「プリクラとか撮ってみない?女友だち同士以外にも恋人と一緒に撮ったりする人も多いらしいよ」
「そういうのは別れたあとに見たら黒歴史になるだけだからいい」
「休日だし、遊園地か映画でも観に行こうか」
「人が多い所は苦手」
「の手料理とか食べてみたいなって思うんだけど」
「キドの方が上手いよ」
「たまにはラフな格好じゃなくてオシャレとかしてみない?」
「誰が得するのそれ」
「…………」
僕が買ってきた雑誌を読みながらソファでくつろいでるに目を向ける。
いつも通り、動きやすい服装でのんびりと休日を謳歌している彼女は一応、僕と恋人という関係にあるヒトだ。
一応、というのは、僕たちの……というよりの僕に対する振る舞いが世間一般の彼氏彼女とはかけ離れたものだからだ。お互いの気持ちを伝えあって付き合い始めたのはいいものの、一向に恋人同士らしいことをできないまま月日が流れてしまっている。元々彼女は何かに強い興味を示したり、熱中したりする性格ではなく、周りに"冷めている"という印象を植え付けるような娘だった。
そんな若干浮いてる彼女でも、時たま人間らしい部分や、優しい一面や可愛い顔なんかを覗かせるもんだから、そのギャップに幾度となく触れた僕はいつの間にか彼女のことを好きになっていた。
両想いだと知ったときは驚いたけど、関係が一転すれば無愛想に分類されるも少しはデレてくれるようになるはず。
……と、期待した。
したのだけども。
結果としてそういうことは一切なく、今まで通りつかず離れずな距離を保った状態で、恋人らしいことはほとんど実行できないまま今日も僕たちは時間を浪費している。
僕がどんなに歩み寄ろうとしても、はそれを華麗に受け流して自分の意見を貫き通す。以前プリクラに誘ったときは『別れたあとのことを考えると〜』だのなんだの言われて、彼女の気持ちは本当に僕の方に向いているのか不安になったが、ちゃんと好いてくれているという意思はみせてくれた。といっても、『今はもちろん修哉のことが好きだけど、先のことなんてどうなってるか分からないでしょ』と嫌に現実味のある冷めた回答だったのだけども。
普通の恋人同士がデートに行くような場所に誘ってもノってこず、一緒に住んでるというのに手料理の一つも振る舞ってはくれず、オシャレすら僕の前ではしてくれない。
お蔭で大好きな彼女がいるのに、街中でイチャついてる恋人を見るともやもやするという、おかしな感覚に陥るようになってしまった。
「……はあ」
今日も朝からどこかに出かけないかと誘ったのだが、相変わらず無気力なからいい返事はもらえなかった。自分の部屋と居間を行き来し、気ままに過ごす彼女は僕なんか視界にも入っていないようだった。
確か先週も、先々週も、その前も。
ずっとこんな感じのことが続いている。"普通"なら恋人同士になれた初々しいカップルはここぞとばかりにイチャついたり、四六時中お互いのことを考えて"恋"を満喫するはずなのに、僕たちの場合は付き合う前と変わらない一定の距離が置かれたままだ。キドからは前『お前らって付き合ってそんなに経ってないのに熟年夫婦みたいだな。冷めきってコミュニケーションがなくなった感じの』という非常に不名誉な例えに当てはめられた。なんとかこの状況を脱出したいと奮闘するも、が振り向いてくれないことには僕の努力も無駄になるだけ。
このままでいいわけがないし、正直もっと進展したいのが本音だ。
僕だって男だし。手も繋ぎたいし、抱きしめあったりもしたいし、キスもしたい。
無論、それ以上のことも。
「…………」
そう強く思ってはいるのだが、現実はなかなか上手くいかない。今日だってフられたし、全く前に進んでる気がしない。
告白して以降が倦怠期みたいになってる恋人同士ってどうなんだろうか。あの頃が一番輝いていた、なんて言ったら僕は女々しい男になるだろうか。
「おい、風呂沸いたからマリーかかカノ、誰か入れ」
気がつけば時間は午後6時過ぎ。一日ももうすぐ終わりを迎える。夕食の準備をしているキドが、居間にいる僕たちに向かって言った。
「私、あとでいい……」
「私もいま目が離せないから、修哉入りなよ」
編み物をしているマリーが遠慮気味に断り、雑誌を読むのに夢中なが僕に一番風呂を譲ってくる。
「あー……うん。じゃ、僕入るね」
顔も上げずに各々自分の目の前にあるものに集中しているとマリーにそう告げてから、部屋を出て洗面所の扉を開ける。
休日、という恋人がいる人間にとっては特別な一日を無駄にしてしまったことを後悔しながら、着ているパーカーに手をかける。溜息を吐きつつシャツも脱ぎ、ベルトを緩めたところで――――扉がコンコン、とノックされた。
「今どこまで脱いでる」
「…………え?」
ドアは開けられることはなく、その向こうで淡々とこちらに話しかけてくる人がいる。
勿論その声には聞き覚えがある。
「?」
先程までソファで雑誌を広げてくつろいでいた彼女がなぜここにいるのか。何かを取りに来たのだろうか。でもそうだとしたら今しがた尋ねられたことと目的が一致しない。
『今どこまで脱いでる』……だって?
