目の前では幼なじみ二人が床に血溜まりを作りながら力なく横たわっている。そのすぐ傍には最近入団してきた人気アイドルが同じく服を赤く染めて動かなくなっていた。隣では赤いジャージが特徴の兄が、妹の身体を持ち上げて震える口で言葉を発している。

そんな様子を意地悪く吊り上った口元と軽蔑するような眼差しで眺める"元凶"は虚ろな声色で妹の名前を呼ぶターゲットに一丁の銃を向けていたが、なかなか自分に意識を向けないことに痺れを切らしたのか構えていた拳銃を下ろし、くるりと身体の向きを変えた。ニヤ、と人を見下すような怪しい笑みと恍惚に輝く瞳でこちらを見つめた"元凶"は、ゆっくりと、再び拳銃を持ち上げ僕の隣にいる女の子に銃口を合わせた。自分が次のターゲットになったことに気付いた彼女は、恐怖に目を見開いたあと僕のパーカーの裾を強く握り、そのまま体を震わせて項垂れてしまう。しばらくもしない内にしゃくり上げて泣き始めた彼女に対し、僕は何をしていいのかどんな行動をとればいいのか頭の整理がつかず、ロクな対応もできないまま、ただ、立ち尽くすだけだ。


乾いた音が耳に飛び込んできたのが数十秒前、それとほぼ同時に三人が倒れ込み、同様に弾丸で打ち抜かれた一つの携帯も床に落下したのがつい先程の事。


何もない真っ暗なこの空間で行われた一瞬の出来事に、脳も身体も咄嗟の判断ができず、あまりにも唐突であまりにも凄惨な光景を前に『これは夢じゃないのか』と現実逃避をするばかりだ。自分の持つ人間離れした能力も十分世間から浮いていると思っていたが、今、それ以上の非日常が、僕と僕の周りの人たちに牙を剥いて襲いかかっている。幼い頃に一度味わった感覚が、今まで当たり前に傍にあった存在が、赤色に飲み込まれて動かなく姿が、次々とフラッシュバックする形で僕の思考を奪っていく。次第に込み上げてくる吐き気を舌の上に溜まった唾と共に喉の奥に無理やり流し込むと、僕の身体に身を寄せる彼女を背中に隠し、"元凶"が構える銃口の前に己の身を持っていく。
ごく自然な動作だった。いつか昔、霞のかかった記憶の中で、僕が誰かにそうして守られたように。


どこまでも深い闇が広がる空間に、彼女の泣き声と妹の名前を呼び続ける兄の虚しい声だけが響いている。闇はその声さえも静かに呑み込み、元凶はいっそう醜悪に満ちた笑みを顔面に張り付け、蛇を彷彿とさせる仕草でチロリと舌を出す。僕が彼女を庇うことなんて想定済みとでもいうように特に驚くこともなく、ゆっくりと、ゆっくりとトリガーに指をかける。
全身から汗が噴き出して肩で息をする僕とは反対に、"元凶"は楽しそうに、愉しそうに、凶器を片手に、笑む。奴の気が変わらなければこのまま僕は撃たれ、遅かれ早かれ僕の後ろにいる彼女も、妹にしがみ付く赤いジャージの男も殺されるだろう。

相変わらず頭は状況を細かく分析することができないが、少しずつ"考え"は脳裏を巡り始める。



――どうすればいい?
――このままじゃ、どのみち……。
――逃げる?
――どうやって?
――どこに?
――そもそも逃げられるのか?
――無理だ。
――あいつは銃を持ってる。
――不意をついて走りだしたとしても、背中を向けた瞬間やられるだろう。
――能力を使う?
――でも彼女には反映できない。
――じゃあ、どうすればいい?
――どうすればいい?僕はどうすればいい?
――と、いうか…………

――なんでこんなことになってるんだっけ……?




