綺麗にシーツが敷かれたベッドへ勢いよくダイブする。
今日も今日とて、迷宮を駆け回り体はくたくたに疲れている。このまま何もせずに横になっていたら、すぐにでも夢の世界へ旅立てそうだ。
夕飯もシャワーも済ませたし、あとは明日に備えて眠るだけ。生徒会の足の役割を担う身として、体力はしっかりと蓄えておかないといけない。枕に頬を寄せて完全に寝る姿勢に入ろうとすると、同じベッドに腰かけていたアーチャーが、読んでいた本を閉じて盛大に溜め息をついた。


「一日の終わりまで元気なのは結構なことだが、もう少し落ち着いていられないのかね、君は」
「んー……」
「布団も下敷きにしてるじゃないか。まったく……」


せめて掛け布団の中に入れと言わんばかりの視線をわたしに送りながら、自らも就寝の準備に入るアーチャー。彼が一緒にいなかったらわたしは間違いなく、この大胆かつだらしない格好で寝オチしていただろう。
夜の個室に、ベッドの上で、年上の男の人と二人きり……というシチュエーションにも、特段緊張を覚えなくなってきたのはいつからだったか。
毎日が新しい展開と戦闘の連続で、身体的な疲労に気を遣うことのほうが優先されつつあるのが大きな原因か。いつでも傍にいて守ってくれるアーチャーの包容力に安心しきっているのもあるけれど。


「……」


体勢を整えて布団の中に潜り込むと、本格的に睡魔が襲ってきた。アーチャーが隣で横になったのを、ベッドが軋む音で把握する。
月の裏側では季節感が色濃く反映されてはいないが、わたしの体は温かさを求めて彼のほうへ自然と距離を詰めにいく。厚い胸板に触れると同時に、アーチャーの腕がわたしの背中にまわって、そのまま優しい力で引き寄せられる。
穏やかな、いつもの夜だ。




「…………ん、」


マイルームの明かりも落とされた暗闇の中、ゆっくりと意識が覚醒する。数回瞬きをして、まだ重い瞼を開く。――広がるのは、音のない夜の空間。
満足に睡眠をとった実感もないうえ、触れ合っているアーチャーは静かに寝息を立てている。――日付の概念もない月の裏側だけど、この感覚にはすぐに思い当たった。¨深夜何気なく目が覚めてしまった¨というソレだろう。
疲れも自覚していた分、最近はぐっすり眠れていただけに、中途半端な目覚めは気分がよくない。だからといって気持ちを紛らわせる手段も思い付かず、ぼんやりとした頭はうまくまわらない。


「…………」


とりあえず、このまま起きていても時間を持て余すだけだし、端末に連絡が入るまで、あと数時間もう一眠りしよう。
アーチャーの首筋に顔を埋め、二度寝の姿勢。――――と、再び目を閉じたそのときだった。


「っ!?」


部屋の外で、ガタン! と何かが倒れたようなぶつかったような音が響いた。静寂が横たわる中で耳に届いたその音は、沈みかけていたわたしの思考を浮上させるのには充分だった。心臓が跳ね、ドクドクと心拍数が上がっていく。
どうやら、壁の向こうのすぐ近くで鳴ったみたいだ。――エリザベートやアルターエゴと対峙した時とは、また違った緊張感に全身が包まれる。
自然な物音だろうか? レオたちマスターとサーヴァントも今は各々の部屋で休んでるはずだ。壁に立て掛けてある掃除用具がバランスを崩したとか、そんなところだろう。この頃、ガトーがよくトイレ掃除を命令されてるし。
…………。
……………………。
………………………………そういえば。
わたしたちのマイルームの丁度隣が、男子トイレと女子トイレだったような……。
――夜の学校。古めかしい木造校舎。物音がした場所にある、すぐ近くのトイレ。
考えれば考えるほど嫌な予感が胸をよぎるが、これはあまりにも¨状況¨が揃っている気がする。そう、俗に言う、


「幽霊……」


口にした途端、背筋に悪寒が走って、思わず力いっぱいアーチャーに抱きつく。
落ち着け。ここはマイルーム。他のマスターやBBでさえ介入できない絶対不可侵領域。わたしとアーチャーだけが入れる場所。…………実体のない相手にも適用されるかどうかは分からないが。……大丈夫、なはず。いや、でもどうなんだ?サーヴァントでもアルターエゴでもない相手って……。


