この学園もだいぶ静かになった。

予選を通過してきた128人のマスターたちも、本選が進んでいくにつれて次々と姿を消していった。一対一のトーナメント戦。勝ち残ることができなかった敗北者には『消滅』即ち『電脳死』の結末が待ち受けるデスゲーム。六日間のモラトリアム後、決戦を終えた瞬間に参加マスターたちの数は半分に減る。それを七回繰り返すことで、月の聖杯を手にする優勝者を決定する。――今は五回戦が終わった直後で、残すマスターの人数はあと四人。
本当に、静かになったと思う。


「…………」


手にしたやきそばパンをひとくち頬張る。濃いソースと素朴なパンの味の組み合わせは癖になる。うん、今日もおいしい。何回食べてもいいものだ。
ここは学園の地下一階。購買部がある食堂だ。最初の頃は多くのマスターが訪れていたここも、今では閑散としている。私はこの場所でロールを与えられたNPCの一人で、名前は。聖杯戦争との直接的な関わりはない。マスターとサーヴァントが死闘を続ける傍らで、毎日決まった位置にいて、当たり障りのない発言や会話をするだけの傍観者である。
大体いつもやきそばパンを食べているのは、あれだ。殺伐とする学園内で、いつでも気ままに食事をするお気楽生徒系NPCがいてもいいだろうと、運営が設定したからだ。上級AIや生徒会とは役割が天と地の差である。……まあ、特段不満はないけれど。

慣れた味を食べ進める。真ん中にトッピングされた紅生姜にたどり着いた。これもまた、アクセントになっておいしいのだ。やきそばは単体でも一つのメニューとして成立する。購買部では見たことがないだけで、世界のどこかには『塩やきそばパン』なるものもあるのだろうか。だとしたら、一度は食べてみたい。ソースは王道だが、塩もやっぱり捨てがたい――。


「そこの雑種」


三分の二を食べ終えたその時だった。すぐ隣から聞こえてきた声に、頭より先に体が反応した。
まるで、蛇が首筋にするりと絡み付いてきたような冷たい声色だった。0と1の塊である肉体が冷えていく感覚。時間をかけて脳で理解せずとも、最低限埋め込まれた"人としての本能"が咄嗟に警鐘を鳴らす。名前も呼ばれていない、目線すら合わせていないが、声の主が話しかけた相手が自分だと分かる。
喧嘩腰な訳でも、怒りを露にしている訳でも、ましてや怒鳴られた訳でもない。しかし、頭上から降ってきた男の言葉は、それだけで人を隷属させるに足る威厳と威圧感を持って、私の意識を凍りつかせていた。


「……。ムーンセルが手ずから用意した人形が、人語を解せぬ道理はあるまい。二度も呼ばせるなよ雑種」
「……私、ですか」


ようやく開いた口からは、渇いた声が出る。恐る恐る首を横にすると――そこにいたのは一人の青年。ゆっくり目線を動かして、その姿を確認する。
細く美しい金糸が寄り集まったかのような金髪。ここは地下なので人工的な明かりしか存在しないが、太陽の下に晒されれば、眩い輝きを放つことは想像するに容易い。それを携えるのは、滑らかな白い肌と、瞳は赤い宝石を嵌め込んだみたいな、彫りの深い顔つき。端整な容貌は、ひとたび目にすれば、その魅力に永劫取りつかれても不思議ではないが――ルビーの双眸に宿った鋭い眼光に見下ろされたら、虜になる前に生物としての防衛本能が悲鳴をあげるだろう。
――つまり、目の前の人物は。私たちNPCや数多くのマスターたちと同じ月海原学園の制服を纏ってはいるが、その本質は全く異なる人物。サーヴァント。それも、通常のサーヴァントとは一線を画する資質を持った、トップレベルの――――否、反則級と表現したほうが正しいかもしれない。詳細こそ垣間見ることができないものの、圧倒的と言う他なかった。


