「大体の人は、折原臨也のことを罵る時『悪逆非道』だとか『外道』だとかいう言葉を使うけれど」
真剣な面持ちでこちらを見つめる少年に対し、呆れ混じりに言葉を紡ぐ。
「例えば君はさ、セミやトンボの羽を千切ったり、ミミズや芋虫の胴体を枝で切断して楽しんでる子供たちに対して『この外道!』と目くじらを立てるのか?」
気だるげに質問を投げると、少年の眉間に僅かな皺が寄った。だがそれも一瞬のことで、すぐに元の精悍な顔つきに戻る。
「――立てないでしょう?じゃあ、それは何故か。考えてみよう」
机の上に転がっていたペンを手に取り、チョークで生徒を指す教師のようにビシリとペン先を少年に向ける。固く口を噤んでいた少年は、やがてゆっくりと口を開き、
「……そこに悪意が無いからですか」
「正解!」
重い空気を纏いながら答えを吐き出した少年とは対照的に、嬉しそうに声を弾ませる質問者。ペンを指に絡ませて持ち方を変えると、器用にそれをくるくると回転させる。
「君もやったことない、子供の頃。蟻の列に障害物を作ったり、バッタの足千切ったりさ……なんで幼い子供があんなことをするのかっていうと、本当に単純な動機でね。『楽しいから』『面白いから』『どうなってしまうのか、見たかったから』とか、大抵はそんな理由だ。ほとんどの場合はそこにドロドロとした悪意なんかは含まれていない。――――とどのつまり、無邪気な好奇心。大きくなって大人になって、そのことを思い出すと、昔の自分はなんて酷いことをしていたんだろうって己がやったことながら末恐ろしい気分になるよね。普通はそうなんだ。」
「折原臨也は違う、と?」
「そうだね。今の例えを引き継ぐなら、折原臨也は未だに無邪気な子供なんだ。観察対象に個人的な恨みを抱かず、『こいつをこうしてやろう』と人を不幸に陥れる方法を探ってほくそ笑んでるわけでもなく、――ただ、見たいから。いつだって折原臨也が行動を起こす原因はそこにある。意図的な悪意は一切無く、人に対する恨みや妬みなんてものも勿論存在していない。面白いドラマを観る為なら、普通の人が躊躇って中々着手できないことも、それこそ法に背くことさえも平気でやってしまう。君たちはそんな折原臨也のことを『酷い人間』だと評して嫌悪の眼差しを向けるが――完全な悪人でない彼に、果たしてその言葉は当てはまるのだろうか。ねえ?」
「…………」
「まあ、一部の相手や場合によっては悪意が生まれる瞬間もあるのだろうけど、基本折原臨也はそういう人間だよ。ある意味すごく純粋で、一途で、好奇心が抑えられない、二十五歳児。――なんちゃって」
ペンを回す手を止め、チラ、と斜め後ろの空間に一瞥を投げる彼女。一秒もかからない内にそこから視線を外すと、再び少年の姿を視界に据える。
「君みたいに折原臨也から被害を受けた人もいれば、救われた人もいるのが事実だから、正直私はなんともいえないよ。彼のことは、好きでもなければ嫌いでもないとしか。だから、まあ、中立の立場に居る私としては、君たち側に付くことはできないんだよね」
申し訳なさそうに微笑みつつ、ペンを元あった場所に戻す。茶化すことのできない厳粛な雰囲気を周囲に撒き散らす少年とは裏腹に、緊張感のない彼女は、小さい息を一つ吐くと、躊躇いなく少年の傍へと歩み寄る。無地の白いシャツに、同じく柄も模様も入っていない藍色のズボン。――目立たない服装には明らかにマッチしていない黄色いスカーフ。少年の首に巻かれたそれに触れながら、先程までとは打って変わって落ち着いた声色で、彼女は尋ねる。
「行くんだよね、これから」
「……はい」
「ごめんね。何にも力になれなくて。アレみたいにお金と引き換えに情報を売ったりする商売してないからさ、私は」
「いえ。……俺も、ダメで元々でしたから」
「それでも私に会いに来てくれたってことは、ちょっとは臨也のことを聞き出せるかもって思ってたんでしょ?……ごめんね」
「いや、気にしないで下さい」
