「今日はカノの日だね」


壁にかけてあるカレンダーの、4月1日の箇所を指差して、が楽しそうに言う。


「僕の誕生日は5月だけど?」


4月1日という日が意味することを理解していながらも、僕はワザと的外れなことを口にする。


「違うよ。そうじゃなくて、4月1日。今日は嘘をついていい日でしょ」


知らないの?とが首を傾げて訊いてくるが、もちろんそんなはずはない。日本だけでなく世界各国で盛り上がりを見せるイベント、今や知らない人はいないであろう『エイプリルフール』。嘘をついていい日。国民全員が嘘つきになる日。その規模は個人同士を通り越して企業までもが乗っかるのだから、ある意味一大祭りが世界のあちこちで開催される日と言ってもいい。外の世界事情に疎いマリーでさえ知ってるんだから、僕が分からないわけがない。あえてに対してとぼけたのは――――まあ、ただの気まぐれだ。深い意味はない。


「……知ってるよ。今日が僕の日ってことは、は僕のこと、いつも嘘つきだって思ってるの?」
「えっ違うの?」


すでに分かりきってることだけど一応訊いてみれば、は純粋な子供みたいに頭上にクエスチョンマークを浮かべた。意外な質問を突き付けられた、みたいなその顔は僕が嘘つき以外の何物でもないことを語ってる。つまり、日々常々から僕はそういう認識をされているわけで、


「酷いなあ」
「うそ。自分でも解ってるんでしょ」


少し大げさに肩を竦めると、の僕を見る目が僅かにキツくなった。と、いっても睨みつけられているわけではなく、幼子がぷっくり怒ったみたいな眉の吊り上げ方だ。外見年齢に反してこれまた子供っぽい態度。やっぱり感情表現は精神年齢と比例するのかな、なんて。


「ぷっ」


本人を前に堂々と喋れないことを考えてたら、思わず彼女の前で吹き出してしまった。笑いの沸点が低いのは相変わらずだ。相手がキドだったら一秒もかからない内に拳を入れられてる状況だけど、は眉間に皺を寄せて怒るだけなので、僕も腹を守らず安心して口に手を持って行ける。


「何か失礼なこと考えた?」
「いや、べつに、なにも」
「嘘だね」


ああ、嘘だよ。と声には出さず心の中で呟く。まあ、今のは疑われて当然だ。顔見て笑っちゃったわけだし、そんなんで『別になんでもない』と言い訳したところで、白々しい言い逃れに過ぎない。


「ごめんごめん、ちょっとね」


僕のことを探るような目でじろじろと見てくるに笑顔を返すと、更に疑り深いジト目で凝視されてしまう。眼つきの悪い不良がやったらそれなりに圧力を与えられそうな目力だけど、がするとただの眠そうなカピバラにしか見えない。五秒ほど僕の顔を覗き込んだ彼女は、ソファに歩み寄ると、ドサッと豪快に腰を下ろした。僕と丁度、向かい合うような位置で、


「これから私の言うこと、嘘か本当か当ててね」
「へ?」


唐突な振りに瞬時に対応できず、間抜けな一言がついて出る。……ん?


「エイプリルフールだからね。嘘つかないと」
「クイズ形式とは新しいね」


僕をずっと見つめてても時間を無駄にするだけだと察したのか。話題を切り替えた――というよりは冒頭に戻して、は腕を組む。付き合いはそれなりに長いけど、思いついたことを前振りなく実行する彼女の癖には未だについていけない。クイズってなんだ。普通はさり気なくついてから、今日はエイプリルフールです的なネタ晴らしをするもんなんだが、これはかなり前衛的だ。うーん、としばらく視線を宙に彷徨わせたは、両手を太ももの上で握りながら再度僕を見据えて、どこか遠慮気味に唇を動かし――


「実は私……最近彼氏ができたんだ」
「ハハ」
「何その乾いた笑い!」


悩んだ末思いついたのが予想以上に分かりやすい嘘だったので、呆れも含めて僕は乾いた笑いを吐き出した。はダンッとテーブルに両手をついて立ち上がり、ムっと頬を膨らませる。


「彼氏、ね……ふふっ」


にねえ。


「〜〜〜ッ!う、嘘だと思う!?ホントだと思う!?」
「嘘でしょ」
「…………せいかい…………」


屈辱と羞恥に染まったが再びソファに座りこむ。自分から変な嘘をついておいて、結果これなのだから、まったく見事な自爆としか言いようがない。……僕としては、結構面白いからいいんだけどね?時に態度が秒速で変化する彼女は、弄り甲斐がありすぎて困る。はむすっとした表情のまま、出題を続ける。


「じゃ、じゃあ昨日、私がキドと一緒にカノの分のケーキ食べたことは?」
「えっ」


えっ?


「先週ホラー映画観たあとに、シンタローがモモの部屋に駆け込んだのは?この前、キドの料理の手伝いしてる時、マリーが塩と砂糖間違えたのは?はなおがケージから脱走して、アジト中探し回るハメになったことは?全部カノが居ない時の出来事だよ。嘘か本当か……」
「ちょ、ちょっと待って!」


ペラペラと『嘘か本当かクイズ』の問題を出していくの言葉を遮り、僕はただ今さらりと自然な流れで告げられた衝撃の事実を反芻する。なんだって?


