校門からぞろぞろと出てくる小学生の集団を眺めながら、目当ての人物が出てくるのを待つ。
仲の良い友達と会話を交わしながら帰路につく子や、何を急いでいるのか一人でスタスタと行ってしまう子、可愛らしい包みを手に仲間と語らう男の子たちや、恥ずかしそうに何かを囁き合う女の子たちが、次々と学校から出てくるのを見て少し懐かしい気分になるのと同時に、今日がどういった日なのかを改めて自覚する。
バレンタインデー。
世代を問わず色んな人が乗っかるイベントだが、やっぱりこういうのに一番敏感なのは学生だろう。この日一日は全国の学校でピンク色の空気が漂ってるに違いない。
『何個もらった』『誰にあげた』『告白はできたか』『手作りか、市販品か』あちこちがそういった話題で持ちきりになると容易に想像できるのは、私も実際浮足立った集団の中に先程までいたからだろう。
意中の異性がいない私は本来のバレンタインデーを過ごすこともなく、そういう意味では最初からスルーしても構わないイベントだったのだが、同性と交換する友チョコや、周りの男子にあげる義理チョコなどの用意を考えるとそういうわけにもいかなかった。
「はあ……」
大体は学校で渡し終えたけど、まだ鞄の中には一つだけ手作りのチョコレートが残っている。今はそれを渡すためにこうやって寒空の下、人を待ってるのだが……なかなかその人は姿を現してはくれない。
両手を温めるために吐いた息はハッキリとした白色になって空中に消えていく。
12月が過ぎ、1月が終わっても、まだまだ寒い2月中旬。
チラホラと雪も降ったりするこの頃は気温も低めで、なかなか冬が終わる気配がない。常に元気なイメージのある小学生たちも、手袋やマフラーを身に着けて身体を小さくしながら門をくぐっている。
長袖長ズボンに厚いコートを着込んだ、完全防寒態勢の子を見ると、校則で制服しか着用できない自分の格好がいかに冬場に不向きかというのが実感できる。なんたって下はミニスカートだ。真冬だろうが吹雪がこようが風が吹き荒れようが、一女子生徒としてこの服装で一年を過ごすのが強いられる。
温かそうな私服が羨ましくなるのは仕方がない。
* * *
20分くらいが経った頃だった。
学校から出てくる生徒の数もまばらになり、それなりに時間も経過ことから『もしかしてすでに帰ってしまってるんじゃないか』と考え始め、場を立ち去ろうかと悩んでいた時だ。
「……さん?」
スマホと睨めっこをしていた私の傍にいつの間にか近寄ってきていた人物がいた。
それだけでも驚くのには十分なのだが、名前を呼ばれて、更に私の身体はビクリと跳ね上がる。
「えっ!?」
「こんなところで、どうしたんですか?」
「……あ、ヒ、ヒビヤくん……」
目線を少し下にやるとそこには、こちらを訝しそうに眺めながら立っている、ランドセルを背負った茶髪の少年がいた。
「こんなに寒い中で、何やってるんですか?」
「よかったよかった!待った甲斐があった!」
「……?待った?」
「うん!」
不安そうに尋ねてくるヒビヤくんとは反対に、やっと"待ち人"が来たことにテンションが上がった私は彼の質問にも答えず、ガサゴソと肩にかけてる鞄の中を漁る。お蔭でヒビヤくんは未だに首を傾げたままだが、説明なら後でできると、とりあえず目的を果たすことを優先する。
約10秒。友達からもらったチョコレートを詰め込んでいたせいで渡すはずの物を探し出すのに少々時間がかかったが、取り出した"それ"はラッピングが酷く乱れてることもなく、このまま難なく渡せるものだった。
「はい、これ」
「……チョコレート?」
「そ。バレンタインでしょ、今日」
「いいんですか?」
「遠慮なんてしないで、年下は素直に受け取っておく方が可愛がられるよ?」
私が気軽なノリでそういうと、最初は戸惑っていたヒビヤくんも「……ははっ」と子供らしい笑顔を浮かべてから、「ありがとうございます」と私が手に持つ"それ"を受け取った。
……大人びてて口達者なところがあるけど、やっぱり笑いかたにはまだ幼さが残ってる。キュン、と胸が締め付けられたのは母性本能が刺激されたからであって、決してショタコンの道が開けた音では断じてない。
多分。
「家が近いし学校が終わって帰りついてから渡そうかなって思ってたんだけど、もしかしたら帰り道で会えるかもーって思って持ってきてたの。そしたら下校中に授業が終わった小学生たちが門から出てくるのが見えて、ヒビヤくんとも会えるかなって」
「ずっと待ってたんですか?」
「うん」
事の経緯を話し、待ってたことに頷くと、ヒビヤくんは上目使いで私を見つめたあと申し訳なさそうに目尻を下げた。
「なんか、すみません……」
「え、なんで謝るの!私が勝手にそうしてただけなんだから!」
「でも……」
僅かに項垂れ、今度は私の太もも辺りを注視して、バッと目を背ける。こころなしか顔を赤くしながら。
――肩幅が小さくなったこの少年は、どうやら心の底から私のことを心配してくれてるようだ。
