部屋に迎え入れられる時の対応が明らかに普段とは違った。



いつもは扉を開けてくれることもなく、私が来てもデスクの上のパソコンを操作しながら背中越しに「……入れよ」と声をかけてくるだけだったのが、今日はどうしたことか、客人をもてなすような丁寧な態度で出迎えてくれたのだ。

シンタローが引きこもり始めて早2年。彼が精神的に落着き始めた頃から私は度々彼の部屋に訪れるようになり、気づけばそんなことを続けてもう数か月目に入る。
幼なじみだから、といってしまえばそれまでだが、今まで全く私に気を使わなかったのが嘘のように、いきなりぎこちない動作で接してきた。


「……のど渇いてないか?」
「え、いや」
「オレ、何か持ってこようか」
「あ、いやいや……」
「なんか……いつも悪ィな」
「えっ」


誰だこれ!
頭を掻きながら、はにかむシンタローを前に、私はただただ絶句する。私の知ってるシンタローはこんなに爽やかじゃない。無愛想で、会話が下手で、自分から積極的に話しかけてくるような性格ではない。
この変化に心当たりがないと言えば嘘になるのだが、いくらなんでも変わりすぎじゃないだろうか。


「まあとりあえず、座れよ」
「…………うん」


ベッドを指さしてそういうシンタローに従い、いつもより遠慮気味に腰掛けさせてもらう。この部屋にはシンタローがパソコンに向かう時に座る一つの椅子しかないので、この流れはいたって普通だ。
普段通り。

……なんだけども。



落着きのない様子で視線を彷徨わせるシンタローは全然普段通りではない。
天井を見つめたり、床に目を落としたり、パソコンの方をチラ見したり、かと思えば私に何か言いたげな眼差しを注いできたりと、世話しなく瞳が動いている。私の方を見ては「あ……」だの「えと……」だの「その、」だの、やっと聞き取れるくらいの小さい声で短い一言を紡ぐも先に続く言葉はなく、口を閉ざしてはその繰り返しだ。


「…………」


自分でいうのもなんだが、傍から見ればかなり変なシチュエーションだろう。
ベッドに腰掛ける私の前で、そわそわとするシンタロー。……モモちゃんあたりが今この部屋に入ってきたら、あらぬ方向の勘違いをしてしまうかもしれない。
――いや、その前に現在の状況をリアルタイムで見てる子が一人いる、か。いつもシンタローをからかって遊んでる、元気いっぱいのあの子だ。そういえば今日はまだ出てこないな、とパソコンの方を見やるも青いあの子の姿はない。


――寝てるのかな。


私とは文字通り違う次元で生きてる彼女が睡眠を必要とするのかは謎だったが、現状が現状なだけに、できれば場を切り替える勢いで出てきて欲しいと願う。私がおかしな想像をしてしまうそもそもの原因である彼女を思い浮かべながら、そう考える。

――そうだ。
あの子――エネちゃんから、度々シンタローがパソコンを使って何をしているのか、どんなサイトを見てるのかとかそういった話を聞かされてから、私の彼に対する印象が大きく変わったのだ。無論、不健全な方向に。
なかなかに受け止め辛い現実だったが、そういってもまあ、シンタローも思春期の男の子だし、私も理解がないわけではないので恥ずかしがりながらも納得したのが三か月くらい前。どうこう言って止められるものでもないし、男の子はそういう生き物だと聞いたこともある。

そう。男の子。
思春期で年頃の男の子。それでいて、天才で、人に関心が無くて、冷めていて、深い闇を背負った、周りとは少し境遇が違う男の子。
昔から傍にいた幼なじみだからこそ、私はそんな周囲と浮いてる彼が常に心配だった。事実今でもその不安はまだ消えないが――――今日、シンタローの新鮮な反応を見て驚いたのと同時に、安堵の気持ちが湧き上がってきた。

