無機質な電子音が頭上で鳴り響く。
部屋の主を起こすために必死で叫び続けるも、当の私は頭まで布団に潜って知らぬフリ。睡眠から覚めるどころか、煩わしい音から逃れるためにさらに深くに身を埋める。
あと五分。あと、五分はいけるはず……。けたたましく鳴く目覚まし時計を止める気も起きず、一秒でも長くベッドにいることだけに執着した頭は、そのまま現から意識を遠ざけて――――
「――やっばい!!」
自分の体温で良い感じに温まった布団の気持ちよさは、この世の何物にも勝る引きこもり兵器である。うっかり二度寝をしてしまってから慌てて目を覚ますと、本来の起床予定時刻から、大幅に時を刻んだ時計の針が目に入り、文字通り飛び起きて朝支度を整え始める。
恥ずかしい話、こんなことは珍しくない。
特に冬場なんかは、寒くてなかなか布団から出られない。どんなに対策をしても容赦なくやってくる寒波には逆らえないのだ。おまけに制服の下はスカートだし、厚着も何もあったものじゃない。できる限りの手は尽くすが、それにも限界ってもんがある。
いつもの順番で、いつも通りに準備を済ませる。
この頃はクラスのみんなもしっかりと手袋やマフラーを装備してきているし、通学路で見かける生徒たちも、冬に備えた野性動物みたいにもこもこしている。
これからもっと気温が下がると聞いたときは絶望したけど、それはそれとして、一枚下に着るものを増やそうかなあ……。
ぼんやりと今後のことを考えつつ、支度と朝食を終えて玄関に向かう。授業のこととか、お昼のこととか、友達のこととか、そんな当たり障りのない日常が待つ場所に、今日も。
「………………あれ、」
視界に広がるのは真っ白な天井。何度か瞬きをしてから、ゆっくりと上半身を起こす。
随分と懐かしい夢を見ていたようだ。昔のことのようで――事実そんなに時は流れていないような。けれど、どんなに離れた異国よりも、どんなに過去の時代よりも、ずっと遠い場所にあると思える風景だ。
暫くベッドの上でぼうっとしていたが、何もやることがないのもアレなので、マイルームから出て食堂を目指す。どうせならこのまま朝ご飯にしてしまおう。
ラフな部屋着の上に一枚羽織ってから、廊下を歩きだす。冷暖房が完備されているので、寒さも暑さも極端に感じることはないのがカルデアのいい所だ。朝すんなりベッドから出られるかどうかは、結構重要である。
いつもなら職員の人とすれ違ったり、同じく朝食をとりに行くサーヴァントとも顔を合わせたりするのだけど、今日に限って誰とも会わない。
静かなカルデアの様子に少しそわそわしながら通路の角を曲がると――そこで、やっと今朝一人目の顔に出会った。
「あら、」
「――イシュタル?」
「おはよう。相変わらずのんびりした顔ね」
目覚めには気持ちの良いソプラノボイスで話しかけてきたのは、女神イシュタル。
しかし、彼女の性格をそのまま表したみたいに、いつでも自信に満ち溢れているはずの声は、どこか気力のない風に聞こえた。挨拶を返したあとにそれを指摘すると、「ああ、どうも朝は調子が出ないのよ」と気だるげな答えが返ってきた。夜はシミュレーターに籠っていたらしく、それが想像以上に長引いて、今からマイルームに戻るところらしい。
なかなか珍しい姿を見たなと思いつつ、心なしか浮力も弱いイシュタルを眺めていると、いきなりズイっと距離を縮められた。
「それより」
「?」
「アナタこそ、どうしたのよ。随分と朝早いじゃない。カルデアを通じた緊急事態もここ暫くはないし、何もない日くらいゆっくり寝ていればいいのに――唯一のマスターなんだし、自分の体にはしっかり気を配りなさいよね」
「早い……?」
言われて、時間も確かめずに出てきたことに気が付く。何時なのかは分からないが、誰にも会わなかったのは、もしかしてそのせいか。
語気を強めたイシュタルの口調は、しかし、私を気遣ってくれていることが読み取れて、少し嬉しくなる。誤解をさせたままなのは悪いので、素直にここにいる理由を話す。
「いや、なんか変な夢みて起きちゃって。眠気も飛んだし、このまま朝ごはんでも食べに行こうかと思ったんだけど」
「ふーん……」
「ほ、ほんとほんと! 時間を確かめるのを忘れて、そのまま出てきただけで……」
「今、5時よ」
「えっ!?」
想像していたより、ずっと早起きだった。今まで、自然にこんな時間に目覚めたことはほとんどないので、自分の体内時計を無意識に信じきっていた……。
不信を詰め込んだイシュタルの視線も、私が素で驚いたことによって、その気配を消す。
「食堂もまだ準備すら始まってないはずよ。二度寝でもしてきたら?」
「うええ……まじかあ」
「そんなにお腹が減ってるの?」
「んー、というより、ただ単に部屋にいてもやることがないというか。また眠って同じ夢みちゃってもなって感じで」
ついさっき、みたばかりの夢を思い出す。
恐怖を抱くような内容でも、昔の嫌な記憶が再生されたわけでもない。普段忘れている分、無意識の中でふと垣間見たような、なんでもない日の夢だった。
もう一度浸ってみてもいいかなという気持ちと、無意味なだけの無い物ねだりが増すからやめておいたほうがいい、という理性が交錯して感情がぐるぐるに絡まる。
要は、ほんの少し、しんどくなるのだ。
「なに。怖い夢でもみたの?」
「……なんだろ。説明が難しい、けど、」
「気は進まないって感じね。余計な提案だったかもしれないのは謝るわ」
「う、ううんっ、全然!」
一切悪気は感じられなかったから、謝罪されるとなんだか申し訳なくなる。彼女もできるだけ早くマイルームに戻りたいだろうに、こんな場所で会話に付き合ってくれて、こちらの心配までしてくれる――むしろ私がお礼を言うべき立場だ。
なんとなく、心が軽くなる。今は環境こそ大幅に変わってしまったし、過去に置いてきたままのモノも多いが、新しく得たものもたくさんある。
イシュタルはもちろん、数々の特異点で縁を結んだ英霊たち。カルデアに来てからも、傍で支えてくれる彼らの存在は何にも代え難い。
未熟で、周りからの協力がなければここまでくることもできなかった私だけど、彼らとの繋がりを手にしたのは自分の力でもある。
その事実がある限り、私はまだ生きていける。
「話してたら元気出てきたし、 せっかくだから自分で何か適当に作って食べるよ」
「そう?――じゃ、私はそろそろ戻るわね。厨房の材料を使うなら気を付けなさいよ。雑に扱ったら、あのキッチンの守護者みたいな赤い弓兵がうるさいったら!」
「あははっ――うん。イシュタルも、ゆっくり休んでね。ありがとう」
「あら、私にお礼を言うの? 本当なら捧げ物も一緒に欲しいところだけど……ま、いいわ。じゃあね」
恐らく本音に近い冗談を言いながら、私の隣を横切って行くイシュタル。
その背中を見送ってから、「さて」と自分も食堂を目指す。だいぶ早い朝ごはんになるが、たまには悪くないだろう。
お腹を満たしたあとは、今日のシミュレーターに付き合ってもらうサーヴァントたちの組み合わせでも考えよう。過去の特異点にレイシフトして、その後の様子を見に行くのもいいかもしれない。
一日の始まりに、頭の中ではその日の予定が組上がっていく。すっかり、慣れたものだ。