肘を支えにして手の平に置いていた頭が、ガクンとずり落ちる。
反動で一瞬眠気が完全に吹っ飛ぶが、またすぐに意識は遠くなっていく。重い瞼を開けるのも億劫になり本能に身を任せていると、こんなことが幾度となく続いていく。何回目だとか、もう何分経ったとか、そもそも今自分は業務中なのでは?とか、振り返って思考する理性もないままに、再び現実から遠ざかろうとすると――


「本日の仕事は終了でいいのかね」


ぶっきらぼうな低い声が近くで響いた。その呼び掛けが自分に向けられているものだと気付き、返答の為になんとか睡魔を打ち払う。夢の国に続く扉を自ら閉ざしながら、今しがたの言葉を噛み砕く。声の主である赤い外套の男性――アーチャーは、こちらの座る玉座に背を預けて退屈そうに腕を組んでいた。


「今日の、仕事……」


まだぼんやりする頭を稼働させて状況を整理する。
確か――NPCや地上から移住してきた人間たちが住まう地区。そこから程遠くない森に不可解な生物の生息が確認された――とのことで、その対応にあたってもらう為にアーチャーを呼び出したんだった。
平穏が訪れたSE.RA.PHには、現在多くの人々が暮らしている。とはいってもまだまだ発展途上の段階なので、色々と課題は山積みだ。今回の件にしても、謎の生物が住宅地に危害を加える可能性を考慮してのものだ。少し前には、¨尻尾が蛇で背中に山羊が生えていた¨生物もどこかにいたようだし、SE.RA.PHの環境についてはまだまだ未知の世界が広がっている。

そんな事情を説明する前に、アーチャーにはいくつか雑務もこなしてもらっていたのだが、どうやら自分はその間に舟を漕ぎだしたらしい。
大抵いつも傍らにいるセイバーはローマ領域の改装に出向いており、キャスターはアルテラと共に昼食の買い出しに行っている。
賑やかな二人が周りにいないだけで、場はかなり静かになるものだ。おまけにこの仰々しい玉座は座り心地が最高で、体重を預けていると、こう、思わずうとうとと…………。
どれくらいの時間、アーチャーを放置してしまってたかは分からないが、待たせてしまったことにかわりはない。こちらに背を向けているので表情は読めないものの、呆れているだろうことは理解できる。自分を責めるより先にここは迅速に指示を出さなければ……。


「えっと、ぼうっとしててごめんなさい。とりあえず説明する」


慌ててそう言うと、アーチャーは玉座の前に移動してきた。その立ち姿と目付きは彼を知らない人が見れば、何者も無条件に突っぱねるような印象を受ける(し、現在失態をしてしまった自分からしても少し気まずい雰囲気は感じる)が、急な呼び出しに真面目に応じてくれる優しいサーヴァントなのだ。
自分とはあまり交流をしたことはないが、セイバーの配下として最後まで共に戦ってくれた。それだけで信頼に足る人物である。


一通り説明を終えると、アーチャーは短く「了解した」と首を縦に振ってくれた。
――なんとなく。自分が抱くイメージとして、そのまま目的地に直行するのかと思いきや。アーチャーはこちらにじっと視線を注いできた。


「疲れでも溜まっているのか?」
「えっ?」
「先程の居眠りに加え、心なしか覇気がないように見えるが」
「そ、そうかな? とくに……いつも通りだけど」


ムーンセルの王権を握る立場として無論やらなければならない事はたくさんあるが、セイバーやキャスターを中心に周りから支えられてるし、日々の業務は苦痛ではない。ので、嘘は言っていない。居眠りに関しても、昨晩は少しだけ寝るのが遅かったから、きっとそのせいだ。
突然の指摘に驚きつつ、アーチャーの思い込みだよと笑って流そうとしたが、彼の真剣な面持ちを前に言葉に詰まってしまう。――ただの何気ない会話になるかと思ったけど……もしかして、もしかしなくても、心配されている?
どう返したものかと返答に迷っていると、不意にアーチャーが口端を上げた。


「――確かに。君の間が抜けた表情は、そう珍しくはなかったな」
「……はい?」
「いや、なに。新王が昼寝をかます余裕があるのは結構なことだ。SE.RA.PHも暫くは安泰だろうさ」
「な、」


なんだ突然――――!!
嫌味!十中八九嫌味だこれ!真面目な空気を感じ取ったから一歩引いてみた自分が馬鹿みたいだ……!
澄まし顔でこちらを見下ろしてくるアーチャーを軽く睨む。
そりゃあ確かに、いつでも人前では威風堂々とした態度を崩さず、実際生前は皇帝として君臨していたセイバーと比べれば、自分なんかがこんな立場にいる器ではないことくらい分かっている。そんな彼女のマスターとして、そしてSE.RA.PHを統治する者として、充分な振る舞いができているかどうかも、胸を張って主張はできない。今しがたの態度だって、かなり気を抜いてしまっていたことは反省する。――が、この弓兵の言い回しは何故こうも相手を煽る事に特化しているのか。


