※ ネタバレ満載
※ ゲームとは演出が違う部分があります
※ ヒロインが裏美術館に迷い込んでイヴとギャリーに出会う話を書きたかっただけなのでオチがありません
ほんの、気まぐれだった。
ただの気分転換で訪れた展覧会で、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
そう嘆かざるを得ない状況に今現在も置かれ続けているは、力なくその場に座り込んだ。
全ての始まりは、言うまでもない、一時的な気まぐれである。
『ワイズ・ゲルテナ』という芸術家の個人展が開かれるという情報を、いつだったか人伝てに耳にした。なんでも彼の作品は人々の目も心も惹きつける、不思議な魅力があるのだという。しかし、その評判に伴わず、知名度はあまり高くないようだ。それでも、ゲルテナの作品に魅せられた者たちにとっては、たとえ小規模であろうと、展覧会の開催は心躍る一大イベントに違いなかった。
そんな少々マニアックな香りがする展覧会に、芸術に疎いが何故足を運んだかというと――――前記の通り、ほんの気まぐれであった。
そもそもには、芸術自体が理解できない。
作者にもよるが、たった一枚の絵画に数千万から数十億もの値がつけられることもあるのだ。
何がどう凄くて、価値のあるものなのか。
それが解らないにとって、(実際、この世には解らない人の方が多いのだが)芸術の世界は謎と神秘に包まれた、文字通り別世界の領域だった。
ゲルテナは絵画だけでなく、オブジェ等も手がける幅広い芸を持った美術家だ。彼が独特の個性を活かし、情熱を注いで完成させた作品は、価値の解る多くの者を惹きつけている。今回の展覧会にも彼の生前の作品を見るために数多くの人がやってきていた。その一方で、ゲルテナの子供達ともいえる作品の数々を、素晴らしいと絶賛する人の隣で首を傾げているような人間のは、展示物に一瞥を投げるだけで、館内を目的もなくブラついていた。
―――変なものばっかりだな
というのが、展覧会の第一の印象。
深海から顔を覗かせる魚の絵はもちろん、首のない三体の女性の像、逆さ吊りにされた男の絵や、巨大なバラのオブジェ。極めつけは――――貴重な展示スペースの壁一面を惜しげもなく使って飾られた、横幅数メートルはあろうかという一枚の絵。あまりの迫力に圧されてか、はその絵を無視して通り過ぎることができなかった。
立ち止まってじっくり眺めてみると、なんとも不気味なことこの上ない。題名に『絶望の世界』とでもつきそうなその絵は、心なしかの中の不安や恐怖といった感情を煽り立てた。
―――なんか、嫌だな
がそう感想を抱いた時には――――――既に館内は静まり返り、人影は一つ残らず消え去っていた。
この時点で"異変"に気づいていれば、彼女の後々の運命は変わっていたのかもしれないが――――の視線は、目の前の絵に磔になったかのように動かない。
―――すごく不気味だ
―――……よく分からないけど、ここから離れよう
本能がただならぬものを察する。
全身に悪寒のようなものが走るのを感じ、素早くその場を離れようと、絵から視線を逸らした、その瞬間。
「!?」
照明の明りが二、三度ほど点滅を繰り返したかと思うと、
「……え?」
急に辺りが真っ暗になり、の視界が闇に塗り替えられる。
停電でも起きたのだろうかと周りを見回してみるが、誰もいない。それどころか人の声らしい声も全くしないのだ。突然のアクシデントに戸惑う客たちの声もなければ、スタッフのアナウンスも一向に流れてくる気配がない。
「な、なに……」
まるで――――自分だけが置いてけぼりをくらったみたいに、館内には人の気配がなかった。絵のせいで沸き立っていた恐怖が、格段に跳ね上がってを内側から襲う。
刹那。
ヒタ、ヒタ、と何者かが歩く足音が、館内を反響しての耳に届く。
暗闇に紛れて聞こえてくる奇妙なそれは、の恐怖値を一気に最大にまで引き上げた。
―――何
―――なに……!?
