「、ちょっとこれ持っててくんない?」
「あ、うん」
隣で商品を眺めていた友人が、肩にかけていた鞄を私に差し出しながら言った。特に断る理由もないのでそれを受け取ると、予想以上の軽さに驚いた。
これ教科書とか入ってるのか……?中身は多分、携帯やらipodやらメイク道具、良くてノートと筆記用具が入ってるくらいだろう。学校に何しに来てんだ。まあ、ほとんど置き勉してるんだと思うけど。
「ちょ、これ見てヤバイ!」
「えっどれ?」
「ホントだ買おっかなー」
「だよねヤバイよね」
何かを発見したらしい友人の周りに、ぞろぞろと辺りにいた同級生達が寄ってきた。私も一応、その集団の一員なんだけども、なんていうかノリについていけないので一歩離れた所でその光景を傍観している。
こうやって放課後一緒にショッピングに出かけたりするのはしょっちゅうなのだが、私の立ち位置は常にみんなとは少し距離がある。
それって友人って言えるのか?と疑問に思う人はたくさんいるだろうけど、女子の友情というのは大体周りに同調していれば勝手に成り立つのだから、そういう意味ではすごく簡単だ。元々馴れ合う気があまり無い、居場所が欲しいだけの私にとっては。
○ ○ ○
どの学校にも、どの学年にも、どのクラスにも一人は居ると思う。
頼み事を断れなかったりするが故に、優しい人というレッテルを貼られてる人が。
私はクラスメイトからそんな評価をもらっている一人であり、だからこそ言える。
頼み事や要望を簡単に引き受けるのは、「その人の為になりたい」だとか「目の前に困った人がいるなら手を差し伸べなくては」だなんていう良心が先立ってそうさせているのではない。単に、「断れない」「断る方法を思いつかない」「断ったら場の雰囲気が悪くなりそう」とかそういうのが理由だ。
自分の意見を通せないのもまた、同じ理屈で。
要は相手を押し切る勇気がないだけの話だ。私の場合。
元々人間関係を築くのが得意ではないし、友達数人とワイワイはしゃぐよりかは一人で好きなことに没頭していたいタイプである。
――――でも、だからと言って。
クラスメイトを拒み続けていたら教室での自分の立場がどうなるかは解っている。
なので常に来る者拒まずな体勢をとっているわけだ。
一人が好きだけど、独りは嫌だ。
結局は自分の意思を相手に伝えることもできない、周りの目を窺ってばかりの弱い人間なのだ。
ぶっきらぼうな態度で、相手を突き放すことすらできない。
意見を求められた時も、何かを選ぶ時も、全ていつだって人に合わせてきた。
本当の感情を押し殺して、表に薄っぺらい笑顔を貼り付けて。
気づけば自分自身を欺き続けてもう10年近くが経とうとしている。
小学生の頃から今まで、思い返せば結構長い時が経っていた。
そしてそれは今も――――高校生になった現在も昔と何一つ変わらず、中身のない毎日を漂うように過ごす日々を送っていた。
○ ○ ○
そんなわけで。相手から見れば私はかなり都合の良い人間なのである。それでも居場所が無くて教室で孤独に過ごすよりはずっとマシだ。別に、お金を取られたり、脅迫されたりなんてことはされてないし、……まあ、何度か貸したお金は一円も戻ってきてないけど。
「――本当!?本当に今度奢ってくれんの!?」
「うん。ほら、最近バイト始めたって言ったっしょ。けっこう自給良くてさあ。だから今度は私があそこのカフェ、奢ったげるよ」
「マジで!?」
「ラッキー楽しみにしとく」
「あそこケーキ高いからさ、なかなか……」
「……」
私がぼんやり考え事をしてる間にも、もうみんなの話題が切り替わっていた。急に脈絡がない話が飛んできたりするから、順応性がない私はあの会話にはついていくのに常々苦労している。
見た目と年齢は友人達と変わらないのに、なんか私だけ精神が年を食ってるみたいだ。
友達と騒いで、彼氏つくって、女子力磨いて、バイトして青春を満喫してる子たちが満開の桜だとしたら、私は弱々しく枝にくっつく冬の木の葉だろう。
