夕日が視界を染めている。綺麗というより不気味という言葉の方が合ってるかもしれない。まるで真っ赤なペンキで塗りつぶしたかのようなその景色は、少女の手首から伝う血と同じくらい赤かった。
何処へ向かうのか。自分が今居る場所はどの辺りなのか。
そんなことは知るはずもない。
少女の瞳は光を映しておらず、絶望だけを纏い、たどり着く場所も分からないまま一人終わりの見えない道を進んでいく。
「何処へ向かうんだいお嬢さん。……生憎だが別の所へ行っておいた方がいい。直に此処らも死んじまうからな」
いつの間にか隣にいた黒猫は忠告するように少女に話しかける。しかしその目は少女の方に向けず、遠い果てを哀しそうに見つめていた。
「帰りの電車を探してるの」
「そんなものはないよ」
淡々と吐き捨て、振り返りもせずに去っていく猫の背を少女は黙って見送る。流れ落ちる手首の血を舐め取り、苦い鉄の味が口内に広がっていくのを感じながら再び足を進ませる。長く続く線路と風景は既に見慣れたものになってしまった。
「いつになったらここから抜け出せるんでしょう……教えて下さい臨也さん」
その声に答える者はいない。
少女の足元で枯れた花が弱々しく何かを呟いているだけで。
「……元々さんしか眼中にない貴方には、私なんて見えてなかったんですよね」
「でも、それでもいいんです。だって臨也さんは最後には私のところに来てくれますもんね」
もう何度こんな独り言をいってきただろう。だが、虚しさなんてものは始めからなかった。突然別れを告げられたあの瞬間から、随分時間が経った今でもなお想いを捨てることができず延々と引きずってしまっている。
あるはずのない終点を求めて足を動かし続ける少女は、男に対する底なしの愛だけで自分の体を支えていた。一途すぎるこの愛こそが自身を壊していることにも気づかずに。
朝も昼も夜もこないこの一色の世界で、幻想だけを頭の中に描く。それを守り通すことで少女という存在はなりたっていた。
踏み切りに差し掛かった所で一度立ち止まる。
静かな空間に、はっきりとした大きな音が虚しく響き渡った。
カンカラ カンカラ
カンカラ カンカラ
カー カー カー
「この踏み切りも、きっと誰かに声を聞いて欲しいのさ」
真っ黒な体をしたカラスは言う。
少女と同じ目線の高さで。カラスは言う。カラスは言う。
「君はまだ夢を見てるみたいだ。もうあの頃には戻れないぜ」
「戻れなくてもいいの。知ってるから」
「ほう」
少女の顔は笑わない。歪まない。どこか嘲りを含んだ眼でカラスを睨みつけると、そっと口元だけを吊り上げた。
「臨也さんがいつかここに来てくれる。それからまたやり直すわ」
「一度大人になってしまったらそれで終わりさ。それともやっぱり君は子供のままでいたかったのかい?」
「大人も子供も関係ない。私は私よ。いちいち口出しをしないで」
「君がこの輪廻を抜け出せる日なんてこないよ。
永 遠 に な」
♂♀
「夢をみたんです」
『夢?』
「はい。猫やカラスが普通に喋ってる世界で……人間は私だけでした」
『えらくファンタジーな夢だね』
「でも、私の気持ちはリアルでしたよ?いつまでも続く輪廻の中で、ずっと臨也さんを待ってるんです。またあの頃のように二人だけの時間を紡ぎだせることを願って」
『……』
「現に今も、こうやって電話で話してるじゃないですか。無視されるかと思ったんですが、臨也さん出てくれましたし」
『ちょっとした気まぐれだよ。番号消すのも忘れてたからね。だから、これが最後のやり取りとしよう』
「…最後…ですか……。なら一ついいですか?…その………私たち…もう一度やり直せませんか……ね」
『俺はが好きだ』
「……、」
『しか好きじゃない』
「…………ですね……ですよね」
『じゃあ俺からも一つ。には何もするな。いくら君でもその時は…」
「分かってます。さんにはなにもしません。そんなことしなくても臨也さんは私のことを見てくれるようになりますよね。いつか、時間が経ったら。私信じてます。ずっと。 それでは」
「さようなら」
「おや、誰かと思いきや」
後ろから聞こえてきた声に、少女は体ごと振り向いて自分よりも高い位置にいる猫を見上げる。
「―――本当に来ちまったのかい」
「ええ」
「終わりの無い、永遠という物の怖さを相変わらず知らないようだ」
次には「呆れた」という言葉が口をついて出てきそうな口調で、黒猫は少女を見下げる。"壊れ物"となってしまった彼女の心はもう元通りになることなんてないのだろう。唯一直すことができる人物も、此処に来ることはない。
遠くで鳴っている踏み切りの音が微かに耳に届いた。
「どの電車に乗っても帰り道なるものはない。もう覚めることのない夢だ。好きなようにしな」
「そうするつもりよ。ここで私は臨也さんを待つ。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとね」
もう何を言ってもこの少女には聞こえないだろう。
身を翻した猫は、少女の目の前から姿を消す。
「可哀想に。可哀想に。」
色のない花が誰に気づかれることなく声を落とした。
ク ル ク ル 回 る 環 状 線 を
リンネ
「一 人 哀 れ に 歩 め や 少 女」