コンコン、と玄関の扉がノックされる音を聞いて、私はベッドの上で苦しそうに息をしているツキヒコに、一言かけてから出迎えのために部屋を出る。


「ちょっと、行ってくるな」
「……あ、が来たのかい……?」
「みたいだ」
「はは……助かるなあ、ほんと…………」


赤い顔で微笑みながらそういうツキヒコに「そうだな」と返してその場を後にし、叩かれたドアに近づいて取っ手にてをかける。


「あ、アザミさん、こんにちは!ツキヒコの様子、どうですか?」


開いた扉の先にいたのは、私もよく見知った人物。
たくさんの荷物を両手に私に挨拶をする彼女の名は――
ツキヒコと幼なじみの女の子だった。



生まれつき体の色素が薄く、周りの人間たちとは少し異なる見た目で周囲から浮いていたツキヒコ。時には酷い差別を受けたりと、村での暮らしは決して穏やかなものではなく、あいつにとって居心地の悪い環境だったのは間違いない。そんな中でもツキヒコが幼い頃から親しくしていた人間が一人いたらしく、今になっても付き合いのある彼女は所謂"幼なじみ"という関係の人物だった。両親も早くに亡くし、村の中でひたすら偏見の目を浴びてきたツキヒコに昔も現在も臆することなく接してくれるのはほぼだけだという。
私以外でツキヒコと仲の良い女がいると知ったときは、嫁として嫉妬すべきなのか、周りに煙たがられてるツキヒコを理解してくれる人がいたということに喜ぶべきなのか複雑な心境に見舞われたが、いざ会ってみると前者の感情はすぐに吹き飛んだ。

明るい性格の彼女――は、普通の人間からは恐れられるか気味悪がられることがほとんどの私の正体を知っても、気兼ねなく接してきたのだ。
無論、最初のうちは警戒した。今まで散々人間共に騙されたり迫害されてきた私にとって、自分を咄嗟に敵とみなす人間という生き物を簡単に信用することなどできなかった。けれど、ツキヒコが嬉しそうに紹介してくれた唯一の人間だったため、私のに対する嫌悪感はそこらの人間に抱くよりかはずっと薄かったのは確かだ。そこから少しずつ彼女のことを知っていき、気さくな面や優しい性格――森の中から滅多に出られない私たちの生活を助けてくれたりもし、という一人の人間の内面に触れていく度に私は彼女への好感を寄せていった。


一度どうしても気になって『お前はツキヒコに恋愛感情的なものはないのか』と聞いたときも、『え、ないない。小さいころからお互いに遠慮とかなかった幼なじみですし。きょうだいみたいな感覚でずっと接してるので今更別の感情とか湧いてきませんよ』と軽快に彼女は笑っていた。また、私が己を人ならざる存在だと告げた時も、『んー……、そりゃ、私も、問答無用で襲ってくるような化け物だったら当然怖がって近寄りませんけど、アザミさんは違うじゃないですか。話も通じるし、意思疎通もできるし、ツキヒコが好きになった人だし、あと可愛いし。アザミさんを避ける理由なんてないですよ』と、この時もは私を安心させるような微笑みを浮かべながらそう言ってくれた。

シオンが産まれてからは家に訪れてきた時には遊び相手になってくれたり、今回に至っても風邪をひいて熱を出したツキヒコに代わって村から食料を調達してきてくれたりしているので、現在では私は完全にに信頼をおいていた。





「まだ熱が下がらなくてな……。横になってる」
「……そうですか。起きてます?少し話してもいいですか?」
「ああ。あがってくれ」


「お邪魔しまーす」と言いながらがうちに上がると、部屋の奥からトタトタという可愛らしい足音が聞こえてきた。


のお姉ちゃん!」


ツキヒコと同じ真っ白な髪と、頭につけてる赤いリボンを揺らしながら元気な声を上げて来客の名前を叫んだシオンは、そのままの勢いで駆けてきたかと思うと、荷物で手が塞がってるの腰にギュッと抱きついた。


「あそびにきたの?」
「いや、今日は、ちょっと。ツキヒコの代わりにね」
「……すぐ、かえっちゃうの?」


の持ってる食料たちをじっと見つめてから再びの顔を上目使いで見つめるシオン。回答に困ってるに代わって、私が口を開く。


は今日も遊んでくれるぞ」
「ほんと!?」
「え、あ、アザミさん?」
「重い物運んできて疲れただろ。茶でも飲んでゆっくりしていってくれ」
「でも今日は……。……大丈夫ですか?」
「ああ……。ある程度私ができることはしたから、あいつをゆっくり一人で眠らせる時間も必要だし、四六時中そばについていなきゃダメなほど弱ってないし、そこは大丈夫だ」
「そうですか?……じゃあ、少しの間、お邪魔します」