「うう……」
自分で言ってて落ち込みそうなので、思考を無理やり振り払って他のことを考える。
友人達はさっきにも増してキャイキャイとはしゃいでいて、一向に店を出る気配はない。私の興味を惹く物も店内にはないので、外に視線をやってみる。
向かいにある商店街では、もうすぐ夕食時とあってか、主婦らしき買い物客が目立つ。……ああ、うちは今日の夕食何にしよう。一人暮らしだし、手軽にできるやつでいいかな。八百屋さんに並んでいる野菜たちを見ながら今晩のメニューに悩んでいると、
「あ、」
ふと、見慣れた人物が視界に入った。
――――といっても、名前も何も知らない、本当にここら辺でよく見る人というレベルの認識しかない人物だが。
「いつも何時まで働いてるんだろう……」
緑のツナギの上に白いエプロンをつけたその男の人は、私の中で強く印象に残っていた。
パートの奥様方に混ざって、唯一の男性として花屋で働いているのだから、まず否が応でも目立つ。バイトの制服なのであろうエプロンは結構似合っていて、せっせと作業をこなす姿は正に真面目な働き者。
私の家はこの近所なのでよく商店街にも足を運ぶが、その際にも笑顔でハキハキと接客してるのをよく見かける。
黒いパーカーの人や灰色のフードを被った人達と楽しそうに喋っているのも何度か目にしたことがあるけど、あれは……友達なのかなあ。年もあんまり変わらなさそうだったし。
「…………」
裏表のなさそうな良い人だから、きっと傍にいる人たちもみんな良い人ばっかりなんだろう。
「友達、ね」
私と同じ制服を着た集団をチラ、と横目で見る。
私がいなくても全然楽しそうだ。――ま、私なんてグループの中でも地味な方だし、私も自分から進んで輪に入っていかないから、別にいいけどさ。
――――そもそも友達ってなんなんだろうか。下の名前で呼び合ったら?常に一緒にいるようになったら?どんな時でも顔色を窺って、相手の期待に沿うことを言うのが友達なんだろうか。――――分からない。
「……」
幾度となく繰り返した自問自答の答えは未だに出せていない。
自分が本当に友達が欲しいのか、一人でいたいのかも分からない。
いつか、「あの時はあんな青臭い悩みを抱えていたんだ」と笑える日が来るのだろうか。そしてもし、そんな未来があるのだとしたら、私の傍にいる友達と呼べる人は一体どんな――――
「ねえねえ」
「――!?」
無邪気な声と共にポンポン、と肩を叩かれ、葛藤は強制的に中断させられる。
驚いて振り向くと、そこには私より少し背の高い少年が立っていた。
パッチリと開いた猫目に、短い茶髪。年は私とそんなに変わらなさそうだ。体全体の線は細く、特にスラリと伸びた長い脚は、私が思わず羨ましいと思ってしまうくらいのスタイルだった。恰好は茶色のシャツに藍色のズボン、とこれといって目を引く要素もない一般的なファッションだったが……一つ。完全に見覚えのあるものがあった。
黒いパーカー。
外側に白い斑点が左右三つずつある、特徴的なそのパーカーを認めた瞬間、「あっ」という声が無意識に零れてしまった。
「お、僕のこと知ってる?てっきりセトだけしか見てないかと思ってたけど」
子供みたいな笑顔でにこにこと話す黒パーカーの男の人を前に、私は疑問に包まれて何も言えずに口をパクつかせる。
――あの人だ。花屋さんとよく仲良く喋ってる。
なんであの人がここに?……いや、商店街の近くだから別にいてもおかしくはないのだけども、なんで私に話しかけてきたの?しかも私と同じで、少しこっちのことを知ってるっぽい。っていうか、セト?……って誰?まさか、あの花屋の人?花屋の人の友達が、私に何の用?――――……もしかして、この店に来たり商店街に行く度にあの人を見てたのがバレた?怪しまれた?気持ち悪いと思われた?……うわーどうしようどうしようどうしようどうしよう…………
「あ、そんなに警戒しないで。……というより、僕怪しい人じゃないから!そんな泣きそうな顔しないで!」
