「はい。コノハ、これ」
何をするわけでもなく、ボーっと虚空を見つめていたコノハに、この日のために可愛らしくラッピングを施して準備した"それ"を差し出す。
「……?」
普通なら今日がどういった日なのかを即座に理解し、渡された目の前の物を見るなり、驚いたり喜んだりと相応の反応が返ってくるはずなのだが、普段から感情の起伏が乏しいコノハはこちらを向いて頭上にクエスチョンマークを浮かべるだけで表情さえも変わらない。
状況自体、分かってないように思える。
「……なあに?」
チラッと私の手の中にある"それ"を一瞥するも、まだ何を意味するのかにはピンとこないようで不思議そうに私の顔を見るコノハ。
「えっと……今日はバレンタインデーって、いってね」
「ばれん……た?」
「女性が男性にチョコレートを渡す日なの。好きな人だったり、お世話になってる人だったり、友達だったりに……」
「――くれるの!?」
どうやらバレンタインデーという言葉すら知らなかったようで、たどたどしく私の言葉をオウム返しに呟くだけだったがその"内容"を知った途端、今まで聞いた中で一番大きな声を出して飛びついてきた。ガッシリと私の両肩を掴み、さっきまでの無表情が嘘みたいに輝いた瞳で期待の眼差しを向けてくる。
「そ、そう。だから、これは私の気持ち。コノハとは友達だから」
「いいの?」
「う、うん」
子供みたいに純粋な、それでいて端整な顔を更にグッと近づけてくるコノハに不覚にも胸の奥が高鳴るのを感じた私は、このままではいけないと空いてる方の手でコノハの胸板を押す。
「と……とりあえず、このままじゃ渡せないから」
軽く力を込めて距離を置こうとすると、意外にもすぐにそれを察してくれたコノハが、バッと私の肩を離した。
「ごめん……痛かった?」
「ううん、大丈夫」
不安そうに私の様子を窺ったあと、目線はすぐに私の持ってるチョコレートへと向けられる。
……相変わらず素直だなあ、とうずうずしてるコノハに対し私は再びラッピングされた"それ"を渡す。
「はい。これからもよろしくね」
「……僕、何もしてないけど、ほんとにいいの?」
「もちろん。そういう日なんだから」
「あ、ありがとう……!、ありがとう……!!」
ずっと欲しかったオモチャをプレゼントされた子供みたいに、チョコを抱きしめて満面の笑みで喜ぶコノハ。食べることが好きだというのは、朝・昼・夜の食事の時のテンションから知ってはいたが、お菓子をあげてまさかここまでお礼を言われるとは思ってなかった。
来年はもう少し豪華にしようかなと考える一方で、やはり良い反応をもらえたのがうれしく、頬も気づかないうちに緩んでしまう。ハッピーバレンタインとはまさしく今の私たちの光景のことを言うだろう。
「、これ、すっごいおいひい……」
「もう食べてるの!?」
私が嬉しさに浸っていると、さっそく袋を開けて中のチョコをもぐもぐと頬張るコノハがいた。
食いしん坊の性なのか、いくつも口に入れながら、ふごふごと感想を伝えてくる。
袋の膨らみはすでになくなっていた。
――2月14日。
色恋沙汰で盛り上がるイベントといえば断然この日だ。
意中の男子のために必死にチョコレート作りに勤しむ女子もいれば、友達と交換するだけで済ませてしまう女子、本命はいないが身近な人のための義理用チョコを用意する女子、周囲と世間に流されることなく完全にこの日をスルーする女子。……それぞれ色々な想いでバレンタインデーという行事と向き合うことと思われる。
無論それは女の子だけでなく、男の子たちの方も様々な心境で迎える一日となるだろう。
すでにもらえることが確定してるリア充男子は心を躍らせ、片想いの相手がいる男子は淡い期待を抱き、特にイベントに興味がない男子は強く意識することもなく、関心はあってももらえる見込みがない男子は男友達と自虐的な会話を交わし、"逆チョコ"を実行しようと考える男子もいれば、年に一回国家単位で浮つく雰囲気自体をそもそも嫌う男子もいると予想される中、やはり一般的には甘酸っぱい一日になるのが世の流れだ。
今となっては、小学生……いや、園児からご高齢のお爺ちゃんお婆ちゃんまで詳しく知っているバレンタインというイベント。
その知識を持ち合わせてないコノハと、本命がおらず、かといって義理でもない"友チョコ"をその男の子に渡した私とでは、少し周りとは違う感じになったが……まあ、こんな展開もありだろう。
口の周りにチョコの粉をつけながら満足そうに咀嚼するコノハを見て、私は心の中で小さく笑った。