「―――……ッ!」
訳が分からないまま走り出す。ほとんど咄嗟の行動だった。
駆ける。
薄暗い美術館の通路を全速力で駆け抜け、一目散に出口を目指す。
駆ける。
駆ける。
駆ける。
受け付けまで戻ってきたときには、息は切れ切れに上がってしまっていた。
早くここから出てしまいたい。状況整理よりもそんな気持ちが先立って沸々と湧き上がってくる。
ドアの持ち手に手をかけ、引いてみるが、
「っ……!?な、なんで……」
押しても引いてもドアはガタガタと揺れるだけで、どんなに力を込めても開かない。
静寂が横たわる空間に、ドアの揺れる音だけが虚しく響く。
「なんで――――――」
―――おかしい。
―――どう考えてもおかしい。
「どうなってるの……?」
ドアから手を放し、胸に手をあてて呼吸を整える。
正体不明の足音は、今もどこかを彷徨っているようで、ヒタヒタとおぞましい音を立てている。
高速で脈打つ心臓を押さえながら、ゆっくりを背後を振り返った。
なにもいない。
なにもいなかったのだが。
「……?……!?」
小さな丸い点々が、の足元にいくつも散っていた。それは一直線に、とある展示物まで続いている。
何かの足跡のように見えるが、明らかにのものではない。どうみても子供サイズだ。――――でも変だ。こんな足跡があるということは、の真後ろに何者かがいたことになる。が、そんな気配は一切感じなかった。
「……なにこれ」
靴の裏にペンキ等を塗りたくり、乾いてしまう前に歩き回れば、踏んだ箇所に跡がつく。
まさにそれを実行したかのような形跡だった。
―――……
―――…………どうしよう
唯一の出口が閉ざされてしまってるとなると、今やらなければいけないことは自然と限られてきてしまう。
それはいうまでもなく――――
「ついていけば、いいの?」
気づかなぬ間についていた足跡を辿ってみることだ。
外に出られない。他に手段が思いつかない。ならばいっそ『こっちにおいで。こっちだよ』と誘導するかの如く続いてる足跡に、ついて行ってみるしかない。
ガクガクと震える足を一歩一歩動かし、誘われるがままに歩を進めて行く。
さっきは出口へ向かうので頭が一杯で気に止めていられなかったが、改めて周囲を見回してみると、やはり尋常でない雰囲気が美術館全体に満ちている。窓の外は真っ暗で、深夜に館内に潜り込んだかのような錯覚を覚える。――――来た時は、確かに日が昇っていたのだ。
閉鎖されたというよりは、美術館自体が別の次元に飲み込まれたみたいな――――嫌な感覚がチクチクとの肌を刺す。
かなりの遅歩きの末、辿りついたのは床に描かれた、深海をモチーフにした絵画の前だった。恐らく絵の中では今回の展覧会で二番目に大きいだろう。受付を終えて真っ直ぐ進むと、真っ先にこの絵が出迎えてくれたので、の印象にも強く残っている。
作品を護るロープは一部が切り落とされており、まるでそこが入り口だと言わんばかりに――――――
「……」
足跡はちぎれたロープの前で止まっている。
屈みこんで絵に触ってみると、平らな感触はなく、が触れた部分を中心として、水面が波を打った。
「……本当にどうなってるの」
軽くかき回せば水音を立てる絵は、もはや絵とは言い難い。
別の何かだ。
次々と身に降りかかる怪奇現象に脳が追いつかないおかげで、十分なリアクションがとれない。先ほどまで呑気に絵を観ながらブラブラしていた時間が夢の出来事のように思えてくる。
不思議な絵画の前で、は思索に耽る。
一体全体どうなっているのだ?