笑顔から一転、ギョっとした表情であわあわと焦りだす黒パーカーの人。
どうやら私は泣きそうな顔をしているらしい。考えがネガティブな方向に行ってたからなのかもしれない。……まだ、この人が私に話しかけてきた理由も聞いてないのに。
「えっと、別に君を取って食おうとか考えてないから、泣かないで」
「……泣いてませんけど」
この人、女の子に泣かれると弱いタイプ?そうには見えないのだが。
あと、取って食うって…………。
「えーと、今回は僕個人が君に用があって来たから、セト……花屋の人は関係ないよ。念のため」
「はあ」
やっぱりセトってあの花屋のバイトの人のことだったのか。……覚えとこう。
「それで、私に何の用ですか?」
「うん。ちょっとここではアレだから一緒についてき」
「!誰ソレ!」
「!」
溌剌とした声が黒パーカーの人の言葉を遮った。
――――友人たちがやってきたのだ。なんというか、タイミングが悪いとしか言いようがない。
全員私とパーカーの人を交互にまじまじと見ると、やがてパッと顔を輝かせて口角を吊り上げた。
「えっなに……もしかして、彼氏!?」
「うそ!なんで秘密にしてたの!?」
「え、違……」
どうしてそうなる。
「じゃあなによー?」
「ナンパ?もしかしてナンパ?」
「どーする?ついていっちゃうのー?」
「え……いや、」
「ま、どっちにしても私たちはジャマみたいだし?」
「頑張れよー」
「チャンスだぞ!」
「明日結果報告してねー」
「バイバーイ!」
「あ、……うん。バイバイ!」
店を出て姿が見えなくなるまでこちらをにやにやと眺めながら、騒がしくも楽しげに集団は去って行った。友人から預かっていた鞄はいつの間にか私の肩からなくなっており、会話に乗じて自然な流れで取っていったみたいだ。……お礼の一つ、なんて今更要求のしようがないので、いいか。
「……なんか、嵐みたいだね」
「そうですね」
「うん。で、えー……あー」
黒パーカーの人はバツが悪そうに視線を横にズラしたあと、遠慮気味に口を開いた。
「……ナンパとかじゃないから。ただ、少し話したいことがあるから、よければ一緒に来てくれないかな。すぐ近くなんだけど」
「……はい。セト、さんの友人の方なら安心できます。あ、でも場所は」
「公園。ここから歩いて五分もかからないよ」
○ ○ ○
「夕暮れ時の公園っていいよねえ」
運がいいのか悪いのか、公園には子供一人いなかった。
夕焼けに照らされた遊具の影が長く伸びていて、静かな園内には全体的に寂れた雰囲気が漂っている。
黒パーカーの人は公園に着くなりジャングルジムに向かって行き、無駄のないこなしで一気に頂上まで上り詰めると、棒に腰掛けながら上記の一言を呟いた。
「懐かしい感じはしますね」
それが独り言なのか私に対しての発言だったのか分からなかったので、とりあえず無難に返しておいた。
実際、ここの公園では何回か遊んだことがある。来るのはすごく久しぶりだ。それも、誰かと一緒に、なんて。
「もう日も暮れるし、君も早く帰らなきゃ心配されるだろうから、単刀直入に言いたいんだけど」
「私一人暮らしです」
「あ、そうなの」
「そっかー」と何が楽しいのか、足をブラブラさせて空を見上げる黒パーカーさん。
……まだ出会って十数分くらいだからなんとも言えないのだが、この人はどこか掴みどころがないというか、飄々としている。考えてることや心理が全然分からない。本当にこの人についてきてよかったのかな……。
冷静に考えてみれば、前から存在を知っていただけで、接触したのは今日が初めてだ。そんな人にいきなり、ついて来て欲しいと言われて……セトさんの友人というだけで警戒心を解いてホイホイついてきてしまった私って、もしかしなくても傍から見れば初対面の男に簡単についていく軽い女として捉えられるのだろうか。
そもそも、セトさんのことだって印象で色々決めつけて、会話を交わしたことすらないのに。
「…………」
あれ?これひょっとしてヤバイ?
