「もう仕舞うのか?」


執務部屋から見える位置に飾っていた風鈴を、丁寧に箱に納めるを見て、鶴丸国永が尋ねた。蓋が閉められる直前、金色の両目が丸い硝子に映りこむ。

薄い青がかかった透明の外身に涼しげな金魚が描かれたそれは、初夏を迎えた文月から今日までずっと、綺麗な音色を本丸に響かせ続けていた。
茹だるような猛暑の日も、寝苦しい熱帯夜も、ゆるい風一つで鳴る音は心なしか暑さを和らげてくれたものだ。

近頃は蝉の声で目覚めていた朝も鳥の囀りを聞くに戻り、太陽の陽射しも弱くなって、快適に一日が過ごせる気温に落ち着いてきた。
人の体を得た刀剣男士たちにとっての初めての夏は毎日が忙しなく、にとっても、そんな彼らを纏めあげることに力を尽くした今夏は人生で一番忙しく、かつ、とても充実した一時だった。


「ええ。もう大分涼しくなってきたからね」


目まぐるしい日々は思い返せばあっという間で、奮闘続きが常であった約二ヶ月の時間も、終りが近づくと、その最中は長く感じたはずが今となっては矢のごとく過ぎていったかのように思えてくる。
――服を着崩していた男士もしっかりと着込むようになり、冷蔵庫に大量に補充されている麦茶の消費量も目に見えて少なくなり、が現世から持ってきた扇風機も倉庫行きとなり、薄手の布団の用意が始まり――残暑が退いたここ数日で本丸の空気は本格的に秋へ移り変わろうとしている。
新しい季節への期待と、終わる夏への名残惜しさを入り交じらせながら。


「また、来年」
「来年か……」


風鈴が仕舞われた木箱をが棚の上に置くと、鶴丸の視線もそれを追って移動する。ぽつりと零された小さな一言を逃さず耳にしていたは、いつも好奇心で染まっている鶴丸の瞳の中に幾ばくかの寂寞の色があることに気づく。


「きみが畳の上で大往生できたとしても、残る夏はあと数十回程度か」
「……。珍しく沈んでない?」


何を言い出すかと思って待てば、普段は口にしないような感傷に浸った台詞が出てきたことに、心中で僅かに驚く。極力表には出さずに、あくまでも冷静な姿勢を保ったまま言葉を放つと、対して鶴丸は声のトーンをいつも通りのものに戻し、その場に胡座をかいて座り込んだ。


「いや、なに。きみと出会って一年の半分以上が過ぎたなと考えてな。濃いようで、あっという間だなと」
「それは……そうね」
「あと四回月が巡れば今年が終わるだろう? 一年なんてすぐだ。きみにはそれが残すところ百もない」
「…………」
「戦場に出てる分、俺たちの方が明日も危ういが、純粋な寿命の長さを鑑みればきみの時間は何より尊い」


虚空を見上げて続けられる鶴丸の語りには黙って耳を傾ける。特別何かを惜しんだりする声色ではなく、彼女にとって聞き慣れた低い声で、ただ淡々と事実を述べるだけ述べた鶴丸は、二度ほど瞬きをしてから顎を引くと、じっとと目線を絡ませた。



「だから……なんだ、俺は″きみ″に色々なことを教えてもらいたい。来年も、その次の年も、その次の次も」
「……」
「君が言ったんだぜ。――同じ季節は二度と来ないから、」
「……今を楽しんで」
「そうだ」


が繋げた言葉を聞き、にっ、と鶴丸が無邪気に口角をあげる。
「……そっか」一方で脳裏に過るものがあったのか、下を向いたはぱくぱくと小声で単語をいくつか紡ぐと――顔をあげてから真っ直ぐと鶴丸を見据えて、一言。


「初めての夏、どうだった?」
「そうだなあ。肌が焼けて赤くなっただろ、炎天下で水浴びをするのが気持ちよかっただろ、畑当番が今までで一番キツかっただろ、風呂上がりに飲む茶がいつもよりずっと美味しかっただろ、西瓜は思ったより甘かったし、向日葵は存外良い香りがした」


の質問に指を折りながら、自身が感じた夏を挙げていく鶴丸。それらを頷きを入れて真剣に聞いたは、一度大きな息を落とすと、再び鶴丸の双眸を見つめた。


「それ全部、今年だけの思い出だよ」


一度知ったことに二度と同じ感想や感動は抱かない。
込められたそんな思いを、意味を、再度汲んだ鶴丸は穏やかな表情で繰り返す。


「ああ。だから次はまた違うことを教えてほしい」
「……うん。たくさんあるよ、新しいこと。まだまだ、いっぱい」
「一気にじゃなくていいぞ? 少しずつだ」


「きみの人生をかけて、少しずつ教えてくれ」



ゆっくりと、緩んでいくの頬が嬉しそうな桃色に染まる。「次は秋だね」と返ってきた声に、鶴丸の唇から温かな吐息が零れ出た。