何故、自分以外に人が一人もいないのだ?何故、美術館が闇に吸い込まれたみたいに暗いのだ?先刻からずっと聞こえている足音は何者なのだ?何故、この絵は本物の水のように感触があるのだ――――――
そこまで考えて。
は己の背後に人の気があることに気づく。だが、振り向けない。体が金縛りになったかのように硬直し、指の一本も動かせないのだ。いきなり現れたその"気"は、ヒタヒタとに近寄ってくると、
「……っ!?――あ、」
ドン、との背中を力一杯に押したのだった。
の全身はバランスを崩し、上半身から真っ逆様に、絵の中へと落ちていく>(。
バッシャン。
一際大きな音が、閑静な美術館内に木霊した。

そこから先は正に地獄としかいいようがなかった。
おかしな化物に襲われたり、絵画が動き出して追いかけてきたりと、ピンチをギリギリのところで躱しては、謎解きと鬼ごっこの繰り返しであった。
―――訳が分からない。
―――なんで私、こんなことになってるの?
―――そもそも、ここってどこ?
―――どうして美術品が私を襲ってくるの?
色んな疑問を覚えたが、追っ手を撒くのに一杯で、それらを深く考える余裕などなかった。
現実から切り離された、得体の知れない世界で。
何故か自分は敵として扱われ、次々と様々な追跡者に追われる展開。いつの間にか恐怖そのものも忘れ、ただ元の世界へ繋がる出口だけを探して走り回るの足は、そろそろ限界を迎えようとしていた。
ほんの、気まぐれだった。
ただの気分転換で訪れた展覧会で、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
そう嘆かざるを得ない状況に今現在も置かれ続けているは、力なくその場に座り込んだ。
「……」
――――ただ。
この不可思議な世界で、一つだけ解ったことがある。
バラ。今が手にしている一輪の白いバラは、の精神と肉体に直結しているらしかった。
誰かに背中を押されて、落ちてしまった絵の中で見つけた、バラ。このバラの花弁が散れば、の体にも直接ダメージがいく。点々と設置されている花瓶の水にバラを活ければ、バラは立ち所に元気を取り戻し、最初見た時と同じく、一片の欠けもない綺麗なバラに戻るのだった。
もはや命ともいえるそのバラの現在の花弁の枚数は、一。
もうロクに走ることもできない状態で、は座ったまま壁にもたれかかる。
そして再度、思考を巡らせる作業に入る。
何者かに突き落とされて迷い込んだこの世界は、飾られてる絵画やオブジェもどことなく気味が悪く、纏う雰囲気は吐き気を催す程に、黒い。
今はその空気には慣れてしまったが、正直そんなになるまでここにいる時間が長くなるとは想像していなかった。
服は汚れ、所々切れてしまっている。あのとき、水の中に落とされたにも関わらず、全く濡れていなかったのは今でも不思議に思うが、もうそんなことはどうでもいい。
激しい逃走劇を幾度となく続けた結果、バラの花弁はどんどん散っていき、の体力を根こそぎ奪っていった。
近くに水の溜まった花瓶もなければ、歩いて探しに行く元気もない。もしここで追手に襲われたりなんかすれば、抵抗する力も逃げる気力も残っていないは、あっさりとやられてしまうことだろう。
そんな最悪の未来を思い浮かべて、顔を青白くする。
―――もう終わりだ
―――もう、動けない
―――私……ここで死ぬのかな
―――……
―――ああ、
―――なんで
なんでこんなことになってしまったんだろう。

「あ、起きた」
重い瞼をゆっくりと持ち上げる。数回瞬きをして視界の調子を取り戻すと、ぼんやりしていた景色がはっきりと鮮明に色づく。ぶれていた線が一本に重なり、物の輪郭が細かい部分までしっかり認識できるようになると――――――
「ッ!?」
至近距離で二つの顔が自分を覗き込んでいることに気づく。
瞬時に身を強張らせただったが、その警戒を解くように、紫色の髪をした人物が優しくに話しかける。