話してる途中に物影から男の人が出てきて車に押し込められる展開を考慮しといたほうがいい?それとも公園に入った時点ですでに囲まれてるとか……。
「どうしたの」
急に周囲を気にし始めた私を見て、ジャングルジムの上から黒パーカーさんが尋ねてきた。
「え、いや、大丈夫です。大丈夫ですか?」
「何言ってんの」
私も分からない。最悪の事態を想像してテンパってる私の反応がおかしいのか、黒パーカーさんはクツクツと肩を震わせて笑っている。こらえきれてない「ブッ……ククク」という笑い声で、私の顔は恥ずかしさからどんどん温度を上げていく。
「クク……ごめんごめん。あまりに意味不明なこと言うもんだから……ふふっ」
「〜ッ!」
「くっ……あーおもしろ……――――っと。……そろそろ本題に入らなきゃ本当に日が暮れる」
仕切り直しと言わんばかりに、ふう、と一つ息を吐いて黒パーカーさんはまた空を見上げた。
「ねえ、」
オレンジが半分以上飲まれてしまっている、暗くなり始めた空から、ゆっくりとゆっくりと視線を外していき、
「あの子たちは本当に、君の友達?」
――ただただ、静かにそんな言葉を紡いだ。
常時貼り付いていた笑みは完全に消え、真剣な眼差しがジッと私を見つめる。
「もし僕がナンパ目的で君に近づいたとして、あの子たちはよかったのかな?自分達の友達が男に声かけられてても心配する素振りも見せなかったね。――それ以前に君の話を聴こうともしない。言いたいことを並べるだけ並べて、帰ってっちゃったじゃん」
「そ、それは」
「それに」
私の声に声を被せて、黒パーカーの人はスッと立ち上がった。
器用にバランスを取りながら一段低い棒に移ると、そこから地面に向かって飛び降りた。着地した際に勢いでパーカーのフードが脱げたが、気にせず私の方へ歩みを進めてくる。
「何度か街中であの子達と一緒にいる君を見かけたんだけどさ、なんていうか、これっぽっちも楽しそうじゃなかったよ、君」
「!」
「あの子達に合わせていいように取り繕ってさ、思ってもないことに話を合わせて、グループの中に溶け込んでる自分を演じてる」
「そうだよね?」と先ほどの笑顔とは正反対の、何かを裏に含んだ微笑みで私の顔を覗き込む。私より少し背が高いので、若干前のめりの状態で。
続ける。
「今日に至っては露骨に輪から外されてたし」
「……ッそれは、私が自分から入っていかないからで、」
「うん。だとしても、君のこと誰も気にかけてなかったじゃん」
さらに距離を縮めて淡々と言い放つ黒パーカーの人を前に、私は意図せず後ずさっていた。ジャリ、という砂が擦れる音が、静寂に包まれた公園内でやけに大きく聞こえた。
「……っ」
――――なんなんだ。この人は一体、なんなんだ。
話したいこと、っていうのはこのことだったのか?じゃあ、私は今までずっと見られてたってこと?……でも、たったそれだけで分かることなの?
――それとも単純に、私が外で気を抜きすぎていたから、か?
正直なところ、私は周りに合わせるための演技には自信がある。
証拠に、一度だって友人達との仲を疑われたことはない。自分から話しかけず、話題を振られた時だけ会話に参加するような形だけど、その時も上手く合わせられていて、誰の目から見ても私達は仲の良い友達グループに映っていたはずだ。積極的な方ではなくても、グループの一員として違和感なく溶け込めている。自分ではそう思っている。
――――学校内に限った話だけど。
クラスで女子グループの輪に入れず、孤立するのだけは嫌だ。耐えられない。
だから、登下校や休み時間、昼食の時間は常に友人達と離れず行動するのが当たり前になっている。――反面、学校と関係がない場所にいるときは、少し距離を取りがちだったりする。校内では無理してでも輪に混ざってるので、外では少し気を抜いて、ついていけないノリには乗っからない。そういう風にしていないとやっていけない程、疲労が溜まることに気付いたのだ。私の場合、元々人と関わるのが苦手なタイプの人間は特に。
面白くないことにも笑って、誰かの陰口が始まれば一緒になって同意して、好きでもないものを好きになったフリをして――――馴れ合う気はない、なんて言っても居場所をもらうためには黙りこくってるわけには当然いかなくて。何年も何年も続けてきた友情ごっこのお蔭で、愛想笑いが無駄に上手くなって。