「…………あッ……」


緊迫した場の中、強張った筋肉と加速し続ける心臓と、先ほどから治まらない強い吐き気におされ、声とも呼べない掠れた一言が口から絞り出された。さらにそんな中で無理やり脳を稼働させたからか、ほんの一瞬、心身を酷い倦怠感が襲った。遠くなりかけた意識は頬肉を噛むことで引き戻したが、身体を包む現実味の無い淀んだ雰囲気だけは相変わらず拭えないままだ。

"元凶"は引き金から指を離したり、かと思えば添えたりしてこちらを挑発しつつ、『さて、いつ撃とうか』と余裕の表情を浮かべながら追い込みをかけてくる。
――結果的にその動きが繰り返されたのはたった数回にすぎなかったが、僕にとってはいつ命が吹き飛ばされるのか分からないという危機感が付き纏ってるのもあり、すごく長く感じた一時だった。


再度。
奴の人差し指がしっかりと引き金に掛けられ、遊びは終わりだと言わんばかりに銃の標準が僕の首から上に合わせられる。
侮蔑や快楽、嘲りや歓喜といった幾重もの感情が詰まって見える奴の微笑みからは、人を殺したという罪の意思や後ろめたさなどは一切見受けられない。

その"素性"を察すると同時に、僕の身体は更なる恐怖に包まれる。今、凶器を手に僕の前に立ちはだかっている人物は些細な気まぐれや気分次第で、何の感慨もなく簡単に人を殺せてしまうのだと。どれだけ必死に命乞いをしようが、泣き叫ぼうが、聞き入れる耳を持っていないのだと。それどころか、死の淵に立った者の絶望や悲壮感といった負の精神を、甘い蜜として舐めとるような異端なのだと。


この僅かな間で奴の性質というのものを理解した僕の脳は、いよいよ身体に本格的な危険信号を送り始める。逃げなければ。逃げなきゃ。逃げろ。どこからかそんな幻聴が聞こえてくる程、目の前の"元凶"は異常なのだと本能が告げている。けれど打開策が思い浮かばない限りは迂闊に行動もできず――――やはり僕の足は固まったまま、その場を動くことはできなかった。



そしてその時は来る。
絶えず口内に溜まる唾液をゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ瞬間――奴の笑顔がいっそう深いものに変わるのが分かった。


次に聞こえてきたのは、耳を劈く強烈な破裂音。
一瞬の轟音が場を支配し、思わず僕は咄嗟に目を閉じた。しかし、一秒、二秒……暫く経っても身体のどこからも痛みを感じないことに気づき、ゆっくりと瞼を開ける。





「……。……?……え?」


開いた視界に映ったのは、見慣れた風景。毎日を過ごしている自宅でもあるメカクシ団のアジトの中央に――僕に立っていた。テーブルを挟んで置かれている二つのソファ、レトロな置物と分厚い西洋書がいくつも並べられている棚。奥の部屋に続く四つのドア。間違えようもない。いつも見ている家の景色。どこまでも続く闇はどこに消えたのか今しがたまでの非日常が嘘のように"日常"が眼前に広がっている。そこに幼なじみ二人とメデューサの女の子、最近新しく仲間になった兄妹がいれば普段の光景が出来上がるのだが、僕と、僕の後ろにいる彼女以外、人の影はない。



「……キド?セト?」


名前を呼んで辺りを見回しても映るのは無機物のみ。嫌な静寂が横たわる"見慣れた場所"は現実味を感じさせる中に、不気味な虚無感を漂わせている。加えて、今は姿が見えない殺戮者の視線が全身に突き刺さっているような感覚に捕らわれる。
蛇に睨まれた蛙と同様、相変わらず一挙一動がとれない僕は、"ここ"がいつもいるアジトではないことを本能で察すると、ゆっくりと、ゆっくりと、見えない"あいつ"を警戒しつつ背後にいるの方を振り返る。



「……
「…………カ、カノ?」


僕の呼びかけに震えた声で応答した彼女は、頬に涙を伝わせながら眉が下がった上目使いで僕を見やる。


「……な、なにが……みんな、が、みんなは……」
「……っ」
「わ、わたし……」



今まで一言も喋らなかった――否、喋れなかったのだろうが、掠れた声を必死に絞り出して言葉を紡ごうとする。口を動かしつつ、顔は動かさないまま視線だけをきょろきょろと周囲にやっているのは、恐らく"あいつ"を警戒してるからだろう。まだ頭の整理がついてないようだが、彼女も"ここ"がいつもいるアジトではないと既に気づいてるのかもしれない。脳内で状況を確認しよう、という理性が働くほどには頭が回転してる僕も、"数時間前のような数分前"の出来事は未だに上手く分析できない。さっきまでの空間はどこへ消えた?姿が見えないマリーはどこに?動いていたシンタロー君はどこにいった?赤に染まって倒れていたキドとセトとキサラギちゃんがどうなったか――――それは考えるだけで脳が思考を拒否する。事の経緯を見ていれば"事実"は明確なのに、意思がその"事実"を頑なに受け入れようとしない。認めたら、そこで全て崩れてしまう気がする。感情も、思いも、心も、全部。