元からすぐにに帰ってもらうつもりはなかった。
村からここまで、決して軽くはない荷物を体力と時間をかけて運んできてくれたのに対し、用が済んだら即帰れと言うほど私は人でなしではない。シオンも、私とツキヒコ――家族以外の人と触れ合うのはがうちにやってきた時くらいしかないので、彼女と一緒に遊ぶのは毎回楽しみにしている。頻繁に会えるわけではないので、私もとの時間は少しでも多くとりたい。
体を休めるのも兼ねて、と付けたしながら私はを居間へ通す。


「茶の準備をするから、その間あいつと会話でもしてやってくれ」
「はい、失礼します」
「わたしもいくー!」


ぴょんぴょんと挙手をして無邪気にそういうシオンの手をひいて、ツキヒコの寝ている部屋へ向かう。そんな姉妹みたいな光景を口元を緩ませながら見送ると、私は私で客人をもてなす用意を始める。





* * *







「ツキヒコ、大丈夫?」


部屋のドアを軽くノックしながら控えめに尋ねると、中から咳混じりのツキヒコの声が聞こえてきた。


「……、かい?」
「うん。頼まれてた食料、持ってきたよ」
「ああ、ありがとう。よければ……ゆっくりしていってくれ」
「ありがと。アザミさんもそう言ってくれた」
「おとうさん、だいじょうぶ?」
「はは……シオンもいるのかい」


声量のない返答はいつもの快活なツキヒコからは想像できないほど力のないものだった。抑揚はついてるのが彼らしいが、喉を傷めてるのなら無理はしないでほしい。
――子供の頃もこうやって風邪をひいて私がツキヒコの家まで看病しに行ったことが何度かあるのだが、その時も、苦しいはずなのに常時笑みを浮かべて私を迎えてくれたのを覚えている。自分が疲れてる時も他人を気遣うのを忘れないのは、こいつの良い部分だとは思うけども……たまのたまには体調通りの顔を見せてくれてもいいんじゃないかとはいつも思う。元々、誰かのために無理をしたりする性格なんだから。


「体調、どう?」
「……まだ熱が下がらなくてね……。昨日よりはマシなんだけど、完治するのは……もう少し時間がかかりそうかな」
「……そっか。しっかり休んで、私にできることがあったら、また言って」
「ありがとう……」


一通り喋り終えると、またコホコホと咳をしだすツキヒコ。喉も不調なときにあまりしゃべらせるのはよくないだろうと、私はここで会話をきる。


「じゃあ、ゆっくり休んで」





* * *







私がティーカップにお茶を注いだ頃、とシオンが手を繋ぎながら戻ってきた。


「まだ苦しそうでした」
「ああ……。朝からあんな感じなんだ」
「おとうさん、びょうき?」


深刻な表情で会話をする私との顔を交互に見て、シオンが不安げに口を開く。


「いや、病気じゃないんだが……ちょっと風邪が長引いてな。ちゃんと治るから大丈夫だ」


安心させるためにできるだけ穏やかな声で笑顔をつくって言ったのだが、シオンはまだ心配そうに眉を下げている。


「ほら、お茶のあとはが一緒に遊んでくれるぞ。その間ツキヒコはしっかり休んでまた元気になるから、心配しなくていいぞ」


頭を撫でてそう言ってやれば、少しずつシオンの頬は緩んでいった。それを見て私はと目配せして笑いあうと、テーブルに向い合せで腰を下ろす。


日々のことや、村のことや、近況など、話題を変えながらのんびりと何気ない会話を交わす。ツキヒコを除けば以外の人間とほとんど関わりがない私にとって、彼女の話す外の世界の話は興味深かったり、不思議だったり、色々なイメージを抱かせる。また、好奇心旺盛なシオンもに矢継ぎ早に質問を投げたりと、自分の知らないことに興味津々で食いついていく。
村の子供たちの間で流行ってる遊びだとか、面白い出来事だとか、とツキヒコの小さい頃の思い出話だとか、家にやってくる度に私たちにとっては新鮮な話の数々が彼女の口から語られる。
そんな身の回りの日常、非日常を毎回は聞かせてくれるが、逆に村の住人たちに私たちのことは一切口外していないらしい。――顔を合わせた当初の約束を口固く守ってくれているというのも、私がを信頼している要素の一つだ。理解のない人間たちに今住んでる場所と自分の正体が知られたら、現在の平穏な生活は一気に崩壊してしまうだろう。今回みたいに村から食料を持ってきてくれるも、住人に気を回しながらこっそりとここまで来てくれたに違いない。人とほとんど関わりを持たない私でもこういうことを考えると、支えられながら助けられているということにつくづく気づかされる。

私にとっても。ツキヒコにとっても。シオンにとっても。

たった一人でも自分を外の世界と繋げてくれる人がいるのはとても頼りになることだ。



「……で、こんなことがありまして」
「ほう」


話題はとツキヒコの幼い頃の話になっていた。聞き慣れないうちは『こいつは私よりもツキヒコと付き合いが長くていろんな面をたくさん知っているのか』と少し妬いたりもしたが、今となっては微笑ましく耳を傾けることができる。