『さんたちって仲いいよね』『みんな気合ってそうで羨ましい』そんな言葉をかけられる度に、演技は自負できるものになっていって。いつの間にか笑顔でいるのが当たり前になって。
そして同時に、本物の自分を完全に隠すようになり、他人を欺き続ける偽物の自分しか表に出さなくなった。
「……あの子、たちは、本当に仲の良い友達です」
「嘘」
「っ……なんで、言い切れるんですか、そんな、」
「言ったでしょ。見てれば分かるよ。あんな心にもない演技」
前のめりだった体勢を整え、黒パーカーの人は苦笑しながら肩を竦める。
その表情は、私に話しかけてきた時のような、穏やかでいてどこか掴みどころがないものに戻っていた。
「苦しいならやめちゃえばいいのに」
「やめられるものなら、とっくにやめています」
周りの目を一切気にしない人もいるが、私はそういう風には絶対なれないだろう。
まず、根本的な部分から考えを変えないと…………って、あ、……あ。
「お、否定しなかったね。最初っからそう言っとけばいいのに」
満足そうに笑う黒パーカーさんとは反対に、私は後悔の念に駆られる。
――――しまった。どうしよう。言ってしまった。
友人達の前ではないにしろ、人に本音を吐き出してしまった。それも誘導尋問にかけられるみたいに、勢いで。
自分は表で嘘をついているのだと、あの子達を騙して、楽しいフリをしているだけだということを認めてしまった。告白してしまった。
制服のスカートをぎゅっと握る。
――ここままじゃ。
「あ、あの」
「?」
「も、もう取り消しができないのは分かってますし、そうしたところで貴方にはすでに本音がバレちゃってますから、今更うやむやにするつもりも、その、ないんですけど」
「なに?」
「あの子達には……言わないで下さい。今の、ことは」
ここで「どーしよっかなー」なんて意地悪な返事が返ってきたら、正直私は泣く自信がある。
今まで積み上げてきたものが、この人の手によって崩されてしまうのを想像したら、途端に恐怖の感情が湧き上がってきた。加えて、そもそもこの人――黒パーカーの人が私に近づいてきた理由も、私の様子をずっと見ていたという理由も、そういえば何も知らないことに気づき、さらに不信感が強まる。
掴みどころがないとは何度も言ったけど、本当にこの人は何を思って、何を考えて、何が目的で私なんかに声をかけてきたんだろう。
「言わないよ」
「……えっ?」
「言わない。僕になんの得もないし、……目の前で泣きそうになってる女の子をからかって苛める趣味もないしさ」
言われて、返ってきたのが意地の悪い言葉じゃないことに安堵しつつ、自分の頬に触れてみる。
泣きそう?……私は一体どんな顔をしてる?黒パーカーさんに引かれるような顔になってないだろうか。だとしたら嫌だな……。
後ろ向きな思考のせいでそうなって……って、あれ、こんな感じのやり取りついさっきもした気がするぞ?
黒パーカーさんの方を見ると、僅かに心配の色を含んだ目で私を窺ってるのが分かる。
出会っていきなり人の本音をペラペラと暴露したりする一方で、悪い人ではないんだろうなと、私もなんとなく思い始めてるのだから、なんだか不思議だ。この人は。
「……ありがとう、ございます」
「別にお礼言われることはしてないんだけど」
そう言われても、この流れで他の返答が見つからなかったのだ。
実際、言い方は悪くなるが――――私の生殺与奪の権は黒パーカーさんが握ってるわけだし、友人達に告げ口をしようと思えばいつだってできる状態だ。
でもそれを実行しないと約束してくれたのだから、ここは感謝くらいさせて欲しい。
「あー……それで、えっと」
黒パーカーさんは頭を掻きながら、何やら口籠る。
「僕が今日、君をここに連れ出した理由、言ってなかったよね?」
「はい」
今更感が拭えないのは私と同じなのか、少しばかり困った様子。
うん……できればもっと早くに教えてほしかったです。
「後ればせながら」と黒パーカーさんは軽く会釈してから、
「僕は鹿野修哉。よろしく」
にっこりと。
私に手を差し出して自己紹介してきた。
――――……え?このタイミングで?自己紹介?私が聞きたいのはそれじゃなくて……っていうか、え、名前を名乗るってことは今後もお会いしましょうってこと?……だよね。これっきりじゃなくて?
