こっち向いて」
「今無理」
「俺よりパソコンの方が大事?……俺との邪魔するパソコンなんてこの世から消滅しちゃえばいいのに」
「仕事手伝えって言って呼びつけたの誰だっけ」


新宿にある某高級マンションの一室。パソコンに向かって黙々とキーボードを打ちながら後ろにいる臨也に淡々と言葉を返す。後ろ、というのは、が座っているのはイスやソファではなく臨也の膝の上だからだ。腰に手を回され、おまけに耳元で声はするしで作業が進まないことこの上ない。今回は仕事が多いので手を貸して欲しいと頼まれて池袋からこの新宿に赴いたのだが、波江とに溜まった仕事を押し付けるだけで、当の本人はずっとにひっついたまま、あろう事か可笑しなことまで言ってくる。


「それは矛盾してるわね」
「でしょ、波江さんも思いますよねー?」

別の机でファイルの整理をする波江は、にぴったりとくっついている雇い主に対して冷たい視線を投げつけた。だがそれも、なんともないという風にいつもの笑みで流される。腹立たしさから溜息を吐き、荒っぽく書類をファイルに押し込んだ。

「本当に最低ね。言ってる事とやってる事が合ってないわ」
「イコール頭がおかしいってことで」
「それは酷いよ、
「なら自分もさっさと仕事に取り掛かってよ」

今のイライラを表すかのように、キーボードを叩く指も早くなっていく。それでも、やーだ、とさらに力を加えて抱きしめてくるので、いい加減暑苦しくなったは臨也の腕を解いて立ち上がる。


「どこ行くのー?」
「喉渇いた。コーヒー淹れる。波江さんもどうですか?」
「じゃあ頼んでもいいかしら。ブラックで」
「はーい」
「俺も同じくブラッ…」
「臨也は自分で淹れてよ」
が淹れたのじゃないと飲まない」
「なら飲まなくていいじゃん」
「えー」

続いて臨也も腰を上げたかと思うと、キッチンへ向かうの首に手を回して背に抱きつき、そのままに引きずられるかたちで歩く。背中に臨也がいる所為で足取りが重くなったは、鬱陶しそうに眉を顰めるて振り払おうと体を揺する。しかしそれは逆効果で、今度は顔を寄せてきた。

が淹れたコーヒーが飲みたい」
「はいはい」


もういちいち構っていたら時間が無駄だし、何より体力を使う。そう考えたは適当に返事をして、食器棚から3つのマグカップを取って手際よくコーヒーを淹れていく。何度も訪れているので臨也の家のどこに何があるかは大体把握しているのだ。


「…もう結婚しちゃおうか」
「どっからそんな話がでてくるの」
「毎日がうちに居てくれたらなーって」
「なにそれ」
「そのまんまの意味だよ」
「悪いけどそんな気はありませーん」
「そ。でも俺は生涯にしか折原の苗字はあげないから、安心してね」
「なんの安心よ」


くだらない会話を交わし、臨也に1つマグカップを渡して、自分と波江の分を両手に持つ。やっと臨也の拘束から逃れられ、臨也はの淹れたそれを幸せそうに飲む。


「あ、こら!歩きながら飲まない!」

注意してもコーヒーを啜る臨也に、これ以上言う気にもなれなかったので以降無視して、波江が仕事している机にマグカップを置いた。


「ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
「……あれの所為で毎回疲れるでしょ」
「え?、ええ。はい。………でも、なんだかんだで好きですよ」
「でしょうね」
「へ?」


意味ありげなことを言った波江に、時間差で問い返そうとしたが、カップに口をつけて仕事をする手を休めない彼女に言い辛くなった為、結局聞きだせずに、も任された仕事に取り掛かる。今日来て初めて、やっとふかふかのソファの上に座ることができた。しかも纏わり付いてくる人物は今、自分の机でコーヒーを飲んでいる。これで集中してパソコンに向かうことができると思うと、幾分か気が楽になった。




画面を長時間見ていると目はかなり疲れてくるもので、とりあえずキリのいい所で区切ると、目を閉じてずっとキーボード上を踊っていた手も休める。波江の方は、慣れなのか表情一つ変えないで作業をこなす。まるで機械のように同じことを繰り返す姿は、疲れを全面に出してぐったりとするとは正反対だ。そしてこの部屋の主は終始二人に仕事を任せて、今は机に顔を伏せて寝ている。


「いい気なもんよね」


臨也に対しての言葉なのか、でもその視線の先は書類に向けられたまま。

「ですよねー…」
「私も毎日仕事しにきてて付き合いがあるから、分かるわよ」
「それは有り難いです。……すみません」
「なんで貴方が謝るの」
「いや、アイツがいっつも迷惑ばっかりかけてるし…」
「否定はしないわ。でも貴方の所為じゃないでしょ」

話しながら机を使ってトントン、と紙の束の高さを合わせると、厚みがあるそれを器用にファイルに収め、それから無駄のない動きでコートを羽織って鞄を肩にかけると、に一言告げた。


「帰るわ」

足早に玄関へと向かい、靴を履こうとすると、が慌ててやってきて波江を見送るように一礼する。

「お疲れ様でした」
「お疲れ様。まだいるのかしら?」
「ええ。終わってませんので」
「そう」
「はい」
「頑張って」
「有難う御座います」

最後に軽く挨拶を交わすと、静かにドアは閉められる。開いた時に見えた外はすっかり暗くなっており、どこからか焦りも出てきた。随分と長い間居たもんだなぁ。早く終わらせて私も帰ろう。と、部屋に戻って同じくパソコンの前に座ろうとしたが―――…。


「波江、帰ったんだね」

が座っていた場所には、先程まで寝息を立てていた臨也の姿があり、文字の羅列が表示されていた画面は閉じられていた。

「…起きてたんだ」
「ついでにの分も終わらせといたよ」
「ありが……って、何もかも任せっぱなしだったんだからそれくらいやってもお礼は言わないから」
「いいよ。………その代わりさ」

ソファを離れての前に立つと、正面からぎゅっと抱きしめる。は特に慌てる様子もなくされるがままに腕に収まる。抱かれるのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。さすがにずっとべったりとくっつかれては鬱陶しいが、温もりを感じられるというのは安心するもので。


恋人同士でもないのにこんなことをするのは、一般から見れば変かもしれないけど、高校時代からなんとなく続いてる変わりのないこの関係は、結構心地がよかったりする。




Хочу быть с тобой




「臨也あったかい…」
「もっとぎゅっとしてあげようか?」
「それは暑い」
「俺は暑くても構わないんだけどなー」
「汗かくの嫌だから。あ、そうだ外行く?」
「ああ、この時間帯は涼しいしね。どうせなら外食しにいこっか」
「オッケー臨也の奢りね!」
「……ま、仕事頑張ってくれたし、何食べたい?」
「露西亜寿司行こうよ!」
「うわぁ今から池袋とか……でもが行きたいっていうなら」
「やった!臨也大好き―――……とか言うわけないでしょ」
ってツンデレだよね」