緊迫した空気を解き、口元を綻ばせて優しい口調でそういう少年。間を置いてから一度軽く頭を下げると、それまでもが嘘のような軽快な乗りで言葉を紡ぐ。
「――では、俺はこれで失礼します。さんも臨也の近くにいる人間なんですから、気を付けた方がいいですよ。変に目をつけられたりしないよう――――本当なら、俺がいつでも傍にいて護ってあげたいんですけどね?」
「はは――ありがとう」
聞き慣れた軽口が彼の口から飛び出したことに安心感を覚え、思わず笑みが零れる。
玄関先まで少年を見送ると、部屋に戻って一度室内全体を見回し、ふう――――と長めの息を零す。
「帰ったよ」
「分かってる」
さっき彼女――が一瞥を投げた物影から、全身黒で統一されたファッションの男が出てくる。
「正臣君も大変だね」
「……それより、あの気障ったらしい喋り方、何」
「臨也の真似だよ!正臣君は突っ込んでこなかったけど、似てなかったのかな」
「似てて堪るか」
「でも指摘してくるってことは身に覚えがあるんだよね?」
「癪に障っただけだよ。変な論理まで並べて」
どこか不機嫌そうに頭を掻く、臨也と呼ばれた男は、隅で肩を震わせて笑っているを鋭い眼つきで睨みつける。
「自己嫌悪〜」
「そんな中学生じみた野次飛ばして恥ずかしくない?」
今度はあからさまに不快感を表に出して、表情を歪める臨也。彼のことをよく知る人物がこの光景を見れば、臨也が静雄以外の相手にここまで感情を剥き出しにしてることに少なからず驚くことだろう。はにやにやと口角を吊り上げた状態で、臨也の正面に立つ。
「私のこと嫌いなくせに、なんで毎回うちに来るの」
「分かってる癖にいちいち訊いてくるところが本当性格悪いよね、君」
「臨也に言われたくないなー」
辛辣な悪口にも動じず、あはは、と何が可笑しいのかカラカラと笑いだす。終始ヘラヘラしている彼女に、無意識な苛立ちが募っていくのを感じた臨也は、腹立たしさを隠しもせずに大きく舌打ちをした。
「――で、臨也はこれからロープに火をつけに行くんでしょ?」
しかし、そのストレートな怒りにも反応せず、あろうことかスルーして自分の質問を口にする。ころころと話題を変えて、彼女は相手の反応を窺う。
「…………その前にやることがあるから来たんだろ。全く、紀田正臣もタイミング悪く訪れて来たもんだよ」
「急いでる感じだったね」
「ああ。だから俺もこれから忙しくなる」
淡々と吐き捨て、そっけなく目を逸らす臨也に、彼女はニヤリと口元を持ち上げて、問いかける。見る人が見れば、それは臨也が常時浮かべてるはずの怪しげな笑みによく似た――
「それで、今夜なんだ」
距離を縮め、それこそ唇同士が触れそうなくらいの位置まで近づくと、浮かべた笑顔を更に濃いものに変える。余裕に溢れたの顔を溜息混じりに見つめると、臨也はまたも露骨に声を尖らせる。
「……君のその腹立つ表情見てると、つくづく人間から性欲というものがなくなればいいのにと思うよ」
「そんなことになったら臨也の大好きな人類が滅んじゃうよ?」
一向に機嫌が良くならない臨也とは反対に、笑みを絶やさないは、いたずらっ子っぽく目を細めるとそのまま目の前にある臨也の唇に自分の唇を重ねる。臨也は特に抵抗することもなく、大人しくそれを受け入れる。
「私じゃないとダメなんだったら、素直になりなよ。ね?」
「今までの言葉が全部照れ隠しに聞こえてただなんて凄いね」
呆れる。と、どんな皮肉も意に介さないを見下しつつ、体を密着させている彼女から離れる。静雄ほど憎悪を抱く相手ではないが、臨也にとっての存在は忌々しいものに違いない。その事を自覚しながらも、心のどこか奥底では彼女を求めているのも事実で、そんな自分に毎回苛立ちを覚える。認めたくない依存関係。臨也とを繋いでいるのは、純粋な愛からは遠くかけ離れた歪んだ恋情だった。
「じゃ、私先にシャワー浴びてくるねー」
軽い調子でひらひらと手を振って部屋から出ていくを目で追うと、ドアが閉まると同時に舌を打った。
嫌悪とワルツを。