「え、なに?」
「今どこまで脱いでるか聞いてる。から、答えてほしい」
「え、えーと……上半身は裸。下は着てる」
僕が戸惑いながらそう答えた瞬間、洗面所のドアが開け放たれた。
遮るものがなくなって、お互いにお互いの姿が確認できるようになる。冷静な口調に似合った落ち着き払った態度で、は僕のいる洗面所に入ってくる。
「?…………!?」
異性の、それも恋人の脱衣現場に踏み込むというシチュエーションを実行しているにも関わらず、はいつもの涼しい顔で『何もおかしなことはしていない』とでもいうように堂々と距離を縮めて僕に迫って来る。
交際歴数年のカップルじゃないのだ。普通なら、お互いに照れる場面だろう。
もし僕との立場が逆なら、彼女はきっと悲鳴をあげてるはずだ。
いきなりすぎてついていけない展開に、僕は口一つ挿むことができない。
「…………」
「え、え?」
僕を壁際に追い詰めて、布に覆われてない僕の上半身をマジマジと見つめ、何に納得しているのかしきりに首を縦に振る。どことなく表情は勝ち誇ったようなそんな感じの雰囲気を纏っており、最後にもう一度大きく頷いてから、僕の顔を至近距離で覗き込んできた。
「修哉」
「な、なに……」
付き合って一応それなりに経つ恋人同士なのに、こんなに接近したのはこの瞬間が初めてだ。
「男の人ってこういうことがしたいんでしょ?」
「え?」
の綺麗な顔が近づいてきたことにドキドキしていると、彼女はいきなりそんなことを呟き、そしておもむろに僕の体に手を伸ばし――――
「!?」
抱きついてきた。
衣類を身に着けていない上半身に、の柔らかい感触がダイレクトに伝わってくる。それなりに大きい彼女の双丘が僕の胸にギュッと押し付けられる。
「ッ……」
それだけじゃない。
僕の首元に顔を埋めたの髪から、女の子独特の良い匂いが漂ってき、僕の思考能力を奪っていく。体を密着させてさらに、もぞもぞとが動くものだから、僕の意識は意図せずともピンク色に染まっていく。
一体、なにが、したいんだ。
ごりごりと削られていく残り少ない理性でそう疑問を抱いた瞬間、がバッと僕の体から離れた。
「……どう?」
「…………どう?って……」
……何が。
こっちが聞きたいことがあるのに、逆に回答を求められた。
ぬるま湯に長時間浸かったようなボーッとする頭で、目の前にいるを視界に据える。珍しいことに彼女は、口角を上げて嬉しそうに僕を見ていた。
「びっくりした?」
「……そりゃ、びっくりしたよ」
「なんで?」
「なんでって……。そりゃ、なんで、いつもは無反応なのに、いきなりこんな……」
「……えへへ」
僅かに自分の息が荒くなってるのが分かる。
彼女と二人きりの脱衣所で。余裕を纏ったとは反対に、僕は熱くなった顔で肩を上下させている。ここでマリーやキドがこの場に入ってきたら説明に困る状況だ。
……っていうか。
「わらっ……」
てる。ほとんど無表情なことが多いが。
「今までちょっと冷たくしすぎたかなって。だから、ね」
僕がその笑顔に見惚れていると、彼女は悪戯っ子っぽく肩を竦めた。
「ドッキリみたいなこと、しようと思って」
「心臓に悪すぎだよこれは……」
企みが成功して楽しそうなとは裏腹に、未だに僕の胸の奥はドクドクと高速で脈を打っている。こんなに息があがったのは告白したとき以来だ。
今の今までなんのアクションも起こしてくれなかったのに。
初めての恋人らしい行為が、手を繋ぐだとかそんな過程をすっ飛ばしてまさかこんな形になるだなんて。
「……」
「どうだった?」
満足そうな笑みを浮かべる僕の彼女――――を、僕は改めてしっかり見つめる。
漏れるのは溜息。
ああ、そうだ。彼女はもともとこういう娘だ。
普段はすごく大人しいのに急に驚くようなことを仕掛けてきたり、いつもは無表情なのにたまにすごく可愛い笑顔を見せてくれたり、口ベタなはずなのにときどき饒舌になってこっちがドキッとするようなことを言ってきたり。
「…………」
僕は、彼女のそういうところに惚れたのだ。
「……嬉しかったよ」
「ほんと?」
「うん。いつもこうしてくれたら……あ、いや、もっと軽いのでいいかな」
「かるいの?」
「…………心臓と下半身に悪いからね。まだキスもしてないのに」
「キス?」
小声で呟いたはずの僕の言葉をしっかり拾っていたようで、が聞き返すようにその一言を口にする。
もしかしてこの流れでキスもしてくれるのだろうか。少し期待しつつの顔を見ると、知らず知らずのうちに自分の頬が緩むのが分かった。
……だが、数秒間の沈黙があったあと、彼女はまたニヤリと口元を吊り上げてから、僕に背中を向けて洗面所を出ると、ドアを閉める間際に顔だけをこちらに傾けて、一言。
「それはまた、今度ね」
君 っ て や つ は !
僕はこれからも彼女に振り回されるようです