「ああ、そんなに警戒しなくても、アタシ達は怪しい者じゃないわ。安心して。……それよりアナタ、倒れてたのよ?バラの花弁が全部散りかけてたから、もうダメかと思ったんだけど……よかったわ、生きてて」
穏やかな口調で喋る目の前の男(?)に、はさらに混乱させられる。
格好は紺の長いコートを羽織っていて、下はズボン。顔つきは男性のそれなのだが……喋り方は完全に女性のものだ。
何を言っていいのか、どういう反応をすればいいのか分からず、が口をぱくつかせていると、
「イヴ、バラを渡してあげて頂戴」
紫の髪の男(?)が、隣にいた、まだ小学生と思しき少女に促しの言葉をかけた。
男(?)の指示通りに、どこからか取り出した白いバラをに差し出す、『イヴ』と呼ばれた女の子。
酷く見覚えのあるその白いバラを認めた瞬間、の双眸が見開かれ、勢いよく体が起き上がった。
「これ……なんで……」
『イヴ』からバラを受け取り、確かに自分のものであると分かると、は二人を訝しげに見つける。
残り一枚の花弁になってしまい、枯れる寸前だったバラは、水を吸ってすっかり元気な姿になっていたのだ。
「? なんでって、枯れかけてたから、水の入った花瓶に活けたのよ。あのままじゃアナタが危なかったからね」
「…………え、」
―――助けてくれたってこと……?
―――……というか、私どうなったんだっけ?
―――花弁が一枚になって、動けなくなって……
―――この人が言ってたことが本当なら、私はあの時倒れて……
―――それを、この人たちが助けてくれた……?
「それにしても驚いたわ。どっかのアタシと同じような倒れ方してたんだもの。既視感ありすぎてびっくりしちゃったわ!ね、イヴ」
男(?)の声に、こくこくと頷く『イヴ』。
さっきと比べると、僅かに頬が緩んでいる。きっとが無事に目覚めてくれたことにホっとしているのだろう。
「…………でも、まさかアタシたち以外にも、ここに迷い込んだ人がいただなんてね」
急に一転して、憂いを帯び始める男(?)の表情。
は今の男(?)の台詞を聞き逃さず、反芻する。
―――迷い込んだ?
―――この人たちも、私と同じ……?
―――美術館にいたら、こんな変な世界に来ちゃったっていう……
「あ、あの」
「なにかしら?」
「迷い込んだって……貴方たちも、『ゲルテナ展』に来ていたんですか……?」

紫の髪をした男は、ギャリーと名乗った。
彼は正真正銘『男』らしく、口調についてはいつからか自然にこうなっていたのだと言う。
ギャリーも今回のゲルテナ展に足を延ばした客の一人で、壁一面を陣取って飾られていたあの絵を観ていたら、いつの間にか美術館の様子が変わり、気づけばこのおかしな世界にいたのだそうだ。
そこで同じ経緯でこの世界に入り込んでしまったイヴと出会い、二人で行動を共にするようになった――――――
が聞いたイヴとギャリーの話を要約すると、ざっとこんな感じだ。
また、イヴとギャリーも自分のバラを持っており、イヴのバラは、真っ赤な真紅。ギャリーのバラは、爽快な青。構造はのバラと同様で、花弁が散るとそれが自分へのダメージに繋がるとのことだった。
は心の底から安堵した。
自分だけではなかったのだ。
ただ出会えなかっただけで、同じ境遇の人間が二人もいたのだ。
どうしようもない孤独感に押し潰されそうになっていたは、久方ぶりに落ち着きを取り戻した。
信用できる誰かが傍にいるだけで、こんなにも心強い。
イヴとギャリーも快くを仲間として迎え入れ――――奇妙な縁で巡り会った三人は、絶対にここから全員で脱出しようと、願いにもとれる約束を交した。
イヴの赤いバラと、ギャリーの青いバラ、そしての白いバラ。
調和の取れた三色と三人の間に、後に一人の少女が加わることとなる。
――――だが、それはまだもう少し、先の話。
トリオローズ四重奏
―――とは言っても既に三人の運命は、黄色いバラの蔓によって絡め取られていたのだが。