「貴様以外に誰がいる。 聖杯戦争を行う為だけに用意された傀儡と言えど、これ以上の不敬を働くのであれば、ムーンセルの代わりに我自らが手を下す事も吝かではないぞ?」


ぬらりと。蛇が鎌首をもたげるような不穏な雰囲気を醸しながら、物騒なことを口にする男性。あまりに異質なオーラを前にして反応が遅れた私に対し、苛立っているのだろう。
しかし。そんな死刑宣告みたいな言葉を受けても、ここからまた私の恐怖値が上昇することはなかった。それは何故なのかというと――――


「まあ、よい。此度は不問にしてやる。王の有り難き厚情に泣いて感謝せよ」


男性の視線が、途中から私が手にしているやきそばパンに注がれているからだ。物々しい圧力が幾分か薄くなる。仰々しい口調は崩れないまま、どこか好奇心の色が見え隠れする赤い両眼。


「え、あ、ありがとうございま……す……?」


お陰で、僅かに緊張から解放された私にも、思考する余裕ができてくる。……。…………。電脳体は食物を摂取する必要はないが、娯楽として食事を嗜むのとは話が別だ。私やマスターたちはもちろん、それはサーヴァントも変わらないのかもしれない。だとしたら、この食堂にやって来た理由も分かる。いや、でもだったらなんで私なんかに話しかけてきたんだ? しがないNPCいじめが趣味の方だろうか。「……ええと」会話が途切れる。迂闊にこちらからアクションを起こすのも憚られたため、相手の出方を慎重に探る。男性は口を噤んで、真剣な表情でやきそばパンを見つめ続けている。そして。


「――疾く答えよ。雑種、貴様が手にしている¨それ¨はどこで入手した?」


あくまで堂々とした態度のまま、そんなことを訊いてきた。


「あ、あそこの、購買です」


色々と考える前に、奥にある購買部を指差して無理矢理口を動かした。また鈍い反応をしてしまったら、それこそどうなるか分からなかったからだ。想像はつかないが、一言窘められる程度で済むとは思わない。


「ほう」


男性は短い声をあげると、私が指し示した方向へゆらりと歩いていった。
やきそばパンを求める学生服姿の金髪さん(こわい)。うん。フィクション作品なら校内で幅を利かせてるヤンキーさんに違いない。この人の場合、やきそばパンに齧り付いてるより、高そうなステーキにナイフを入れる姿のほうが似合う気がするけど。本当のところ、どこの英霊なんだろう。少し言葉を交わした程度では真名までは辿り着けないが、通常のサーヴァントとは異なるレベルの器を持った人物なことは確かだ。
そして無論、校舎内に生き残っている四人のマスターの誰かが彼と契約していることになる。ここまで人数も減ったら、それも必然的に絞れてくるが――――だからこそ、だ。ここまで勝ち上がってきたマスターとサーヴァントは、誰も彼もが紛れもない実力者であり、強敵だ。今まで以上に油断ならない戦いが繰り広げられるだろうし、マスターたちも自分の手の内はギリギリまで隠しておきたいのが普通だろう。なのに何故か、あの男性は、当たり前のように実体化している。それも一人で。
優勝候補のレオ様が、自身のサーヴァントと連れ立って歩いてるのを見たことはあるが、あれとは違う気がする。今さらだけど、本来常に一緒にいるはずの、マスターはどこに?

残り僅かだったやきそばパンを咀嚼しながら考え事をしていると、隣の椅子がガタリと揺れた。見ると、購買部から帰還した男性が、私のすぐ横に腰を下ろしていた。また、じわじわと心臓が速度をあげる。今度は何を言われるのかと身構えていると、スっと目の前にやきそばパンを差し出された。


「……? あの、」
「取れ」


素っ気ない一言と共に押し付けられる。説明も何もない。相手の意図を汲むのに必死で頭を回転させていると、さっさと受け取れと言わんばかりにさらにグイと突き出された。……もしかして、開けろと? しっかりと巻かれたラップは、販売側の気合いが窺える。しかし、爪さえ立てれば簡単に破れるものだ。特別な力も何も必要ないし、自分でやってしまった方が早いと思うのだけど……。まあ、抗議するのはこちらの精神力が削られるだけだし、黙って従おう。私にとっては、随分慣れたものだし、問題はない。
張り詰めた視線を感じる中で、慎重にラップを剥がしていく。――すごい。この動作だけで手に汗をかきそうになるのって、初めて。

