※ 小説4巻でアザミに話しかけていた存在=冴える蛇=後のクロコノハ、他、自己解釈が含まれています























……ん?
おや、これはこれは。
どのような経緯でここに辿り着かれたのかは知りませんが、これぞ運命の悪戯とでもいうべきでしょうか。
まさか主と立て続けにここにいらっしゃるとは!


……ああ、いえ、こちらの話です。
そんなことよりも、いかがです?少しばかり私との対談を交えるというのは。






ア ウ タ ー サ イ エ ン ス








しかし本当に不思議なことです。
貴方様は別段何かに絶望したというわけでもなく、祈りごとがあってやっていらしたという風でもないとお見受けしますが。
ともなれば、これは本当にいくつもの偶然が重なり合って起きた奇跡と言っても過言ではないでしょう。
無論、主と同じ血を持つ貴方様だからこそ起こせた、否、意図されていないようですので、起こってしまったと言うのが正しいでしょうか。

ともあれ。

事実、本来ならば貴方様と私がこうやって対面することなど一生に一度とないはずでしたでしょうし……。



……。
……え?私の姿ですか? 見えない? どこから話している? ここはどこだ?


大変失礼致しました。
名を名乗るのが遅れましたこと、どうかお許しいただければと思います。
私の名は――――と言いたいところなのですが、生憎私情により、"名前"というのを名乗ることができません。誠に申し訳ございません。

次に私の姿ですが、こちらも詳細はお話しできないことを先に謝罪しておきます。
「どこから話してる?」という質問も同様に。

最後に「ここはどこ?」という疑問に関してですが、それは『夢の中』と捉えていただけますと、こちらとしても都合がいいうえ、大変助かります。ええ。



夢の中。
言い換えればなんでもありの世界です。
時に思い描いた理想を見せてくれる反面、リアルな恐怖に襲われることも多々あります。
現在の『これ』が悪夢かどうかは貴方様自身のご判断にお任せするとして……。


何一つとして詳しく語ることができず申し訳ありません。
ちなみに、ですが、私は貴方様のことを少しばかり存じ上げております。


様。


主のお子様、シオン様の妹君。
……ええ、知っていますとも。貴方様のお母様のことも。「なぜ?」という質問にはお答えできかねますが。
不老不死の主はともかく、様とシオン様はこれからどんどん成長なさるわけでございます。期待していますよ。


……「なにに?」


さあ、『何に』でしょう。
少なくとも私も主の一部として様方を温かく見守っていくつもりでございます。
いやはや、楽しみで仕方がない……。



……おっと。
先程から私ばかりが口を開いてしまっていますね。
まあ、いきなり見たこともない場所に迷い込んでしまわれた分けですから、戸惑うのが当然でしょう。

何かご質問などございますか?
無論、回答は教えられる範囲のことに限るのですけれども。
他にも、世間話でも、思い出話でも、なんでも構いませんよ。
主もなかなかここにいらっしゃらないので、私としては退屈で退屈で仕方がないのです。

大変自分勝手な要望だとは自覚しております。
もう少しばかりお付き合い願えませんでしょうか?




……。
……様はお優しいのですね。


もっと早く貴方と出会えていれば、私もこんな所でずっと暇を持て余すことはなかったでしょうに。
と、まあ過去を悔いても何かが変わるわけではないですし、そんなことをしている余裕があるのなら雑談に興じてこの貴重な一時を実のあるものにするべきでしょう。


時間は有限ですし、ね?


さて、どんなことからお話ししましょうか。
……?
……絵本の話、ですか?最近様がお読みになった?
いいですね。是非お聞かせください。
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……なるほどなるほど。
それで?
…………なんと。

実に夢のある、絵本の中らしい物語ですね。
ええ、ええ、いいと思いますよ。
『心優しい主人公が波乱万丈の末にハッピーエンドを迎える物語』。悪役は最後に罰を受けて、良い行いをした者のみが幸せになれる……。

人間の理想論というのはつねに架空世界に反映され続ける。
現実世界が必ずしもそうでないせいか……。



……っと、すみません。
子供の夢を壊すようなことをペラペラと……。
しかし知っておいて損をすることはないでしょう。
今しがた私が言ったことを理解し、実感できるときが来るのならば、その瞬間から様は大人になられるということで。
この世の不条理さを知り、人と人とが紡ぐ物語の先は必ずしも輝かしい未来には繋がっていないということを理解すれば……


その先に視えてくるものがございましょう。


……「なにがみえる?」ですって?
いやはや、申し訳ない。その質問にも現時点ではお答えできません。

本当に様は好奇心が旺盛でございますね。
その探究心が将来どのように影響するのか……いやあ、楽しみです。
できればその成長を傍で眺めることができたのなら、私は…………。



