入学式から一夜明けた翌日。目覚めて最初に口にした言葉は、

「学校行きたくないなぁ……」

なんともネガティブな一言だった。


高校に入って新生活がスタートしたばかりだというのに、さっそく後ろ向きな姿勢になりつつある。と、いうのも昨日の入学式の出来事が全ての始まりだ。

二人の男子生徒の派手な喧嘩に巻き込まれ、幸い無傷だったがあれほどハラハラした経験も初めてに等しかった。なにせ机が飛んだのだから。後に聞いたが、あの喧嘩を引き起こした二人、短ラン少年の方は「折原臨也」、金髪少年の方は「平和島静雄」という名前らしく、早くも校内では有名人となっている。盾のように扱われてから、第一印象は「かっこいい人」とうつっていた折原臨也も、今となっては最悪人間のレッテルがの中で貼られていた。


もう二度とあんな争いには立ち合いたくないし、できればあの二人とも会いたくない。けど同じ高校で同級生という立場上、今後関わりがないとも限らない。登校初日から憂鬱な気分になりながらも、学校に行く準備を整えて家を出た。


***




入学してから数日はまともに授業がない。慣れ始めといったところだろう。初々しい空気がそこらじゅうに漂っている。これが数週間もすると、女子はそれぞれグループに分裂し、上手く関係を持てなかった者は寂しい時間を過ごすこととなる。ある意味重要な時期ともいえる最初の頃のこの日々は、皆仲のいい友達をつくるのに必死だ。

そんな休み時間の風景を横目に、することも浮かばず机に座っていると、一人の男子が近寄ってきた。



「君、さんだよね?」
「……はい?」


話しかけてきたのは、人が良さそうな感じの、眼鏡とハネた髪が特徴的な小柄な少年だった。名前は確か――岸谷新羅だ。珍しい名だったからか、自己紹介で知る以前から強く印象に残っている。



「昨日起こった喧嘩のこと覚えてる?そのことで静雄が君に話しがあるっていってるんだけどさ」


新羅が指を差す先には、教室のドアに凭れかかって不貞腐れた表情をする平和島静雄の姿。彼の周りには妙な距離があいており、近寄り難い雰囲気が醸し出されていた。


「静雄も気が短くてあんまり待たせるとキレるから、とりあえず来て」
「…ま、待って…!」


新羅に手を引かれ、されるがまま静雄の元に行くと、「ついて来い」とだけ言われ、どこへ向かうかも分からないまま、先を歩く静雄の背を追いかける。てっきり新羅も一緒なのかと思いきや、違うらしい。「静雄は女の子を殴ることはないから安心していいよ」と、離れる際耳打ちで伝えられたが、それでも怖さがなくならないのは、彼の"力"を目の当たりにしたからだろう。行き先を訊く勇気もなければ、その前に声をかけるのさえも躊躇われた。



開けられた扉の先は屋上で、澄み切った青空が頭の上に広がっていた。とても静かな場所で、と静雄以外に人は見当たらない。お陰で扉の閉まる音がやけに大きく聞こえた。



「あのさ」
「は……はい!」


怒っていないと分かっていても、低い声を聞けば自然に背筋が伸びる。の方を向いて、頭を掻いて口籠もる静雄の前ではその姿勢を保ちながら相手を伺う。


「昨日のことだけど……」
「なんでしょうか!」
「……怖がらせちまったなら、ごめんな」


目線を地面にやりながら喋るその姿は、昨日とは比べ物にならないくらいに弱々しいものだった。の体からは力が抜け、そのギャップにただただ驚くことしかできない。


「……聞いてるか?」
「あ、はいちゃんときいてます!あの時のことは全然気にしてないので。それに元々平和島さんのせいじゃありませんし……」
「……そうか。……でもお前さ、その敬語変じゃねえか?」
「へ?」
「同級生だろ、俺たち」


自分でも無理に使っていた敬語を指摘され、うぐ、と言葉を詰まらせる。まさか、静雄が怖かったからそのように接していたなど、本人の前で堂々と口にできるほども勇敢ではない。


「……でしたねー…」
「こっちが気ィ使うんだよ、そういうの」
「じ、じゃあ……こんな感じで、いいのかな…?」
「あと、呼び方もかえろ」
「……えーと……平和島、くん?」
「ん。それでいい」


気が満足した静雄は、の頭に自分の大きな手を置いて撫でる。一瞬体を震わせたも、静雄がただ怖い存在ではないと分かってからは、触れられるのに恐怖も感じていなかった。むしろ優しく撫でられるのが温かくて、嬉しいのだ。怒った時は桁外れの怪力と恐ろしさを放つが、普段は名前の通りとても大人しい性格らしく、穏やかな笑みを浮かべている今がなによりの証拠だ。




「お前下の名前は?」
だよ」
「…、か。……だな。よし」


何度かの名前を呟いて、自分に言い聞かせるように覚える静雄。
その頃には、休み時間終了のチャイムが校内に鳴り響き、生徒達が教室に戻っていく光景が屋上からはよく見えた。



「あ、鳴った」
「戻んのめんどくせぇな……一緒にサボるか?」
「初日目からそんなことする勇気ないです」




under the sky