「カノ……」


ここにはいない仲間たちに思案を巡らせていると、"壊れる"に踏み込む一歩手前で、現実からの声に引き戻される。僕の名前を呼んだの表情が先程より強張ってることに気づき、僕は渇いた喉を唾で潤してから唇を開く。


「ど、したの」
「………ずっと、無表情で、私の顔……見てる、から……」


僕の疑問に恐る恐るという風に答えたは、僅かに僕と目線を逸らして下の方へ持っていく。彼女に怖がられている――と気づいたのは数拍を置いてからで、ハッとなった僕は、安心させるためにの肩に手を置いた。



「……!!」


――その行動に、なぜかはビクリと肩を跳ねさせて「ひっ……」と小さな悲鳴を上げた。



「……?」



……なんで?――なんで?僕が笑ってないから?
いつもなら軽口を流しながら満面の笑みで対応できただろうが、今は口角すら上げる気にならない状況だ。『ずっと無表情だから』なんて言われても、仕方がないじゃないか。顔の筋肉に力が入ってない僕はそんなに不気味なんだろうか。


「カノ、手……」


がまるで、恐ろしい化け物でも前にしたみたいな怯え方をするので、今の自分の風貌について考えざるを得なくなっていた僕は、続くの指摘を聞いて、視線をズラした。
彼女の肩を掴んでいる自分の手。丁度彼女の頭で見えなかった位置。目を凝らして見ると、そこには――――


「……!?」


どこから湧いたのか、いつの間にか黄色い目をした漆黒の身体を持つ一匹の蛇が巻き付いていた。闇から這い出るように気配もなく現れた"そいつ"は怯えるには目もくれず、僕の瞳をじっと見つめている。なんで、どうして、なんだ、こいつ。"あいつ"の手下か?どうやって――?様々な憶測が頭の中に満ちた時、遅ればせながら僕は巻きつかれている感覚も感じる重さもないことに気が付く。まるで闇そのものから生まれたかのような"そいつ"の明るい色の目を見つめ返すと、チロチロと舌を出しながら"そいつ"は僕の脳髄に直接声を送り込んできた。




『受け入れろ』



身体の内側から響く不思議な声は、どこかで聞いたことのあるような低い声だった。


『これが運命だ』


どこから、どうやって、誰が――なんて考察するのはもう野暮なことだった。僕の腕ほどもない細い"そいつ"の身体は、やってしまおうと思えば簡単に片手で握り潰せそうなくらい華奢だ。『受け入れろ』?『これは運命だ』?何を言ってる。知るか、そんな戯言――――いつものよく動く口で言い返してやることだってできる。

はずだ。はずなんだ、でも。



「…………」


心臓を丸々飲み込んでしまいそうな底知れぬ威圧感と、自分たちが今圧倒的不利な位置に立たされているという逃げ場のない現実が、僕の饒舌な舌を麻痺させる。立て続けに理解できないことが起きてるせいもあって元々ロクに動かなかった口が、ここにきて完全に機能を失う。低身長だとか頼りない身体だとか散々言われてきた傍ら、男としてそれなりにあるはずの膂力も筋肉が固められたみたいに動かない。
表情をつくることができないはずの目の前の"蛇"という生き物が生き生きとした表情を浮かべて見えるのは――幻覚だろうか。愉しそうに爛々と瞳が輝いて見えるのは――錯覚だろうか。混乱する頭に釣られて視界までも現実と幻を混合し始めた、その瞬間、



『次の世界でまたやり直せばいいんだ』


空虚と現在を行き来しだした僕の思考を揺さぶる言葉がかけられる。


『あとは、お前たち二人とあの男がいなくなれば、女王は……』


一度チラ、との方を見た蛇は――しかしすぐに再度僕を視界に据え――間を置いたセリフの続きを口にする。


『また時間を戻すだろう。――この世界はもう終わりだ。あいつらと同じように、お前たちも直に死ぬ。…………でもなあ』


感情を含ませつつも淡々と語っていた蛇。その口調が崩れたのは最後の最後で、終わりの一言は気だるさを滲ませながら、人間を思わせる仕草で首を傾げた。


『せっかく反応を楽しむ為にこんな空間まで造りだして姿まで変えたっていうのに、予想外のこと何もしてくれないんだよなあ……。また"あの身体"に戻るのも面倒だし、"欺く"、お前がやれ』
「…………?」