……おや。
そろそろお別れの時間ですね。
私の我が儘に貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。


ではまた、そうですね。次に会う時はこのような場ではなく――――





* * *







「ねえ、クロ、なにか食べたい」


寝そべりながら、近くにいた俺の服の裾をひっぱって食べ物を求める様。
足をばたつかせてまるで幼子のように「ねえねえー」とぐずる姿はとても数百年生きてきた人とは思えない。思考や動作の全てが子供っぽいというわけではないが、時々こうして年相応でない態度を見せる彼女は、下手をすれば同じくらいの見た目の人間たちよりも幼くうつる。主も主で大きな力を持った化け物だったが、体格が10歳前後の子供にしか見えなかったりで威厳というのが全然なかったのを考えると、やはり親子は似るものなのかと考えざるを得ない。


様は、俺の元主、アザミ様の実の娘であり、人間とメデューサの血が混ざりあったハーフという存在である。
現在は主の創りだした世界で俺と共に行動をしているが、娯楽というのが何もないこの空間にいるのは常に退屈なようで、昔から我が儘をよく口にされる。

人間たちのいる世界に行きたい、あれがしたい、これがしたい、暇だから構って、なにか暇つぶしになるようなことをして、見たことがないものをみたい……などなど。
度々ぶつけられる要望を俺はいくつも叶えてきた。高慢、というほどではないが、思い立ったことをすぐに求める彼女に振り回される日々は楽ではない。――今要求された「なにか食べたい」というのも、体質的なものではなく娯楽的なものなのだろう。一生何も口にしなくても生きていける主の血を引いてる様は、半分人間の体といえども、食事の回数は一生に数回程度とれば十分な体質をしている。最近は人間界の食物に興味を持つようになり、あれを食べたいこれを食べたいとねだる機会が多くなった。

そんな様の要求にも慣れたもので、俺も引き受ける回数が増えているのが現状だ。
そもそもは、人間と愛を育み、子を産んで家族をつくった主やシオン様とは反対に一人で気ままに暮らしていた様に「宜しければ私と共に来ませんか」と誘った自分が原因で彼女をここに留まらせているので、文句を言うにも言いづらい。
……文句、といってもそこまで不満を感じてるわけではないので、この日々を嘆くことはないが。



「クロー」


なかなか俺からの反応がもらえなかったからか、さらに服をグイグイと引っ張る様。
『クロ』というのは俺の愛称みたいなものだ。主と同様に、人間同士が使う『名前』というのを持ち合わせていなかった俺に様がつけたあだ名である。その由来は単純明快、体の色が真っ黒だからという理由だ。
現在はとある研究者が造った機械と似たような体を持ってるが、髪や服といった全体の色は相変わらず黒々としている。なので一度もらった名前は変わることなく今も同じ呼ばれかたをしていた。
俺がこの体を手に入れた当初は、「あのロボットの名前が"コノハ"なら、あなたは黒いから"クロコノハ"なんじゃないの」と様は言っていたが、長い間使ってる名の方を優先し『クロ』の名を名乗り続けている。



「……では、あちらに行かれますか」
「うん!」


元気よく返事をしながら体を持ち上げた様の笑顔に、応えるようにして俺は力を解放する。
無機質な空間に黒一色の扉が現れたのを確認すると、様は俺に礼を言ってから軽い足取りでそれに近づく。


「ありがとう。じゃ、行ってくるね」
「はい。行ってらっしゃいませ」


上機嫌で扉の外に消えていく様を見送ると、パタリと閉じられたドアは役目を終えたかのように霧散して消失する。それを見届けると同時に、次は別の力を駆使して大きなモニターに似たものを自分の前に出現させる。無論それは人間たちの使用する複雑な機械などではなく、例えるならというだけで実際には――人々が超次元能力と呼ぶであろう己の力を使って独自に具現化したものであった。

自分が今いる世界とは反対に、明るく、活気に満ちている風景が映しだされる。その中心にいるのは今しがた出て行ったばかりの様。人通りの多い道を歩きながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ふらふらと周囲の色んな店に吸い込まれている。種類の豊富なパン屋だったり、女性たちが並んでる洒落た店だったり、目を輝かせてはそれらに釣られて歩を進めている。
"何かを食べる"という行為に価値観を見いだせないうえ、摂取する必要もない俺には理解できない光景だ。