「です……」
あれ、なんで私も釣られて自己紹介してるんだ。
差し出された手を握ると、黒パーカーさん――もとい鹿野さんは、「ちゃんかー。よろしくね〜」と無邪気に笑った。
「実は僕、前から君のこと気になってたんだよね」
「…………は?」
笑顔で放たれた不意打ちの爆弾発言に、思わず私の時間が停止する。
――……前から……気に……?
これじゃまるで私のこと……いやいやいやいやいやいやいや落ち着け。落ち着け。意識しすぎだ考えすぎだ……!
「あ、気になってたっていうのはそういう意味じゃなくて」
ほらね!
「だから顔赤くされても困るんだけど……」
「な、なななに言ってるんですか、ち、違いますよ」
「何その分かりやすい反応……ふふっ」
恥ずかしい勘違いをした上にそれを指摘されて、私の羞恥パラメーターは振りきれそうだ。もしかしたら今まで生きてきた中で一、二位を争うくらいに焦ってるかもしれない。恋バナばかりの友人達の影響なのか、なんでも恋愛方面へ事を繋げてしまう恋愛脳になってしまってたか、自分。
恥ずかしい。消えてしまいたい。――――でもおかしなことになぜだか、心の奥でこの状況を悪くないと思ってる自分がいた。
それは多分、目の前で、目尻に涙さえも滲ませて笑ってる鹿野さんがいるからだろう。
深読みする必要もない、本心から零れた笑顔だとすぐに分かる。
私が長い間友人たちの傍で浮かべていたものとは違う。
笑われているのに惨めな気持ちにならない。――なんだ、これ。
「くっ……ふふ……」
「い、いつまで笑ってるんですか……!」
「ご、ごめ……くくっ……話、戻そうか」
言いつつも、まだにやにやと口角が上がってる鹿野さん。
……ああ、でも、やっと聞けるのか。この人が、私を見ていた理由が。
「少し前から、かな。街で友達たちと一緒にいる君を見かけるようになったのは」
一度、瞼を閉じて開くと、さっきの笑い顔が嘘のように消えた。相変わらず薄い笑みは貼り付いてるが、どうやらこれが鹿野さんの通常モードらしい。
「最初は、そこらへんの女子高生たちと変わらないなって思ったんだけど、何度か目にするうちに、君が友達の前で自分を演じてるってことに気付いて。それからだね、気になって様子を観察するようになったのは」
「……」
「明らかに無理してるなって分かる場面もあったのに、君は周りにそれを吐き出さず、本心を隠して必死に平気なフリをする。――まるでどこかの誰かさんみたいでさ。だからすぐ分かったし、目が離せなかったわけ。そして今日、君と接触を図るためにここに連れ出して、ほんの少しだけど……本音を聴けた」
鹿野さんの口元が一瞬綻ぶ。
「僕としては君――ちゃんに興味がある。君が友達の前でなんであんな態度でいるのかってのは、今は訊かない。――訊かないから」
スッと。
またもや私の前に手が差し出される。
「今日から僕と、友達になってくれないかな」
煙 幕 デ ィ セ イ バ ー ズ
「……え?」
きょとんとする私に、鹿野さんは微笑みかける。
「さっきも言ったでしょ?これからよろしくってことだよ」
――え、いやいや急にそんなこと……ってなんだこの展開は。
予想もしてなかった出来事に、言うまでもなくついていけない私は、「え、え?」と情けなくテンパるばかりだ。
――友達?私と、鹿野さんが。トモダチ?なにがどうなって、こうなった?
「……嫌?」
私がなかなか結論を出さず手を取らないせいか、鹿野さんが不安そうに首を傾げてくる。
その子供みたいな仕草に、不覚にも胸の奥が高鳴るのを感じ、私は事態が正確に呑み込めてないにも関わらず、手を握り返してしまった。
「ありがと」
そう言って次に浮かべた嬉しそうな笑顔にも反応する私の心は、変なところで正直者だ。
えーと……なんだか成り行きで事が進んだ感が否めないけど。
私も、鹿野さんのことが全く気にならないといったら嘘になる。私の本音と建て前を知っても尚、友達になろうと誘ってくれるこの人のことが。その上、私の演技を見破った、初めての人でもあるのだ。
「呼び方、ちゃんのままがいい?それともちゃん?」
「す、好きにして下さい」
……案外後悔してないってことは、これはこれで私も期待してるんだろう。
この出会いから始まるであろう、これからに。