「主、今日も世界が終わりますな」


朱が広がる鮮やかな空を背景に勿忘草の色をした頭が浮かんでいる。

心臓を撫でるような長閑やかな声に語りかけられ、自然と意識が移動する。見慣れた精悍な顔はこちらにあらず、真っ直ぐに地平線を凝望している背中が私の両眼に映った。その遥か先には煌々と燃える太陽が、ゆっくりと身を沈ませつつあるのが見えた。

辺りは閑散としていた。故に、間違えようもなかった。そもそも、今、私の前方に佇んでいる一振りの太刀が"主"と呼ぶ存在は現世においては私以外にいない。だから、言葉を返そうと口を開きかけたのだ。その意味こそ咄嗟に理解できなかったものの、日常の中の何気ない応酬をしようと舌を動かすことを試みたのだ。
しかし――琥珀の輝きを湛えた双眸は私を認めることはなく、"それ"は本人も気づかぬうちに漏れた、ただの独り言のようにも聞こえた。澄んだ色の髪が穏やかに吹く風に揺れるだけで、しなやかな体躯は微動だにしない。声をかければ何かが崩れてしまうのは明らかで――何も考えが及ばないまま反応してもいいものかと返答を躊躇った。

世界が終わる。

吐かれた一言を反芻する。今日も。世界が終わる。終わる。一日が終了するということだろうか。実質、現在は一般的に日中の活動が落ち着く時間帯だ。学生は帰路を辿り、幼子は親に手を引かれて家路を行き、社会で働く者もあらかたの仕事が片付く頃――。審神者となる前にいた世界での記憶がふっと甦って胸の内に染み込む。夜の帳が降りてからが本番だと豪語する人達以外にとっては、陽が落ちるということは今日が終わるという合図であった。昼夜問わずの合戦が珍しくなくなった今でもその意識は薄れておらず、この時刻になると自然と肩の力が抜けていく。今日も世界が終わる。一日が終わる。空が明日を迎える準備を始める。

一つの解釈に至った私の思考は、何故だか当の言葉を口にした太刀の心境を完全に掴みとったものと思い込み、先刻まで踏み出せなかった一歩を踏み出して、どこまでも整然としている青年の隣に並んだ。

窺い知れない表情の底にある意図が汲めず、沈黙を許した空間に、音を響かせるつもりでその横顔に目を向ける。


「いち、」


開いた私の唇が慣れ親しんだ名を紡ぎ終える――その前に、明るい色をした髪が持ち主の動きに合わせて靡いた。


「そろそろ、戻りましょうか」


顔をこちらに向けて柔和な微笑みを浮かべた彼は、開口した私を見て一瞬呆けた表情になったが、またすぐに口元に綺麗な弧を描く。


「帰りましょう。私たちの本丸に」


細められる両の瞳。威圧や威嚇とは程遠いはずの視線に、私は射抜かれたかのように身動きがとれなくなる。――同時に、冒頭の彼の一言の真意を理解しようと出した答えが、頭の中で霧散して跡形もなく消えていく。静寂の中で暫し見つめ合った数秒後、白い手がスッと目の前に差し出されるまで、私は結局自分から声を発することはできなかった。


戸惑いながら手を取れば、布ごしでもしっかりと伝わってくる体温に包み込むように握り返される。人の器を持った白刃の熱は、頭上で紅く焼けた夕日にのみ込まれている青空みたいに熱かった。