2月14日、バレンタインデー。
小、中学校の頃は何に対しても関心がなく、周りがイベント行事で盛り上がる傍ら、独り興味がなさそうに距離を置いていたシンタローだが、今はどうだろう。この日を彼はどう捉えているのか。
昔と同じようになんとも思ってないのか、それとも普通の男の子のように意識して少し期待しちゃったりするのだろうか。
どんな反応をするのか想像しながら、今日、私は彼の家に訪れ――――――――




今、こんな状況になっている。


「シンタロー」
「は、はひっ」


私が名前を呼んで話しかけると、なぜか"気を付け"の体勢をしてコミュショー全開の返答をしたシンタロー。緊張で固まってる彼に、私は持参してきた小さな紙袋を、そっと目の前に差し出す。
中に入っているのはもちろん、


「はい。チョコ」
「え、あ?」
「バレンタインでしょ、今日」
「あ、ああ…………そうだっけな」


"それ"を目当てに私の方をずっと気にしていた、さっきまでの自分の存在は知らないとでもいうように『今思い出した』みたいなことを白々しく喋るシンタロー。
バレバレの態度を取ってたくせに白を切り通そうをする彼がなんとなく面白くて、私の口から小さな息が漏れる。――約数秒間のあいだ。私から手渡された"それ"を眺めたシンタローは、フッと口元を綻ばせて、


「……ありがとう」
「どういたしまして」


あまり聞くことができない素直なお礼の言葉が、彼自身の口からハッキリと述べられた。
一通りのやり取りが終わっても未だに目線が左右に動いてるのは、恥ずかしがってるからなのか……。エネちゃんに秘密を暴露された時くらいしか彼のこんな表情は見ないので、珍しい光景といっていいだろう。
女子からバレンタインにチョコをもらって、世間一般の男の子のように頬を染めている。感情を露骨に表に出さないことが多いシンタローにしては分かりやすい反応である。ただ、そんな性質だからなのか、笑顔を作るのに慣れていないようで、傍から見れば少し怪しい笑みにも映る。





「いやあ〜、それにしても後ろ姿を見るだけでキモい表情してるって分かっちゃいますね〜!流石ご主人!」



ニタニタしてるシンタローの顔を観察していると、何の前触れもなく彼の背後にあったパソコンが自動的に起動して、聞き慣れた快活な声が部屋に響き渡った。画面にアップで映っているのは、青いツインテールを揺らしてダボダボなジャージを着こんだ、私もよく知ってる人物。


「なっ……エネ!?」
「よかったじゃないですか〜。さんからチョコもらえて!唯一の収穫じゃないですか!態度が変わりすぎて引きましたけど、スタンバイ状態であえて茶々を入れずに観察してた甲斐がありました!」
「お前……」


鋭いシンタローの眼光には一切怯えず、液晶の中で楽しそうに笑いながらシンタローをおちょくるエネちゃん。ひとしきり大笑いしたあと、次は私の方を見て気軽なノリで語りかけてくる。


「あ、さん。ご主人なんかのために、わざわざどうもです!」
「はは……うん。お邪魔してるよ」
「昨日、さんから『明日、そっち行っていい?』って電話がかかってきて以来ずっとご主人テンションが高くてですねー……」
「おい、エネ」
「大型掲示板に調子に乗って『バレンタインは幼なじみ(可愛い)からもらえること確定で俺完全勝利』って草大量に生やしながら書き込んだりもしてたんですけど、その話しましょうか?」
「えっほんと?」
「やめろ!!」


意地の悪い微笑みを浮かべて私が知らないエピソードを喋るエネちゃんに、すぐさまシンタローが駆け寄って静止をかける。しかし、当たり前だが、画面の中にいる彼女の口を塞ぐことはできず、『!聞かなくていいからな!』と騒ぐシンタローを無視してエネちゃんはペラペラと昨日のシンタローの様子を語りだす。
私はそんな二人の痴話喧嘩みたいな応酬を、笑いながら見守る。


――いつもと少し違う、でも一般的にはいたって普通の2月14日のやり取りを終えて、騒がしい私たちの日常が帰ってきた。