から聞かされる二人の昔話に聞き入りながら、私は改めて彼女の長所を確認する。



子供の頃。これはツキヒコから聞いた話だ。
そのころからツキヒコは周りの人々から奇妙な生き物でも見るような目で見られていたらしい。


見事なまでに真っ白な髪。他人よりもずっと白い肌。


見た目が周囲と少し違う、というだけで差別を受け、同い年くらいの子供たちからもからかわれていたという。――そんな中で、物怖じせずに話しかけてきたのがで――彼女はツキヒコを特別視せず、親から咎められてもいつも一人でいるツキヒコを遊びに誘っていた。気が合う二人は成長してもとても仲がよく――関係がこじれることもないまま、今もお互い近くにいる存在だ。
そうやって仲良くなった経緯を知らされたあと、私は当然といえば当然の疑問を抱いていた。

なぜ、周りの人間がツキヒコを避ける中では躊躇いなくツキヒコに近づけたのか。

親からも『あの子と遊ぶな』と忠告され、同じ村の人間たちもツキヒコを良く思っていない。同じ年齢の子供たちも主に大人から言い含められて彼と仲良くしようとはしなかった。――でもは、周囲の視線を無視してツキヒコに友好的な笑顔を向けた。
初めてと話したというその時のことを、ツキヒコはハッキリと鮮明に覚えてるという。



『村の大人からも子供からも鬱陶しがられて孤立してた僕にさ、は何て言ったと思う?気味悪がられて偏見の目を向けられてばっかりだった僕を見て、何て言ったと思う?』


『「すごく綺麗な髪だね」って――。瞳を輝かせながら、僕に興味津々で近寄ってきたんだ』


『それが全ての始まりで、今まで関係を持つに至るんだけど……僕はその一言にすごく助けられたんだよ。どれだけ人に蔑まれても、たった一人自分を理解してくれる子がいるってだけで、世界は僕を見捨ててないって思えた』



いつもの明るい笑顔ではなく、落ち着いた、それでいて嬉しさと懐かしさが滲んだ笑顔を浮かべてツキヒコは語っていた。
それを聞いて私は、と初めて会った時のことを思い出していた。


――私との初対面の会話。
――が私を見て、一番最初に放った言葉。



『黒髪の小さな美人さん』



体型ゆえに年下と思われていたその頃の自分。は私の前に屈み、そんな第一印象を口にした。
そして、シオンが産まれたときには、


『無邪気でよく笑う、人懐っこい娘ですね』


と笑っていた。
同時に、『ツキヒコみたいに豊かな性格、アザミさんと同じ愛嬌のある顔立ち。いいとこどりだねー』なんて言いながらシオンの頭をわしわし撫でていた光景は記憶に古くない。

要するに、彼女は人の良いところを見つけるのが上手いのだ。噂や外見、周りの評価だけで相手を決めつけず良い部分を探して自分から歩み寄る。おまけに友好的で明るい性格なので誰とでもすぐに仲良くなれる。
ツキヒコと結婚し、そしてと出会い、今まで嫌悪していた人間と信頼し合い、関係を持ち――――私はずいぶん変わったと思う。
普通の人間たちに比べれば私の世界はとても小さいのかもしれないが、それを苦に感じたことはない。


夫がいて、娘がいて、支えてくれる人がいて。
私は今とても幸せなのだから。




「――じゃあシオンちゃん、遊ぼうか」
「うん!!」
「今日はなにするー?」


「ごちそうさまでした」と空のカップを受け皿に置いてから、「はやくはやく」とせがむシオンの相手をする。二人が向かい合って遊びの相談をするのを見てから、少し様子を見てくると告げて私は寝込んでるツキヒコの部屋に足を進める。

控えめにノックをしたあと、部屋のドアを開けると――――


「…………寝てる、か」


ツキヒコはスース―と寝息を立てて眠っていた。一時的でも穏やかな顔が見られたことに少し安心して、起こしてしまわないようそっと扉を閉めてその場をあとにする。そのまま自分の部屋に向かうと、分厚い一冊の本――日記帳として使ってるそれを抱えて居間へと戻る。
そこでは、シオンの長い髪を三つに分けて束ねているの姿があった。シオンがねだったのだろうか。整った三つ編みをつくっていくと、「まだ?できた?」と落着きのないシオンを微笑ましく思いながら、私は再度テーブルの椅子に腰を下ろす。

持ってきた日記帳の真っ白なページを開き、ペンを執ると、朝から現在までの出来事を思い出す。いつもより早い執筆になるが、それもいいだろう。
季節は初夏を迎え、冬場なら陽が沈みかけてる時間帯でもこの時期はまだ太陽は高く昇っている。


ツキヒコの風邪はまだ治らないこと、がうちに来たこと、シオンと一緒に遊んでくれていること。
一通り文章を頭の中で構築すると、私は手に持ったペンを進ませ始めた。






白 に 刻 ま れ る 日 常



元気なツキヒコがたまに風邪をひいたりして。
がうちにやって来たりして。
少し懐かしい出来事を思い出したりして。

これらもまた、私の日常だということ。