朝からとにかくアピールが激しかったことが、ひとまずの感想だ。


いつも見ているニュース番組のチャンネルを私が居間に来た時だけ替え、バレンタイン特集をしてるものに合わせたり、本を読んでる私にこそこそと近寄ってきて『マリーとキドとキサラギちゃんはくれたんだけどなー』とワザとらしい演技がかかったことを傍で呟いたり、ジュースが飲みたくて私が台所に行くと何を勘違いしたのか『僕はちょっと出かけてくるから、そのあいだ頑張って』と声をかけてきたり、また、帰宅した際には『そろそろ三時のおやつとか食べたいよね〜……甘いものとか?』と語りかけてきたり、更には夕食のとき『今日は一年で一回しかないイベントなわけだけど、みんなはどうだった?』とやたら私の方をチラチラと窺いながら皆の前で言ってみたり、そしてついさっきは『もうすぐ一日も終わっちゃうけど、は何かし忘れたこととかない?』と執拗に絡んできたりと。

ハッキリとした単語は口にすることなく、あくまで私の方から歩み寄ってきて欲しいのか、とにかくずっと思わせぶりなことを言ってこちらの気を惹こうと奮闘していた。
私はその全てをことごとくスルーしたわけだが――――





「…………」


色々あった末、現在の時刻は10時30分。
あともう二時間もしないうちに今日が終わってしまうという頃だ。
私に付き纏っていたカノはというと、自分の部屋にこもって、かれこれ一時間近く音沙汰がない。

普段ならこの時間はソファーでごろごろ寛いだりしているのだが、夕食が終わってしばらく私の方を気にしたあと、静かに皆のもとを離れて自室に行き、以来何のアクションも起こしてない。
明らかに"いつもと違う"と分かる変化なのだが、朝から私に対する態度が違っていたのを考えると、これもその一環なのかという結論に辿り着く。

要は心配なんてしてないということだ。
キドやマリー、モモちゃんも『がチョコをあげなかったから拗ねてるんじゃない?』と私と同じもっぱらそっちの思考にいってるのだった。あれだけ露骨にアピールしていたからというのもあるが、常日頃からの薄い人望の影響も大きいだろう。


そんな調子だからこそ私も構わず、今の今まで無視を続けてきたのだけれども……。
さすがに、セトとシンタローとエネちゃんには渡してキドとマリーとモモちゃんとも交換して、カノだけにあげなかったのはマズかったか。
あまりにしつこく言い寄って来るので、私も変な意地を張ってずっと行動に出なかったが……そろそろこちらから歩み寄ってあげないと可哀そうかな。




* * *






「カノー」

用意していたチョコレートを手にカノの部屋の扉をノックする。「…………」5秒ほど待って何の反応もなかったので、再度ドアを叩くも、中から出てくることもなければ声すらもしない。
全くの無反応だった。


「……ふうん」

扉と壁の僅かな隙間から部屋の中の光が漏れてるので起きてはいるのだろうが、どういうわけか私に対する返答は一切ない。
――さては、本当に拗ねてるのか。
試しにもう一度呼びかけてみても、相変わらず返事は返ってこず。



……。
…………まあ、ね。

私が彼のアピールを無視し続けたのは紛れもない事実だ。
今更だけど、私が鬱陶しいと感じていたあの主張の数々は、ただ単に、チョコレートが欲しかっただけのカノの素直な感情表現だったのではないだろうか。私は張り合うように無関心を貫いたが、思い返すとその行動はとても大人げないものだったんじゃないか?


「いや、…………」

でも、それは、渡しにくい雰囲気をつくったカノの方が悪いんであって――――――と、考えたところでブンブンと頭を振りながら否定する。
元々バレンタインデーは、女性の方から男性へ一歩を踏み出す日だ。それが本命でも義理でも、男の人からねだられる前にあげるのが普通であって。今回の私の場合は完全に機を逃してこんなことになってしまったが、やっぱりこの日はこの日のルールに従ってちゃんと終わらせるべきだろう。


「カノ、起きてる?…………良かったら、開けてほしいんだけど」


再び控えめにノックをして扉の向こうにいるカノに話しかける。顔を出してくれるか心配だったが――――待つこと数秒。ゆっくりと目の前の扉が開き、眉間に少し皺を寄せたカノが姿を現した。



「……入りなよ」
「う、うん」


普段から笑顔を絶やさないカノにしては非常に珍しく、露骨に表情を崩してるのを見て、『もしかしたら拗ねてるだけじゃなくて怒ってるのかもしれない』と不安に駆られる私。カノはジッと私を見つめてからドアを大きく開くと、中に入るよう促してくれる。


