一際大きな白い雲が青空をのみ込まんばかりに身を広げている。天へ突き上がるかのように伸びたそれは、風に乗ってゆっくりとゆっくりと視界の端へ移動していく。くっきりと浮かぶ曲線は霞むことなく、炎天を背に悠々と太陽に照らされていた。
「……」
手にしていた鍬を立て、頬に張り付いた髪を耳にかける。大量の汗が肌と服を縫い付ける感覚に煩わしさを感じながら、清々しいほどに晴れた空を仰ぎ見る。
草木を揺らす微風が涼しさを纏った風鈴の音色を運んでくるが、暑さが誤魔化されることは一切ない。体を突き刺す鋭利な日射しは庭で作業をする刀剣男士達に容赦なく降り注ぎ、体力と気力を根こそぎ奪っていた。
「手を動かせ」
深い溜め息を零して彼方の入道雲をぼうと眺める歌仙兼定の背中に、無愛想な声がかかる。土を耕す音と共に聞こえてきたその言葉に、歌仙は背後を振り向かないまま眉間に皺を寄せると、顎を引いて上空から目を離す。髪をがしがしと掻き、どこか呆れ混じりの息を落とせば、またもや不機嫌そうな低い声が投げられた。
「暑いのはお前だけじゃない」
「ほんの僅かな休息すら、与えてくれないのかい?」
穏やかながら、沸々と湧いてくる苛立ちを含ませた声色。そんな感情が滲んだ返しに、変わらず淡々と命令を下すのは、本日歌仙と共に畑当番に任命された、へし切長谷部。
「昼餉で休むことができるだけで十分だろう。主からの命には誠心誠意尽くせ」
「君はその固い頭を夏の太陽に溶かしてもらったらどうだい。ただひたすらに励むだけでは集中力が削られていくだけだ。融通が利かないのも考えものだな」
「……貴様は先程から空ばかり眺めて度々手を止めているだろうが!」
激昂と共に、鍬の頭を畑の敷地外へ落とす。整えられていた土が抉れるのを見た歌仙は「短気は嫌だね」と地面に向かって憐れみの視線を向けながら語りかける。――彼をよく知る人物が耳にすれば、飛去来器の如く彼自身に刺さっているだろうと確信を抱く一言で。
「君はあの雲の下に何があるか知っているかい」
眉を寄せて睨む長谷部を一瞥し、歌仙は再び遠くの空を見やる。対していきなり何を言い出すのかと訝しげな表情になった長谷部は、眉間の皺を更に深いものにする。口は開くことなく、続く歌仙の台詞を待つ。
「雨と風だ。冷たい、雨と風」
「……」
「実際下にいたりしたら天候の荒れ具合を嘆くのやもしれないが、今まさに炎天下にいる僕にとっては羨ましい環境だ」
「……だから?」
振り返って両腕を広げ、どこか涼しげな顔をして目を細める歌仙。長谷部はその奥底にある意図が掴めず、飄々としている和服姿に段々と不快感を募らせていく。何が言いたいんだとモヤモヤした気持ちを抑えつつ、必要最低限の文字数で返答を求めれば――――次に歌仙が浮かべたのは、何の疑問も持っていないような、あどけない表情。
「いいなあ、と思わないか?」
「…………」
沈黙。
「はああ?」
「炎天下は眺める分には良いんだよ。何時にも増して眩しい太陽、緑が鮮やかに映え、晴天は見事なまでに綺麗な二色に別れる。……が、こうして陽の下に立つと暑さでそれらをじっくり味わう暇もない。つまり、僕は今とても涼みたい気分だ」
「…………」
さらりと京紫の髪を靡かせる動きをしてみせる歌仙だが、自慢のそれは汗を吸っているためだらしなく垂れ下がって終わる。格好のつかない仕草と、想像外の本音を前にした長谷部は、鍬の柄を強く握り締めて米神に指を添えた。
「暑さで脳が沸いたか?」
「君が一向に休憩を取らないからだろう。効率を考えるなら連続した作業なんかするものじゃあない!」
「自主休憩を挿んでいながら今更なんだ!昼餉まで休まずに働け!」
「よく声を荒げる元気なんかあるねえ。僕は元々畑弄りは趣味ではないんだ、午後からは君一人でも大丈夫なんじゃないかい?」
「巫山戯るな!」
今にも掌に収まっている鍬を薙ぐ勢いで、労働意欲に乏しい歌仙に長谷部が一喝を放つ。
蝉の合唱が二人の言い争う声を包み込む、正午前。