「初めまして。さん、ですよね? どうぞあがって下さい」
出向くなり迎えてくれたのは、家主でもその助手の女でもなく、見知らない一人の少女。礼儀正しく頭を下げるその少女に、は思わず持っていた鞄を落としそうになった。
そもそも池袋住みのがここに居る理由としては、相も変わらずかかってくる臨也からの電話が原因だったりする。かけてくる度に歯の浮く台詞を聞かされるので、ほとんどはスルーしているのだが、今回は違った。
『に会わせたい人がいるんだ。今日の昼頃、待ってるよ』
開口一番単刀直入。電話の向こうから、ただそれだけの用件を伝えてきた臨也は、詳しい内容も説明しないで一方的に通話を切った。相手の都合も考えず自分の言いたいことだけを言って会話をやめるなど、非常識にも程がある。そうおもいながらも、言われた通り臨也のマンションに足を運んだは、自分の心の広さを少し尊敬していた。
「会わせたい人」というのに対しては大体予想がついており、便利屋を利用したいという依頼者か、粟楠会の人か。あるいは族や組の人間か。どれにしても仕事関係のものであり、それ以外に考えられなかった。
だからこそ、どう見てもそっち側ではない無垢な少女がドアを開けて出てきたときには拍子抜けした。まだ高校生といったところだろう。外見もそれなりにいい。裏の世界を知らない平凡な少女が、なぜ臨也のマンションにいるのか。情報目当てで彼を求めてきたわけでもなさそうな上に、まるでここが自分の家という態度の振る舞いを見せる。
を部屋へと招き入れた少女は、デスクに向かう臨也に声をかけた。
「臨也さん、さん来ましたよ」
「そう。早かったんだね」
「どうもこんにちはーいきなりのお電話ありがとうございます折原臨也さん」
客に対する持て成しも何もない男に、不機嫌丸出しの口調で挨拶をすると、「まあまあ、怒らないでよ」と、他人事のように宥めてくる。
「で、用件の会わせたいっていった人のことだけど、その子だよ」
「え?」
「改めて初めまして。さんのことは高校時代からのご友人だと、臨也さんから聞いてます。私の名前は―――」
「、そこに座ってくれない?」
少女の声を遮り、ソファを指差す臨也。明らかに喋っている途中だと分かっていて邪魔をした臨也の意図が伺い知れず、は訝しく思いながら腰を下ろす。
の正面となる位置に座った臨也と少女は、どことなく雰囲気が合ってない気がして、並んで居るだけで違和感を感じさせた。少女の方は微かに頬を赤く染めており、臨也は普段通りの薄い笑みを浮かべている。
「紹介するよ、この子俺の彼女」
「……は?」
唐突な告白に、気の抜けた声が漏れる。が呆気にとられているうちにも、臨也は少女と出会った経緯やどんなに愛しあっているか、といったことをぺらぺらと語り出す。最初こそ驚いたものの、は次第に納得していった。高校の頃からよく彼女をつくっていた臨也だ。まず顔が良いのだから容姿だけでも女の子なんてわんさか釣れるだろう。恋人ができたことになんら不思議はない。
でも、だとしたら。
本当に臨也がこの少女を愛してるとしたら、今まで自分に向けられたものはなんだったんだ?毎回愛を囁いてきて、「俺はのことしかみてないからね」、と耳にタコができるくらいに聞かされたあの言葉はなんだったのだ。
臨也が人間観察目的で「彼女」という口実をつくり、女の子を傍に置くことは昔からあった。しかしこの少女は特別な気がする。
情報屋という仕事上、それに比例する重大な資料やデータがあるにも関わらず、この家に簡単に入れていることからして。ただの観察対象ならばここまで相手に自分を晒さないはずだ。――ああ、これはもしかして、もしかしなくても本気、か。
「聞いてる?」
あれやこれやと脳を回転させて思考に耽っていたせいで、もはや臨也の声も耳に届いていなかった。俯いた顔を上げると、不安そうにこちらをみている少女の姿が視界に映る。
「お気分の方、すぐれませんか?」
「…ごめん、大丈夫だよ。心配しないで。ただ、そんな話は私じゃなくて新羅とセルティ相手にすればいいのに、って思っただけ」