目の前の人間臭い蛇がどういう意図を持って何を言っているのかが分からず、疑問に包まれる僕。そんな僕の顔をじっくりと観察したあと、シュルシュルと僕の腕から離れて地面へ降り立った"そいつ"は先別れした舌をチラつかせて、再び繰り返す。



『お前がやれ、"欺く"』


『お前にしがみ付いてる女を、殺せ』




「……ッ!?」


何の感慨もなく放たれた命令に、僕の覚醒しきっていなかった頭に強い電撃が走る。意味が解ると同時に、脳に響いた受け入れがたい指示を数秒間反芻する間にも、蛇は呑気に身体を揺らめかせながら言葉を紡ぎ続ける。



『――どうしても嫌だというなら、俺がやってもいい』


『どうやって殺そうか?』


『嬲るか?衰弱させるか?嗜虐の限りを尽くしてやろうか?"醒める"の身体を使って犯してから殺してやろうか?』



『なあ、"欺く"』


『もう、終わりなんだよ。お前の家族も仲間も死んだだろう。後はあの男とその女とお前だけだ』


『俺がやるのとお前がやるの、どっちがいい?』



とめどなく僕に降りかかる残酷な選択の数々。心臓を握り潰されそうな禍々しい殺気を纏った声は、僕の心も理性も意識も何もかもを取り込んでしまいそうなくらい、深く、重く、圧し掛かってくる。

僕が、に手をかける、わけが――――。

そう固く確信していた気持ちも、奴が並べた御託に揺れ動かされる。僕が命令を無視したらはどうなる?どんな目に遭わされる?今こいつが言った通りのことをされる?肉体を引き裂かれるか、精神的に追い詰められてから息の根を止められるか、生殺しの末に命を奪われるのか、女として犯されながら殺されるか。――僕が奴を拒絶すれば、は公言通りに、殺される。眼前で蜷局を巻く蛇が先ほどキドたちを撃った男と同一人物だというのに気付いたのは、その快楽殺人鬼じみた提案をしてきた時だ。今はなぜ姿が違うのかとか、本体は人体と蛇のどちらなのかとか、一度引っかかると謎はどんどん溢れてくるが――――そんなことは正直、もう、どうだっていい。


僕が殺らなければ、はこいつに虐殺される。あの時何で勿体ぶって二人同時に銃弾を撃ち込んでくれなかったんだ、なんて呟いても返ってくる返事は解りきっている。




『こっちの方が面白いだろう?』




笑ってるつもりなのか、大口を開けて牙を覗かせる"そいつ"。もし大蛇だったら僕は簡単に丸呑みにされてるだろうな、と気の抜けた呟きが脳裏に過ると同時に、僕は後ろでか弱く震えているの方に身体ごと振り返る。



「、
「……カノ?」


彼女の肩を抱いていた左手を滑らせるようにして彼女のか細い首に持っていく。右手も同じくして移動させ両手で掴む形で握り込むと、僕の決意を察したが、状況を把握できずに戸惑っていたのが一変、目を見開いて今日一番の大声を出した。



「カノッ……!!」



その一声を押し潰すつもりで強く力を入れると、勢いで押し倒してから体重をかけて更に柔らかい肉を締め付ける。聞いたこともない呻き声と、苦しさを訴えて吐き出される吐息の音を聞きながら、僕の手首を掴んできたの両手に振り払われないように、腕に重心をかけて気管を押えつける。


「……ッ……か……」



――彼女は、僕が完全に気が狂ってしまったと思ってることだろう。

虚ろになっていくの表情ともうすぐ消え入りそうな弱々しい声を聞いて、僕は彼女に顔を近づけ、言う。



「……ごめんね」


姉ちゃんの高校時代の先輩二人の殺害に加担した、すでに汚れている手だ。僕にそれを強要した"黒幕"は、今は僕たちのすぐ傍で、"繰り広げられている事"を眺めている。黙って傍観していたのも束の間、やがて僕の頭の中に響いてきた耳障りの悪い高笑いは、の最期の一言をも容赦なく掻き消した。





次の次の次の

    未来に

     懸命しよう!