今、太ももに一瞬視線をやったのは、恐らく私の服装を気にしてくれてのことだろう。冬に着こなすには厳しすぎる丈の短いスカート。肌が容赦なく晒されたこの状態で冬空の下にいる私を気の毒に感じている、そんな目だった。
「大丈夫だよ、この格好は慣れてるし」
「え」
強がりでもなんでもなく正直にそういうと、ヒビヤくんは素早く頭を上げて私の顔を見つめ――――次には火が出そうな勢いで顔面を真っ赤に染めた。
「え、す、すみません!」
あわあわと慌てだし、その場で何度も頭を下げ始める。――どうやらヒビヤくんは、足をチラ見したことを私に気付かれてたとは思ってなかったようだ。
普段はあまり見ない焦燥しきった態度を、しばらく観察するのもいいかなと一瞬そんな考えが過ったが、年上としてそれはどうなんだと思考を切り替える。
「いいよ。気にしない気にしない。それより、ヒビヤくんはクラスの子とかからも、もらったりしたの?」
「……。はい、まあ、少し」
「へえー、すごいじゃん。相変わらず」
「いや……本命の娘からはもらえなかったんで」
「ああ、ヒヨリちゃん?」
「はい」
ヒヨリちゃん。本名は朝比奈日和。
この村では随一の美少女として有名な女の子だ。まだ小学生という若さだが、村では評判で、同じ年齢の男子の憧れの的なのである。
その彼女に好意を寄せている、と私はヒビヤくん自身の口から聞いていた。
「仲の良い女友だちにはあげてたんですけどね」
「ああー……」
「まあ、でも、僕ももらえなかった分、他の男子にも一切あげてなかったんでそういう意味では安心しました」
「そっか……」
複雑な表情をするヒビヤくんの頭をポンポンと撫でて、落ち込み気味な彼をさり気なく慰める。
それと、
「ヒビヤくんは、今日はこのまま家に帰る?それとも、どっか寄り道とかする予定?」
「まっすぐ帰るつもりです」
「じゃあ、私も一緒に、いい?」
「はい。もちろん」
途中まで家の帰り道が一緒なので、どうせならという思いで提案をしたら、ヒビヤくんはすぐに首を縦に振ってくれた。
人通りが少ない、というよりは私たち以外の人影が全くない通学路を二人で並んで歩き始める。大分暗くなってしまった空を背に、ぽつぽつと短い会話を挿みながら帰路を進む。
「さんがくれるのって毎年豪華ですよね」
「そう?」
「はい。今年も、もらった中で一番ですし」
「ん……。まあ、小学生の子たちよりは、色々自由にできるからね」
村を出て街に出かけるにしろ、好きなように使える単純な所持金の多さにしろ、小学生たちよりはやはり余裕があるので少し凝った物もできてしまう。
ヒビヤくんは、私の方を見上げてまたペコリと頭を下げた。
「いつも、ありがとうございます」
「いえいえ。……来年はヒヨリちゃんからももらえるといいね」
「……ですね」
「勝手なこと言って断言はできないけど、ヒビヤくん、かっこいいんだし、ちゃんと人を気遣える優しい子なんだし、可能性は十分あるって」
「いえ、そんな……。ありがとうございます」
遠慮気味なヒビヤくんの代わりに私が自分の胸をポンと叩くと、ヒビヤくんんは頬を緩ませて頷いてくれた。
……うん。やっぱり可愛い笑顔だ。歳が離れた私は弟と接するような目でヒビヤくんを見ているが、同級生の女の子たちから見れば、それは全く違ったかっこいいものに見えるのかもしれない。毎年バレンタインはそれなりの数のチョコをもらってるヒビヤくんを知ってるので、思わずそんなことを考える。顔は端整だし、いつもはクールな分笑うとギャップも手伝ってかなり魅力が増すのも事実だ。私にショタコンの趣味はないが、やっぱり彼はモテる方だと常々思う。
「あの、よかったら、僕の家でちょっとゆっくりしていきませんか?」
この子はまだまだ可能性を秘めている……!!と自分一人で盛り上がっていると、角を曲がった所でヒビヤくんが話しかけてきた。
「え?」
「温かい物とか出しますよ。寒い中、待ってもらったんですし」
「そ、それはだから、私が勝手に……」
「いえ。遠慮なんてしないでください。年上もたまには年下の厚意に甘えた方がいいですよ?母さんも、さんなら歓迎します」
ついさっき聞いた……というよりは私が言った台詞と似たことを言いながら、誘いをもちかけてくるヒビヤくん。口角を上げて穏やかに微笑まれたら、こちらに『断る』という選択肢はなくなってしまう。
――若干の間を置き、うちに帰ってからしなければいけないことが特にないことを脳内で確認すると、ヒビヤくんの方に向き直る。
「じゃあ……お邪魔させてもらおうかな」
「はい。ぜひ」
途中から別れるはずの帰り道を、今回は一緒に一つの道を通って歩く。
久々に訪れることになるヒビヤくんの家に案内されながら――――この礼儀正しくてしっかり者の優しい少年が、来年こそは好きな女の子からチョコレートをもらえますように、と密かに胸の奥で祈る。
一年に一度のバレンタインデーが、過ぎていく。