「……あの、」


頬を撫でる自分の髪がくすぐったい。小さく身動ぎをして隣にいる人物を見やると、眼鏡越しの優しげな瞳と視線が合った。
穏やかに垂れた目尻と、温かな陽だまりのような色をした両目。ネイビーのふわふわと波を打つ髪型も加わって、全体的に柔和な雰囲気を漂わせている青年――青葉つむぎは、の長い髪を愛おしげに弄びながら居心地良さそうに微笑みを浮かべていた。


「はい。どうしました?」
「……飽きないですね」
「そうですね。とても触り心地がよくて」


ふふ、と嬉しそうな声を零して、長い指で髪をくるくると巻く。すぐにハラりと解けては、再びそれをすくいあげて手中におさめる、という動作を繰り返し繰り返し行っていれば、が訝しげな声をあげるのも当然な訳で。
しかし当のつむぎはお構いなしに、しっかりと手入れがされたの髪の中に指を入れる。


「ああ、やめて欲しいなら遠慮なく言ってくださいね」
「えっ、い、いえ……そういうわけではないんですが」
「ではもう少しの間。触られていてください」


口では制止されることも構わないと言いつつも、手の動きが止まることはない。
基本的に腰が低いつむぎが珍しく引く様子がない光景に物珍しさを感じながら、は途中まで読み進めていた本に向き直る。
読書の妨害とまではいかないが、仮にも先輩であるつむぎに全く気を遣わないこともなく。
意図が窺い知れないまま、大人しくされるがままになることしか今のにはできない。


借りていた本を返すついでに、また新しく何冊か調達しようと図書室にやってきたのが全ての始まりだ。
時間もあったので、てきとうに興味がそそられた一冊を手にとって椅子に座ると、すぐにこちらに気づいたつむぎが隣にやってきて、にこやかに話しかけてきたのだ。

ちゃんこんにちは。今日はどんな本を借りに来たんですか?』

そのままごく自然な流れで会話をしているうちに、いつのまにやら髪に手が伸びていて。
普通ならびっくりして距離をとるなりしてもいいのだが――も夢ノ咲学院に転校してきて早数ヵ月。
スキンシップのハードルが低い男子たちに囲まれすぎたのか、髪の毛を触られる程度では動じなくなっていた。
初対面の相手ならそれなりに警戒していただろうが、ある程度気を許していて、尚且つ悪意がない相手となれば強い不審感は抱かない。


「ほら、俺は出遅れちゃいましたから」
「……?」
「みんなが大好きなちゃんと一緒にいられる時間を独り占め、なんて簡単にできることではないでしょう?」


巻かれていた髪が指から離れる。
若干沈んだ声色。
一度では理解できなかった言葉の意味を尋ねようと再びが横に顔を向けると、そこにいるのは相変わらずにこにこと笑っている、つむぎの姿。


「それに、君の周りにいる人たちに比べれば、まだ俺は控えめなほうかと」
「……先輩?」
「あはは、ごめんなさい。……初めて会ったのも、いつも話す場所もここだし、これからもたまに図書室に来てくれると嬉しいです。邪魔してすみません」


ゆったりと喋っていながら、どこか隙を与えない口調。ぽかんとするに微笑を返すと、直後、ハッとしたようにつむぎの表情が変わる。


「髪型も、ちょっと乱れちゃいましたね」


そう言って少し距離を縮めると、腕を伸ばしての髪の毛を手櫛で軽くとかす。毛先まで指が引っ掛かることがない、さらさらの長髪。おまけにシャンプーの良い香りが彼女を魅力の一部として引き立てている。男子校には本来なかったはずの匂いに思考が酔いそうになるが、そんな考えはおくびにも出さない。
目についた、胸の前にかかって本の上に短い川を作っている一房の髪を持ち、耳にかけると、「……うん」と満足げな顔をしてから腰を上げた。
廊下に繋がるドアに一瞥を投げて、上からを眺めると、ぽんぽんと優しく頭を撫でてからその場を去る。


「本を読むときは、髪を結ぶのもいいかもしれませんね」


散々自分で弄んでおきながら、と思いつつも。読書家な彼女に最後に告げ、静かな図書室に扉を開ける音を鳴らす。
頭上に疑問符が残ったまま手を振って見送ったに、このあと一部始終を見ていた夏目が突撃するのは、また別の話。



「あのひと、やけに君に積極的じゃなかったカ?」
「う、うん。どうしたんだろうね」
(ゆ、油断できなイ……!!)