キドとが僕の分のケーキを食べた?


……いやいや、まだ事実と決まったわけじゃない。嘘の可能性もあるじゃないか。ここで素直に反応したら、それこそ子供だろう……。楽しみに取って置いたのに……なんていう本音は絶対悟られてはならない。普段散々やマリーをからかってる僕がケーキ一切れで一喜一憂するなんて、僕が僕じゃなかったら絶対に格好のネタにしている。…………ああ、でもなんだか変な胸騒ぎがするな。嫌な予感が胸の奥から湧いてくるのを感じて、冷蔵庫に目線を固定すると、僕はソファから立ち上がった。


「答えは答えてからにしてよー」


台所の方へ足を進める僕の目的が分かったのか、一瞬じゃ理解できにくいことを言いながらが後からついてくる。だが、文句を垂れた割に止める気はないようで、僕が冷蔵庫を開けて中身を確認するのを隣で黙って眺めていた。


「……嘘じゃん……」


食材に囲まれた皿の上に、一つだけ残っているショートケーキを見て、ホッと息を吐く僕。嫌な予感は外れたが、しかし安堵の時間はやってこない。横に居たが僕とケーキを交互に見ながら、


「カノって意外と子供っぽいよね」


ぷっ、と小さく笑いを零したのだ。…………おおお、なんという無自覚ブーメラン発言。思わず挑発されてることを忘れて、心中で突っ込みを入れてしまう僕。小学生に「小学生みたいだ」とからかわれたみたいな、なんとも言えないこの気分。多分苦笑いみたいな顔になってると思う。は口元を手の平で上手く隠しているが、これは完璧ニヤついてるな。意地の悪い笑みに違いない。――――いつの間にか立場が逆転してることに気付いた僕は、半ば無理やりに話題を変えた。


「さっきの三つは、全部本当?」
「え、どっちだと思う?」
「棄権するから教えて」
「えー」
「教えて」
「んー……本当だよ」


解答を要求したら案外簡単に答えを教えてくれた。……粘らないんだな。このままキド達が帰ってくるまで続くのかと予想された咄嗟の思いつきによるゲームは、結局というか案の定グダグダな終わりになった。思いつきだから計画性が無いのも当たり前で、故に先が見えず、ここで中断を選んだのだと思われる。実に無駄な時間を過ごした――とは思わない。暇つぶし程度のやり取りだったが、面白い情報を聞き出せたから僕的には実りがあったし、僕が留守にしてた間にあんなに面白いことが繰り広げられていたなんて、その場に居合わせなかったのが残念でならない。エネちゃんあたりなら当時の様子を喜々として語ってくれそうだし、後で聞きに行ってみよう。


「ねえ、カノは何かない?」
「何が?」
「嘘のネタ」


問題を全て出し尽くしたらしいが、退屈そうな声で僕に出題の権利を渡してきた。……嘘のネタ、ねえ。まだ続けるのか。特に考えてなかったけど、一度言ってみたかったことならある。考えてみれば一年に一回のこの日は、それを表に出す他にない好機かもしれない。……言っていいのかな。やっぱりどんな反応するのか気になるしな。――台所の冷蔵庫前なんて、シチュエーション的にはムードも何もあったもんじゃないが、



「ん?」


ふう、と自分を落ち着かせるための息を吐き、体の向きを変えて、口元を引き締め真剣な眼差しでを見つめる。―― 一回言ってみたかったこと。目をぱちぱちと瞬かせている彼女を前にして、僕は自分でも驚くくらい真っ直ぐに重みのある言葉を――――――




「好きだよ」




――瞬間、瞬きを繰り返していたの瞼の動きが完全に停止する。ポカンと小さく口を開けて、世界の全てを疑うような無垢な瞳を僕に向けている。沈黙がしばし場を支配したあと、ボッと火をつけられたみたいにの顔が赤く染め上がった。


「な、えっ、なっ、はっ、え?」
「君を一人の女の子として」
「え、は?な、」
「嘘か本当か、どっちでしょう」
「なっ……!」


自分でもちょっと雰囲気を出し過ぎたかと思っていたら、当の相手は想像以上の反応をくれた。――正直、凄く面白い。口内を噛んで必死に笑いを我慢するが、いつ吹いてしまうか分からない。はあわあわと挙動不審になりながら口をパクつかせて、


「なに、い、いってんの!?」


耳まで真っ赤にしながら、どうにか言葉を紡ぎだした。動揺しすぎて、若干声が上ずっている。僕のことを『子供っぽい』と見下ろして笑っていた先程の笑顔は完全に消え去っていた。――――余裕を失った彼女と、そんな彼女を眺めて笑う僕と。形勢逆転。いや、元に戻ったと言うべきか。いつもの立ち位置を取り戻した僕は薄い笑みを浮かべつつ、目の前で茹でダコになっているに、一言。


「嘘だよ」


なんて、実のところ自分でも今しがたの告白が、嘘か本心か分かってないまま。いつもより速く脈を打つ、僕の心臓の音がやけに大きく聞こえていた。




嘘つきの日