昼下がり。歩幅の狭い二人分の足が砂利を踏みしめる音が近づいてくる。賑やかに雑談をしている幼い声は数時間の遠征を終えた後とは思えないほど活気に満ちている。――間もなく開かれるだろう戸を見つめ、馴染み深い姿が現れるのを想像した明石国行は、カタン、と振動する扉を前に口を開いた。
「お疲れさん」
仕事を済ませた相手への決まり文句の一言。当たり前のようにそれを向けられた、ドアから覗く二つの顔は両目を丸くして二、三度瞬きをする。
「国行じゃん。どうしたの?」
「なんだよ、出迎えか?」
怪訝そうな表情をして玄関に上がるのは蛍丸と愛染国俊。の命で本能寺へ出向いて無事帰還した二人は帰宅の挨拶も忘れ、普段は積極的に動かない自分達の保護者に対し疑問符を浮かべる。
「せやで。へとへとなって帰って来るんちゃうかー思て」
「珍しい……つーか、初めてじゃねえか」
「なに?寂しかったとか?」
「お、分かっとるやん」
「ほんとかよ」
持ち帰った資材が詰められた風呂敷を二人の代わりに担ぎながら、飄々と受け答えをする明石。蛍丸と愛染はその両隣に立ち、三人で並んで廊下を歩いていく。
「主さんなあ、今万屋行っとっておらんねん」
「あ。それ多分、俺たちへのご褒美買いに行ったんだよ」
「そういや出発する前に、帰ってきたら甘味を買って用意しとくから〜とか言ってたな」
「なんだろなー団子かなー」
疲労の色が一切窺えない調子で鼻歌をうたいだす蛍丸。愛染は空腹を訴える腹を擦り、「いつ出たんだ?」と本丸での様子を見ていたであろう明石に尋ねる。
「さっきや。行きしなになんや用事ある言うとったから、戻ってくんのまだやと思うで」
「ちょっと腹減った」
「あれ?っていうかどこ向かってるの?」
明石が進む方向へ無意識のまま一緒に歩いていたことに気付き、時間差で疑問を口にする蛍丸。本来は遠征から帰還すると真っ先にの下へ報告に行き、遠出先で手に入れた資材や道具を蔵へ持っていくのだが――
「自分の部屋」
現在彼女は不在なので、風呂敷の中身を勝手に片すこともできない。本丸の全てを管理する主が帰城するまで、実質手持ち無沙汰というわけだ。
「主さんがな、蛍丸と国俊にやってー言うて、自分に預けたやつがあんねんけど」
「――なんだなんだ!?」
「なに?美味しいもの!?」
少し背を屈めた明石が口角を上げて内緒話をするように伝えると、それを聞いた二人の両の目がぱっと輝き出す。――ほんま疲れ知らずやなあ、と一層元気になった蛍丸と愛染を見て小さな笑いを零すと、着いた部屋の前に重い風呂敷を置き、障子戸を引いて畳部屋の中に二人を入れる。
「これ?」
期待を抱いて踏み込むやいなや、さっそく何かを見つけた蛍丸があるものを手に取る。「――うわっ、冷たっ」好奇心に背中を押されて触れたそれの温度に一度肩を跳ねさせると、まじまじと観察したあと、明石の前に突き出す。
「主さんがくれたやつ?」
「せや」
「なんだそれ」
訝しげに眺めて首を傾げる愛染と、上下を逆さまにしたり突っついたり頬に当ててみたりと使い方を模索する蛍丸。その小さな掌に握られているのは、細長い水色の瓶。そしてちゃぶ台にもあと二本、同じものが置いてある。「きい」腰を下ろして二人を手招く明石が一本を台の上から取ると、手際よくラベルを外し、突起が付いた円形の蓋を飲み口に向かって押し込んだ。
「わ……」
「おお!!」
明石の横に座った二人が双眸に光を浮かべて声をあげる。空を思わせる爽やかな瓶の中で喉の渇き煽るしゅわしゅわという音が発せられ、たくさんの小さな気泡が上昇していく。
「ラムネ言うねん」
「らむね?」
「主さんの時代の″夏祭り″っちゅう行事では伝統的な飲みモンらしいで」
「祭り!?祭りの飲み物なのか!?」
「みたいやなあ。はい」
開けたてのラムネを愛染に渡し、続いて蛍丸が持っていた分も同様に封を切る。おそるおそるといった風に明石からラムネの瓶を受け取った蛍丸は「飲み物だったんだね」と愛染に話しかけ、次に「一緒に飲まない?」と期待と不安が入り交じった視線を向ける。
「いいぜ!」
「……それじゃあ」
せーの。
重なる声に挟まれながら、明石はにやにやと吊り上がる口端を片手で隠し、黙って二人の行動を見守る。
同時に傾けられる瓶。コロン、と軽い音を鳴らして転がるビー玉。口内へ流れていく炭酸。――初めての感覚。
「んっ!?」
口にして間もなく。慌てて飲み口から唇を離した蛍丸は、未知の物体を見るかのような表情を瓶に向ける。正確には、その中身にだが。
「なにこれ!」
「あかんかった?」
「え?……ええと」
「炭酸、言うてな。不思議な喉ごしやろ。残り飲める?」
「……もう一回!」
自分の分のラムネを開けつつ明石が蛍丸を気遣う。反応からしててっきり合わなかったものだと思ったが、小柄な大太刀の少年は声を張って再び瓶を逆さにした。
「……。…………。いける」
吟味するみたいに動く舌。溜めに溜めた沈黙のあとに呟かれた一言は、無理に絞り出されたものではなかった。早くも順応したらしい体は、以降、喉を通る清涼感を拒否することなく、むしろ気に入ったのか、躊躇いなく嚥下を繰り返した。
「国俊……は、心配いらへんね」
「うまいなこれ!」
「案外自分ら平気なんやな。……よかったわ」
粟田口の短刀の数人は″これ″を受け付けなかったという話を耳にしたことがあるので、少々不安だったが――その心配もないようだ。
蛍丸・愛染と同じく、自分も最近慣れたばかりのそれを飲み、開いた障子戸の先をなんとなく眺める。
巨大な入道雲が青い空をゆっくりと流れている。風鈴の涼しげな音色と、鼻に付かない控えめな線香の匂いが己の存在を何処からか語りかけてくる。
刀剣男士達にとって初めての文月はもう、すぐそこまでやってきていた。
「夏んなったら、主さんが祭りに連れてってくれるかもしれへんなあ」
「ほんとか!!」
「多分やで」
「夏といえば、蛍もだよね」
「せやな。見られたらええなあ」
人の体で迎える初めての季節がまたやってくる。与えられた五感で、幼いこの二人は何を見て、何を感じて、どんな言葉を紡ぐだろうか。
気づけば目の前に迫った、少し先の未来に、ふっと意識を飛ばす。
「このままが続けば、見られるよ」
「もし何かあっても俺は夏祭りに行くまで折れてやらねーからな!」
「国行、頑張らないとね」
「ん?……ああ」
「俺達の中で一番練度低いんだからなー」
「しゃーないやろ。自分、まだここの本丸の新顔やで」
「だから頑張るんだよ」
「はいはい。せやな」
これから訪れる夏が、蛍丸と愛染の瞳を彼らの容姿の歳相応に煌々と煌めかせる。
硝煙の臭いに蹂躙された茹だるような炎天下のあの日は、二人が見据える先には当然、無かった。