立ち上がったに、「お、それいいね」、と新羅が最初に提案に賛成し、他の3人も揃って首を縦に振った。
「でも京平もなんでこの時期にアイス?」
「時期は関係ないだろ。食べたくなっただけだ」
「俺はドタチンがアイス買ってたより、がジュースをたくさん持ち歩いてたことに驚きなんだけど」
「こんなに多く持ってたのは、偶々だよ」
「お前変わってんな……お、それ美味そうだな、くれ」
「じゃ、静雄のも一口頂戴ね」
あーん、と遊び半分で静雄の口にスプーンを運ぶに、すぐさま臨也の止めが入る。
「臨也じゃま」
「さぁ、どういうつもり?」
「静雄、殴って。許可するわ」
「任せろ」
「シズちゃん待った」
「ならいちいち割り込んでくんな!」
を真ん中にやりとりをする3人の傍で、新羅と門田は、既に花弁を散らした桜の木を仰ぎ見て、ふと、高校時代のことを脳裏に思い出し、口元を綻ばせる。
「変わらないね」
「コイツらはまったく…」
「そういえば門田君は、なんでここを通ったの?」
「コンビニ寄ったついでに、なんとなくな」
「でもさすがに、5人が顔を合わせるなんて思ってもなかったよ」
「だとしたら、もの凄い偶然かもな」
「あるいは必然、ね」
「…変な運命に見まわれたもんだ」
「次は静雄のちょうだい!」
「おう、食え」
「それなら俺はのをもらうよ」
「じゃあ臨也のも食べさしてね」
4月下旬の出来事