「ア、アーチャー」


何の確証もないのに、恐怖を煽る想像ばかりが脳内を駆け巡っていく。
率直に言ってしまえば、怖い。
一度そういう発想に至ってしまうと、何事もなかったかのように二度寝するなんてできない。
生徒会の皆の起床時間まで、恐怖を感じながら起き続けているのも苦痛だ。せめて、物音の原因を突き止めたい。
ここは、少々心苦しいけど……。


「アーチャー、起きて。アーチャー」
「……ん、…………マスター……?」
「ちょっと、ついて来て欲しい」


眠い目を擦りながら起き上がったアーチャーに、事情を説明する。
気持ちよく眠っていたところを無理やり目覚めさせられたにもかかわらず、話を聞いたアーチャーは、真剣な面持ちで「分かった」と頷いてくれた。
……わたしがものすごく弱々しい声をしていたからかもしれない。お小言のひとつもなしに、先に布団から抜け出したアーチャーは、スタスタとドアの前へ向かった。


「手早く確認するぞ。なんなら、君はここに残って、私だけで行ってきてもいいが」
「い、いや、わたしも行く……!」


今の精神状態で一人きりになるのは避けたい。
慌ててベッドから降りて駆け寄ると、アーチャーの太い腕に力いっぱいにしがみつく。若干情けない姿になってるが、そこに気を遣う余裕は現在ない。
アーチャーが何か言いたげにわたしを凝視しているけど、この場だけ見逃して欲しい……。


「……霊が怖い、のか」


――――うん。
分かってる。分かっている。一般的に認知されている霊と在り方は異なるといえど、¨死者¨という存在で、¨霊体¨であるサーヴァントを傍らに、ビビりながら幽霊(仮)探索に乗り出そうとしているのだ。
突っ込む人がいれば、とっくに突っ込まれてるだろうことは理解している。


「この校舎でそういった噂を聞いたことはないが、一応用心しておくか。君のためにもな」
「う、うん」
「しかし、校舎が丸ごと夜中になっているわけでもあるまいし、怖がりすぎではないかね?」
「えっ」
「ん?」


んん?
――飛び交う疑問符。思わず顔を見合わせる。アーチャーもぽかん、と口を開けているけど、わたしもきっと同じ表情をしている。
一瞬アーチャーの言ってることが飲み込めなかったが、数秒間、言葉を反芻してハッとした。
そのまま勢いで、半分恐怖も忘れて目の前のドアノブに手をかけ、


「――――――」


視界に広がる、夕日の明るさに目を細める。
そうだ、ここは。
ずっと夕刻の世界。陽が昇ることも落ちることもない、夕暮れの中にある旧校舎。
休息に入った際のマイルームの設定が¨夜¨になっているのは、この校舎から切り離されたプライベート空間ゆえの特権……だという話を、確かここに来た当初、部屋を用意した桜から聞いた。生活していくうえでの日常感覚を、最低限保つための機能だろう。……そう解釈している。
リソースの関係で、毎日毎日、時間帯を再現した景色を校舎全体に適用するのは難しいらしいから、マイルームの外は当然、いつもの夕焼け空が展開されているんだった。
すっかり失念していた。


「どうした? 君が先導してくれるのか?」


一歩を踏み出して廊下に出る。……ああ、なんだか、一気に冷静になってきた。肩の力も抜けて、緊迫感からも解放されていく気がする。
眼前に不気味な闇が広がっていないだけで、自分でも驚くほど早く平静を取り戻した。


「なんていうか、勘違いっていうか、忘れてたっていうか……」
「何がだ」
「夜が再現されてるのは、マイルームだけだったね」
「…………」
「はい……」


完全にわたしのうっかりです。
ひとつだけ言い訳をするなら、月の裏側のこの環境が特殊すぎて、未だに慣れきっていないから、少々多目にみて欲しい。と、主張したいところなんだけど。
強引にアーチャーを起こした事実がある手前、さっきよりも増して罪悪感が強くなっていく。
視線を泳がせるわたしの前で、アーチャーは小さく肩を竦めて溜め息をついた。「今後は、先走る感情に囚われないことだな」ごもっともである。肝に命じます。


「ともあれ、せっかく君が起こしてくれたことだしな。例の音とやらの発生源だけでも、確かめておくか」


いつもの皮肉も数倍増しで心に刺さる。が、いつまでもこの場でうだうだしている場合ではない。
物が倒れただけというオチを期待して、さっさと原因を突き止めて、二度寝でもしよう。

この校舎の御手洗いは、中で男子と女子に別れている。どちらから音がしたのかは分からないから、順番に中の様子を見ていく。
夕日が射し込んでるだけで明かりはついていないので中は若干薄暗く、ズカズカと入っていくのには抵抗がある。
こういうのは勢いが大事だともいうが、小心者は常に慎重プレイだ。