「どうぞ」と、日々の習慣になっているだけあって手際よく剥けたラップを手のひらに握りこみ、やきそばパンだけを男性に渡す。男性は無言でそれを取って見つめると、「なるほど?」とどこか感心した様子になってから、パンを一口頬張った。――それとほぼ同時に。階段から慌ただしい足音が響いてきて食堂の入口に降りてくるやいなや、


「ギルガメッシュ!」


肩で息をしながら声をあげた男子生徒の登場で、私も男性もピタリと動きが止まった。一体何事かと、私の両目は音の発生源である本人を観察し始める。
纏っているのは、月海原学園の制服。それ以外はパッと見、記すほどの特徴がない男子生徒は、一瞬私と同じ運営側――NPCかと思ったけど、左手に刻まれた令呪の存在が、そんな推測を消し飛ばす。
何度か見たことがあるような、ないような。没個性的な私がいうのもなんだが、あまり印象に残っていないので曖昧だ。


「目覚めたか白野。――して、何をそんなに慌てている?」
「寝て起きたらマイルームからギルがいなくなってて、慌てて捜さないはずがないだろう」
「そうか。いや、許せ。表側とやらの散策に興が乗ったのでな」


駆け寄って来た男子生徒と男性のやりとりを、傍で黙って耳に入れる。心なしか、男性の雰囲気と口調が柔らかくなったような。相手に畏怖さえ与えるオーラが、スっと霧散していった感じがする。会話の内容から同じマイルームを出入りしているみたいだし、この男子が、男性のマスターということで間違いないだろう。


「貴様が裏側で食していた¨これ¨は、こちらにもあったのだな」
「……やきそばパン? ギルが好きだとは思わなかった」
「好んだ訳ではない。ただの気紛れにすぎん。事実、なんとも庶民向けの味よな」


私があれだけ萎縮してしまったのが嘘みたいに、ごく普通のトーンで男性に語りかける男子生徒。先程までの私が、蛇に睨まれた蛙に取り憑かれていたのか?と錯覚するくらい、緊張感のない声色。やはり、問いかけるまでもなく彼はこのサーヴァントのマスターだ。
それにしても、金髪さんはやきそばパンが似合わない人だなとは思っていたけど、やっぱりどこか高貴な出の英霊なのかな……。気に入った風でも不快な調子でもなく、淡々と感想を述べると、一口齧ったやきそばパンをじっと眺めたあと――私の顔を見た。


「娘」


バチリと視線が合った直後。私が喉から疑問符を漏らす前に、唇は¨それ¨で塞がれた。「むっ」とくぐもった声が、やきそばパンにぶつかる。


「残りは貴様で処理せよ」


グっと力が加えられて、口内に強引に押し込められそうになる。流石に!流石に半分も食べきってないサイズは入らないから……! 謎の危機感に駆られて、自分の両手でやきそばパンを持ち直す。男性は椅子から立ち上がって、食堂に背を向けた。


「アリーナに出向くとするか? 白野」
「そうだね。トリガーも手っ取り早く回収しておきたいし……」


意見が一致したら早いとばかりに、階段のほうへ歩いていく男性の背へ「まず霊体化してくれ!」と叫んで男子生徒が続こうとする。――歩を進める前に。私に振り返った彼は、少し眉を下げて、ぺこりと会釈をしてからこの場をあとにした。


「…………はあ」


一気に力が抜ける。いつ雷が落ちるか分からない曇天の下に居た気分だった。男子生徒が去り際に見せた表情も、こちらの心労を想像したかのような、同情の色に満ちていた。マスターならしっかりとサーヴァントの手綱を握っていて欲しいと言いたいところだったけど――まあ。
やきそばパンが一個ただで手に入ったのはとてもラッキーだった。悲しいかな、私の思考はこんな事で先程までの恐怖体験をほぼチャラにできてしまえるのだから、なんとも簡単な構造をしている。
優勝者が決まるまであと二週間を切ったが、私がすることは変わらない。変えられないともいうが、それはそれ。聖杯戦争が終結した時には、勝者に気の利いた一言でもかけてみようと思案しつつ、私は私なりの日常を謳歌する。