「どうした? 眉間に皺が寄っているぞ、
「……この皮肉屋」
「それはどうも。人が頼まれた仕事をこなす傍らで、気持ち良さそうに昼寝をする気ままな依頼者を見ていると、つい」
「うっ……。だから、それは――――ああ、もう!!」


罪悪感と悔しさでない交ぜになって、単語を口にすることすらできなくなる。
ヴェルバーの一件で共闘した時はこんなに話す機会もなかったが、この英霊と口喧嘩をする事だけは避けたほうがいいと本能が告げている。
やり場のない鬱憤に似た感情をどう吐き出したもんかと不貞腐れていると、またもアーチャーは口元を緩めた。――――しかし、今度は。強面の顔に浮かんだのは不敵な笑みではなく、尊い何かを見守るように優しい微笑みで、


「――ああ。やはり君は俯いているより、そうやって顔を上げていたほうがいい」


ほんの、一瞬。
呼吸の仕方を忘れて、息が詰まる。ぷつん、と線が切れたみたいに、ごちゃごちゃとした頭の中が空っぽになる。瞬きをやめた両目は、世界から彼だけを切り取ったように釘付けになる。
ほんの、一瞬。


「そ、そう……? 」


きっと、三秒にも満たない時間。
紡がれた言葉の意味を理解するより先に、感じ入るものがあったと言わんばかりに。わたしの全身が¨わたし¨に何かを訴えているが、沸き上がってくる熱の名前が分からず、曖昧な返事だけが口をついて出る。
ただ一つ解ることといえば、速度をあげるこの心臓の鼓動が、淡い想いの始まりなどではなく――どこかの誰かに向けられた、喪失感を纏った、何かで。この場にいない、どこかの誰かが受け止めるはずだった、もののような。そんな、出発点も終点も自分には不明な¨焦り¨だということだけが、理解できた。

しかし、今彼の目の前にいるのは紛れもなく自分だ。
俯いていたのは――アーチャーを呼び出した側なのに、危うく仕事を放棄しつつあった自責から、自分でも気づかないうちに視線を逸らし続けていたらしい。
では、きっと。あの嫌味もわたしをカッとさせた反動で前を向かせるためのものだったのか。そう考えれば筋が通ってるといえなくもないが、あの言動自体は演技だとは思えない……。うん。


「ああ。なのでこれからは――ふむ。まずは生活管理をしっかりとだな……」
「わ、分かってる! 今後はき、気をつけます!」
「威勢がいいな。期待しているぞ。以前はいきなり不調を訴えたりしたそうじゃないか。その度に肝が冷えたとセイバーが言っていた」
「あ……あれは、別件というか」
「体が資本だからな。SE.RA.PHには私も含め、多くの英霊が残っている。君が手を貸して欲しいと頼めば、皆喜んで助けになってくれるだろうさ」
「うん。それは、有り難い」
「だから、くれぐれも君は新王という立場に一人で重荷を背負うことなく……」


終わらない。かなりの世話焼きで他人を放っておけない性格だとはクー・フーリンから聞いていたが、終わらない。
聞き流すのも悪いのでちゃんと耳に入れるが、これではまるで母親の話にうんうんと頷く子供のようだ……。


「――む。長くなってしまったな。以上だ。私もそろそろ、与えられた役目をこなさなければ」
「はい……。頑張って……」


とりあえず、否定したり揚げ足をとったりせずに大人しく聞いていたが、かなり長かった。
その分自分を気遣ってくれていることが窺えて、嬉しかったのは事実だけど。
言いたいことを言い終えると、アーチャーはくるりと踵を返して玉座から遠ざかる。彼の動きに合わせてひらりと揺れた赤い外套の動きを、なんとなく観察していると、


「では行ってくる。私が帰還するまでの間なら、昼寝をしていて構わない」
「起・き・て・ま・す!」
「そうか。なら、なるべく迅速に片付けてくるとしよう」


最後まで変わらない調子で首だけをこちらに向けてそう言ってから、転移で姿を消すアーチャー。
以前までの陣取り合戦とは趣の違う、市民の平穏を守ってくれという小さなヒーロー活動みたいなものだが、あの英霊ならきっと上手くやってくれるだろう。

ひとつ、大きな伸びをする。
――ああ、そういえば。当初からセイバーも訝しんでいたけど。月の聖杯戦争において、自分もあのアーチャーの姿を確認したことはなかった。だから、彼のマスターについては何も知らないし、話題を切り出さない限り知る由もない。
しかし。現在ムーンセルの王権を所持していて、彼のマスターという立場にも近い自分に対しても、あの上から目線な姿勢なのだ。
アーチャーと共に聖杯戦争を戦ったマスターは毎日彼とコミュニケーションを図っていただろうし、さぞ大変な日々を過ごしたことだろう。――なんとなく、興味がわいてきたので、任務から帰ってきた時にでも、ちょっと探りを入れてみようか。

外から、キャスターとアルテラの賑やかな声が近づいてくる。
穏やかな昼下がりの午後に、一時の平和を噛み締める。