大抵、学校の怪談や都市伝説として語られる舞台は女子トイレ。情けない話、いざとなると心の準備が整っていないので手前の男子トイレから先にお邪魔することにする。
何かあったら対処をお願いねと視線に込めつつ、後ろにアーチャーがいることを再三確認。そして、意を決して中に踏み込む。
――と、同時に。


「ひっ……!!」
「む」


奥の個室からガタン!と、マイルームで聞いたものと同じ音が響いた。それだけで体は反射的に跳ね、一度落ち着いたはずの心臓も動きを速めて。再び恐怖が襲ってきたのも束の間。次には、その個室から黒い影のような塊が¨ぬっ¨と姿を現し――――


「マスター!?」


迷うまでもなく。¨それ¨を目視した瞬間、断末魔のごとき悲鳴をあげながら、わたしはその場から背中を向けて全力逃走。アーチャーの呼び止めも無視して、勢い任せにマイルームへ飛び込んだ。


「な、なんだ……!?」


一方、現場では。
わたしの叫び声に驚き、辺りを警戒しながらトイレの個室から出てきた黒い影が――入口にいるアーチャーと唐突な対面を果していた。


「――ユリウス?」
「……のアーチャー、か?」


一瞬身体を構えはしたものの、お互いを認識すると、スッと肩の力を抜く両者。状況が飲み込めていない黒い影――もといユリウスを見て、すぐに事態を把握したアーチャーは、どこから説明したものかと頭を悩ませる。
なんともいえない沈黙が訪れる。


「……その、なんだ、ユリウス。いきなりですまないが、その手に持っているのは」
「これか? 見てもらえば分かると思うが、掃除用具だ」
「担当なのか?」
「いや、普段は違うのだがレオの命でな。眠る前に『兄さんも暇なら掃除でもしてきてくれます? 似合いますよきっと』と」
「では、物音をたてていたのも」
「物音? ああ……ここのトイレは思ったより狭いからな。道具を持って掃除をするとなると、度々辺りにぶつけてしまったが……」


自らの推測の答え合わせをするように、質問を投げ掛けるアーチャー。ユリウスは頭上に疑問符を浮かべながらも、淡々と経緯を説明した。
――いわゆる雑用係。
ユリウスにトイレ掃除が似合うかどうかは置いておいて、夜行性(っぽい)彼を上手く利用したのだろう。レオは。


「……そうか。驚かせてすまない。うちのマスターが、マイルームの隣から音がしたから確かめたいと言ってな。てっきり幽霊か何かだと思い込んで、あの様だよ」
「なるほど……あの悲鳴は、そうか……。それは、悪いことをしたな」


ユリウスに非はない。恨むべきは、侵入者の存在を完全にカットする性能がありながら、外部からの音は案外入り込みやすいマイルームの壁だろう。薄いとも言う。モデルが古い校舎という構造上、仕方ないのだろうけど。
それに、どちらかといえば叫んだ時点でわたしのほうが相手を驚かせてしまったに違いない。
――――事実、わたしの悲鳴は旧校舎中に響き渡っていたらしく。各々の部屋で休んでいたマスターたちが血相を変えて廊下に飛び出してきていた事を、この時のわたしはまだ知らなかった。




『一階まで聞こえてきたッスからね〜、なかなかの絶叫っぷりだったッスよ』


翌朝、生徒会室にて。
ブリーフィングが始まるより先に、夜中の事件についての話になった。マイルームに籠ったわたしに代わり、あの場でアーチャーが状況解説をしてくれたらしいので、事の一部始終は皆把握している。
今朝の自分は生徒会室に入って開口一番、謝罪を口にしたが、音声参加でいじってくるジナコや、呆れる凛たちの視線を浴びてすっかり肩身が狭くなっていた。まあ、自業自得みたいなものなのだが。

ユリウスは少し同情を交えた眼差しを向けてくれているが、隣にいるレオにいたっては未だに意地悪な笑みが顔に浮かんでいる。
この生徒会長、朝わたしを見るなり『昨晩は大変だったみたいですね……ぷぷ』と明らかに楽しんでる様子だったのだ。今後当分はこのネタでつつかれると思うと気が重いが、しがないお使い係は口をはさめないのであった。無念。
はあ、と溜め息をつくと、背後で霊体化を解いたアーチャーがフッと鼻をならした。


「まあ、こうなってしまった分、前向きに考えたまえ。君の今回の失態は、笑い話で終わったわけだ」
「ただの黒歴史だよね」
「よかったな。持ちネタができたぞ」
「めちゃくちゃだ!」