目の前に差し出された"それ"を、ぽかんと口を開けて眺めながら、ぱちぱちと瞬きを繰り返した末、時間差でやっと"意味"を理解したようだった。



「えっ、お、おまえ、これ……」
「だから、チョコです。バレンタインの」


『早く受け取ってください』という意味を込めてさらにグッと"それ"を突出しながらそういう私。――――しかし先生は苦い顔をしてなかなか"それ"を手にとらない上、次には掌をこちらに向けて首を横に振った。


「……俺は、お前のことは、大事な生徒だと思ってる」
「え?」
「成績もそこそこで、問題行動を起こすこともない、素行も真面目な自慢の生徒だ。俺は――、お前の担任ではないが、中学の頃からアヤノとの縁があるお前に勉強を教えることも今まで多々あった。だから、お前のことは一生徒として……」
「は?……え?ちょ、な、なに勘違いしてるんですか!」


渋い表情で何を言い出すかと思えば、完全に間違った方向の解釈をつらつらと述べ始めた先生。最初は発言の意図が分からなかった私も、聞いていくうちに先生の言いたいことを悟り、それとほぼ同時に真っ向からその考えを否定する。


「そんなんじゃないです!義理ですよ義理!」
「……えっ」
「私、先生のこと、そういう目でみたこととか一度もありませんから!!」


先生のあまりにも突飛な"事の分析"に思わず必死になって声を張り上げてしまう私。
時は放課後とあって私たちの周辺に人がいないのが幸いだが、もし、傍目から目撃でもされてたら……と想像するだけでもおぞましい。明日から学校行けなくなる。私と先生はいたって普通の後ろめたさもない関係――――といっても、他人が今の光景だけを見ればそう捉えても仕方がないだろう。
自分で言うのもなんだが、放課後、人通りの少ない廊下で二人きり、という青春漫画やドラマさながらのシチュエーションである。本当に自分で言うのもなんだが。

しかし。
それはあくまで"パッと見だけの印象"であって、事実は全く違うわけで――――――


「わ、分かった。……分かったから、落ち着け。……いや、でも、じゃあ、なんで今年はくれるんだ?こんなの」
「昔は別に、友達のお父さんにはあげなくてもいいかなって思ってて……。けど、アヤノを通じてお世話になったし、高校にあがってからは学校でも勉強を教わるようになったしで……クラスメイトの子たちも、親しい先生に渡したりしてるし…………。そ、そういうことです!」


やましい気持ちなど一切含まれてない。
神に誓ってもいいし、なんなら嘘発見器にかけてもらっても構わない。人の心が読み取れる超能力者がいるなら大歓迎するところだ。私の今の言葉に、嘘偽りはないのだから。
義理、というよりは普段なかなかお礼をできない分、この日を使ってせめてもの恩返しのつもりの譲渡だった。
一人で勝手に勘違いし、一人で勝手に話を進めていた先生は、私の本音を聞いて冷静さを取り戻すと――――柔らかい笑みを浮かべて私の頭に大きな手をのせた。


「おう、そっか。ありがとな」
「……もう変な勘違いしてませんね?」
「ああ。お前の気持ちは分かった」
「だから、その言い方……」


たまたまこの瞬間、私たちの傍を通りかかってその台詞だけを耳にした人がいたらどうするんだ。


「ああ。悪ィ悪ィ」


眉を寄せる私の頭部をポンポンと撫でて、いつもの軽い調子で謝る先生。
心も何もこもってないが、今更この人にそういうものを求めるのもなんだかなあと思い、溜息を一つ吐き出して黙認する。


「で、来年もくれるのか?」
「その前に来月ホワイトデーがきますけど」
「……あっ」
「先生大人ですし、働いてるんですし、期待してますよ。3倍返し」
「なっ……さてはそれが目当てか!」
「お礼半分、お返しに期待半分、です。楽しみにしてますね」


気が早すぎる先生にキッパリちゃっかり自分の要望を告げると、鞄を持ち直して一礼。「では、さようなら」。想定外のことが起きて予想していたより時間をくってしまったので、空が完全に暗くなる前にと、別れの挨拶を口にして廊下を歩いていく。
――5歩くらい進んだところで、「よし、わかった。期待しとけよ!」といつになく自信満々な先生の声を背中に受け、私は振り向いてから再び小さく頭を下げて、また歩き出す。

3月にはどんなものをお返しにもらえるだろうと、期待しながら帰路を進む。
例年とはちょっと違った、バレンタイン。