酷なことでしょう、と和服姿の背中が呟いた。最低限の抑揚をつけただけの声は淡々と己の意思のみを吐き出し、積み上がった書類を処理していく手は止めることなく、さらさらと紙面へ筆を動かし続けた。こちらを向かない顔はどんな表情をしているのか分からなかったが、きっと、いつもと変わらず真面目な面持ちを湛えていたのだろう。瞳に幾ばくかの沈んだ感情を滲ませながら。



情報源である書物を閉じ、星の浮かぶ夜空を仰ぎ見る。
仕事をしつつ自分の疑問に答えてくれたのそんな一言を思いだし、小さな溜め息をつく。

文月に突入し、また新しい季節を迎えようとしている今日この頃。強い陽射しが肌を刺し、汗が滴り、纏う布は薄くなる、夏。刀剣男士たちにとって、人と同じ体を与えられてから初めて体験する暑中がいよいよ本格的に訪れたのだ。
触れるもの一つ一つが新鮮な彼らに、は子を思う親の如く様々な行事を経験させた。
如月には威勢良く豆をまき、弥生になれば皆で牡丹餅を食べ、卯月になると本丸の庭で開花した桜の下で花見をし、皐月にはミニサイズの五月人形と鯉のぼりを飾って柏餅を頬張り、水無月のじめじめとした雨季も梅雨の時期ならではの楽しみ方を提案し――と、人間が伝統的に行ってきた事を知識でしか知らない刀剣男士たちに積極的に触れさせた。彼らもが開催するそれらを娯楽とし、毎月の行事を心待ちにしていた。この流れを辿れば、当然、文月最初のイベントである七夕も実施するのだろうと、年中行事に関する本をたまたま手に取って目を通した明石国行は、にそのことを尋ねたのだが。


――……まあ、
――よう考えんでも、分かることやんなあ


答えは否だった。返ってきたのは冒頭の言葉と、一つの理由。

人間と同じように、刀剣もまた歴史に翻弄された存在である。当然、望まぬ道筋を歩み、存在しない瞳を背けたくなる結末を見た瞬間だってあっただろう。しかし、物言う口を持たず、自身の思うままに動かすことのできる方法もない鋼の身は、無惨で理不尽な展開に異を唱える言葉を叫ぶことも、激情のままに肢体を暴れさせることも叶わなかったのが事実だ。
此度、自由に操ることが可能な人体を手に入れても、後悔と哀しみを落としてきたあの時代に遡れるようになっても、元の歴史を覆すことは許されないどころか、時に自分と同じ未来を求める者達を斬り伏せなければならないのだ。

そんな彼らに、願い事を聞き出す、だなんて。


――酷なこと、か


今一度、の一言を反芻する。その後にぽつりと零された「貴方は、どうなのですか」という消え入りそうな質問も同時に脳内に思い浮かべる。対して、放った自分の本音も。


――「思うとこがない言うたら、嘘になります」
――「正直、自分だけやのうて、今でも燻るモン持っとる奴のほうが多い思いますで」
――「けど。またあの子らに逢わせてくれたんは主さんですさかい」
――「自分は今のあの子らを大切にさしてもらいますわ」



普段より緊張が走る空間で、心なしかいつもより肩身を狭ませた背にそう答えた。


「――――」


確かに伝えた思いの丈を、誰もいない夜に向けて再び唇にのせてみる。
この間にも時間を刻み続けていく今と、続いた先にある未来を見据える眼鏡越しの両目に、戦火に包まれたあの日は映っていなかった。