「あの二人は惚気すぎてこっちがついていけないよ」
心がモヤモヤする。それと同時に、もうこの場所には居たくないという強い気持ちが込みあがってくる。小さな溜息を零したは、できるだけ二人を直視しないように床に目を落とす。気を落としたの様子を、臨也が見ていないはずがなく、愉しそうに目を細めて口角を吊り上げると、「あ、そうだ」と話を切りだした。
「に少し話があるんだけど」
「……話?」
「そうそう。前に言った仕事のことでさ、……部屋移動しようか。、データも全部ここじゃない所にあるから」
「…あの、臨也さん……?」
「すぐ戻ってくる。待ってて」
「……わかりました」
少女を一人置いてと共に部屋を出る。二人きりなった先では鍵を閉め、完全な密室を作ると、さらに笑みを濃くした。
「仕事って何?そんな話ししたっけ…?」
「さぁ、妬いてたでしょ」
「……、え?」
「ねぇ、妬いてくれてたんでしょ?」
の腕を掴んで壁に押し付け、逃げ場を失わせてからまた同じ質問を繰り返す。
「はあの子に嫉妬してたんだろ?……違う?」
「……あの子って…なんで名前呼ばないの?」
「は知らなくていいんだよ、あの子のこと」
「なんで」
「これから別れるからかな」
平然と言ってのける臨也に、躊躇いの様子はない。それどころか笑顔は悦楽の色をもっていた。
「が俺のことで他の女に嫉妬する姿が見たくてここまでやったんだよ?もっと面白い反応、みせてくれよ」
「……ここまでやった……?」
「あの子を利用したっていったら解るかな?ただ彼女ができたって言っただけじゃ、信じないしまともに聞かないでしょ。だから親しみを深くして家にまであがらせたのに……。大変だったよ色々と。落とすのは簡単だったけど」
「…………本当に最っ低ね」
「それでいいよ。を想えば、他人がどうなろうと知ったこっちゃないね」
これにおいても冷静さを保ち続けるでも、臨也の顔が真ん前にあるせいで、さっきから心臓は速度を増して音を立てている。臨也のように感情のコントロールが上手くもないので、隠しきれない本心は面に出てしまう。頬が熱くなるのがわかり、臨也に悟られるのを避けるために顔を逸らそ う と した
「……んっ」
直前に、その行動は封じられる。
重ね合った唇からは、お互いの温度が伝い、心まで溶けてしまいそうな錯覚を覚えさせる。数秒間のキスはあっという間のもので、味わう暇も与えられなかった。
「今はここまでで我慢して。そのうちもっと激しくて気持ち良いのしてあげるから」
「……いい」
「どこまでも素直じゃないね」
臨也が腕を解放すると、は口を両手で覆ってこれでもかというほど真っ赤になる。臨也は窓ぎわに向かい、窓を通して見える町の風景を眺めながらに語りかける。
「都会の中に咲いてる花、はあれを真剣に見たことはあるかい?田舎や自然が多い中では映えて見えても、こんな人やビルが溢れてる所では町の一部どころか、人々に振り向かれることもなく枯れていくんだよ。ひっそりとね。誰か一人にでも存在を知られていれば、それは無意味なんかじゃない。けど、誰にも見てもらえないのなら、そこに居る理由も価値さえも失われる。……あの子にしろ、俺の元に集まってくる子はそんな子たちでね。家を出てきたり、家族や恋人に虐待を強いられた子ばかりさ。あの子たちが頼れるのは俺しかいない。だから俺があの子たちのことを忘れてしまえば、あの子たちは生きる意味も存在する意味も進む道もなくしてしまうも同然なんだよ。もう俺しか縋り付く人がいないから、俺が全てだから、俺を崇拝してるから。もし俺が「死ね。」って言ったら、迷いながらも最後には死んでくれるだろうね」
はどう答えたらいいか分からず、口が開けられない。
一方的に言葉を並べた臨也は、少しの間外に目をやり、一瞬虚ろな表情をしてから、笑顔を作りなおした。
「そろそろ戻ろうか」
「……遅いから待ちくたびれてるんじゃない?」
「だから早く戻って言わなきゃね。
別れよう
って」
ペテン師が笑う頃に