ほとんど他人事のように様子を傍観しているが、様に何かあってはいけないのでそれなりに警戒の色を目に宿らせて観察を続ける。興味を持った店のいくつかに足を運ぶ様の行動をしばらく眺めていると、ふと、画面の端に見覚えのある緑色が歩いてくる姿を捉えた。人の多い歩道を早足で通り抜け、向かい側からやってくる人々の群れを慣れた動作で躱しながら、誰とぶつかることもなくスイスイと間を縫っていく男。
――僅かに目を細めてその緑の男に視線を固定する。

もうすぐで通りを抜けるというところで、それまで迷いなく動いていた足が止まったかと思うと、一人の女性とほぼ正面からぶつかった。
女性――フラフラと店に目を奪われながら前を見ずに不安定な動きをしていた様の行動を読み切れなかったのか、接触を避けようとした男の努力も虚しく二人は衝突し、様の方はその場に尻餅をついてしまった。


『あっ、すみません!大丈夫っすか?』
『……はい。こちらこそ、前を見てなくて、すみません』


男が様に手を差し伸べる光景を見て、自分の眉間に更に皺が刻まれるのを感じつつ――次には口元を吊り上げて笑みを浮かべてることを自覚する。



緑の男の名前が脳内に出てきたと同時に、頭の中で思い出されたのは、"時が戻される瞬間の出来事"。
『あの方』と『あの方と関わりがあった人間』を絶望に叩き込んだその時、一部始終を俺の傍で見ていた様の反応は毎回違っていて見ごたえがあったことを思い出す。
様にはすでにその時の記憶はないだろうが、俺自身はハッキリと、まるで昨日の出来事のように鮮明に正確に覚えている。



確か前は、真っ青な顔で体を震わせながら恐ろしい化け物でも見るような眼で俺を睨んできた。

その前の前は、俺と『あの方たち』との間に割って入り、盾となる形で俺の発砲した銃弾の餌食になった。

その前の前の前は、無言で俺の頬を打ったあと俺の手から拳銃を奪い、涙目でこちらに銃口を向けてきた。



――さて。
――今回はどうなるか。


様は姉のシオン様が人間に襲われたことを切っ掛けに亡くなってから人の生死に敏感になったのもあり、心がとても繊細になっている。それ故なのか、繰り返される度に反応も行動も変わる様は見ていて全く飽きない。

普段は呑気で普通の人間と変わらないくらいだが、時として化け物の血が通ってることを思い出させてくれる。いつかは己のメデューサとしての力を使って俺を石にしてくるかもしれない。小さな怒りなどではなく、強い憎しみを込めた"目"で。生ぬるい力などではなく、メデューサ本来の強大な力で。
それは次のことか、次の次のことか、次の次の次になるのか――――――


いつか昔、様が幼い頃に俺に聞かせてくれた"大好きな絵本の話"。
そこでは主人公は幸せを掴み、ありがちなハッピーエンドで終わる物語が描かれていた。様自身もそれを喜々として語り、人に尽くした者は報われ悪は滅びるという夢物語を心から信じていた。

だが、その様ももう大きくなられた。
あの頃、別れ際に放った俺の言葉を様が覚えてくれているなら、いつかその真実に気が付くはず。人間が語る理想論や希望論がどれだけちっぽけで、くだらなくて、簡単に誰かの手で潰されてしまう戯言だということを。
そしていつか、俺の隣に堕ちてきてくれるはず。


そのために必要なのは、大切な何かとかけがえのない平和な日常。
それが続けば続くほど降りかかる絶望というのは、黒く、黒く、どこまでも深く、当事者の心を抉る。



――様がメデューサとして目覚めるのは……いつになるか。
――……ああ、楽しみだ。



しばらく恍惚とした心境で瞼を閉じていたが、モニターから聞こえる聞き慣れた声と耳慣れた呼び名に鼓膜を揺さぶられ、ゆっくりと目を開ける。
映し出されていたのは、様が周りの視線を気にしつつ、「クロ、もう帰るから、扉開けて」と小声で呟く姿。俺が目を離した間にどれだけの買い物をしたのか、両手には大量の袋がぶら下がっている。


「……はい、かしこまりました。少々お待ちを」


周囲をきょろきょろと警戒しながら人目につかない場所に移動した様を確認すると、再び空間と空間を繋ぐ扉を出現させる。モニターを消し去り、扉の近くに立って様が帰られるのを待つ。

数秒後には「ただいまー」と満足そうな顔で戻ってくる様と、それを迎える俺の姿があるだろう。俺達にとっては何の変哲もない平凡な日常の一部が。



――――絶望に堕ちるまでの、積み重ねである日常が。






軋 む 、平 穏



「クロ―ただいまー」
「おかえりなさいませ、様」