「……で、何?」
「え、あ……ああ、えっとね、」


こちらに背を向けて尋ねてくるカノの、いつもよりトーンが低い声に威圧されながら、私は戸惑いながらも言葉を紡ぐ。



「今日は、ほら……アレじゃん?」
「アレ?」
「うん、ほら、えーと……」


率直に迷うことなく『今日は意地悪してごめんね。はい、チョコレート』と言えれば問題ないのだが、自分はそういうことが簡単にできる人間ではないうえ、むしろその反対、無駄に強情を張ってタイミングを見失うタイプの性格である。『素直になれないツンデレ』と言えば某ニジオタのシンタローが食いつきそうな響きだが、生憎そんな可愛いものでもない。二次元ならともかく、現実では存在していても手がかかるだけだというのも、私は自分の態度の数々から理解している。
だからいくら脳内で台詞を考えても舌がついていかず、毎回グダグダな喋りを披露することになるのだ。

私と同じ場面で緊張し、ここぞという時に口ベタになるがまだキドの方が勢いがあるので、こういう時もさっさと事を済ませることができるだろう。私はというと、悩んだり照れたり言葉を探したりしてるうちに相手から助け舟を出され、それに乗っかってやっとまともに喋られるようになるのが常だ。
本当に情けない。



「ええと……」


一言。
たった一言『ごめん』と『これあげる』を言うのに必要以上の時間をかけ、未だに声にすることができない自分。頭の中に言葉が次々と浮かんでくるのが嘘みたいに、唇は器用に動かない。


「あ……」


言わなきゃいけないことも、言いたいことも分かってるのだけれども"意地っ張り"の性なのか、それとも元々こういうシーンでは口ベタになるのか、あるいはその両方なのか。何にせよ、弱々しく単語を呟くだけで伝えることすらままならない。




「……」
「……」


数秒、はたまた数分か。
状況が状況なだけに、たった3秒でも凄く長く感じる空間の中――私とカノ。お互いにこれといったことを何も発さないまま時間だけが経過した。私は途中から下を向き、ひたすら視線を足下の辺りで彷徨わせながらタイミングを見計らっていたのだが、



「……プッ……ックク…………」


しばらくして、前の方――――私に背中を向けてるカノの方から途切れ途切れの声が聞こえてき、不審に思った私は咄嗟に頭を上げた。

すると、そこには。



「…………」
「クッ……ハハッ」


両手を口元に持っていき、肩を小刻みに震わせているカノがいた。
チラリと見えた口角は上がっており、押し殺した声はだんだんと音量をあげて漏れていっている。


「――――ッ!」


本人の表情を確かめるよりも前に、カノが今どんな顔でどんな心境でいるかを察した私は、首から上が熱を帯びていくのを感じながら、勢いよく彼の肩を掴み、力づくでこちらの方を向かせた。


「カノッ……!!」
「え〜?いや〜……だってさ。ちょーっと怒ったフリしただけなのに、ってばいつも以上にしおらしくなって……ククッ……だんまりしちゃったから、ね。面白いったら……」


それまでの雰囲気をぶち壊すような笑い声をあげて目尻に涙まで溜め始めるカノ。喋り方はいつになくこちらを嘲笑ってる感じで、エネちゃん風に言えば『語尾に草が生えてそう』な煽り口調だ。
怒ってたのが"フリ"だったという真実に安堵するよりも、胸の奥から込みあがってくるもう一つの熱い感情の方が勝り、私の拳はワナワナと震えだす。――なんとか笑いをおさめようと、今度はお腹に手を持っていってるカノと同じように。



「ホワイトデーは300倍返しね!!!」
「ぶっ」


握りしめたグーの手を繰り出す代わりに、もう一つの手で持っていたチョコレートの袋をカノの顔面に遠慮なく突きつける。カノが変な声を上げて"それ"を受け取ったのを確認すると、私はすぐさま踵を返してドアの方へ歩を進める。


「心配して損した……!!」


真面目に謝ろうとちゃんと向き合おうと考えていたさっきまでの自分が馬鹿らしく思えてき、激しい後悔の念に駆られる。やっぱり一発入れておいた方がよかったかと考えたところで「ありがとー、おいしくいただくねー」と後ろからかけられた朗らかなカノの声に割って入られ、なんともモヤモヤした気分に陥る。


仕置きは来月の14日、300倍のお返しがこなかった時にでも実行してやろうと頭の奥で計画を練る。
一ヶ月後、今度は二人でどんなやり取りをするのかを想像しながら。