「やっぱり、違和感ある」
「?」


私がぽつりと漏らした独り言に対し、頭上に疑問符を浮かべて首を傾げる安定。私の次の言葉を待っているのか、口を開く様子もなく目を瞬かせていたが――それも僅かな間で、やがて小さく息を吐いて肩を上下させた。
私はそんな安定の一連の動作を観察しながら、これまで定期的に言ってきたことをやはりこの日も口にする。


「『ちゃん』ってやっぱり呼ばれ慣れないな」
「……相変わらず、言うね」


眉根を下げて困ったような表情をする安定の声色からは『しつこいなあ』と言わんばかりの呆れの情が窺える。無理もないことで、私自身も自分の諦めが悪いなとは思いつつも、ついつい声に出してしまうのだ。


安定の、私の呼び方について。


……別に名前を呼び捨てにされたり、ないがしろな扱いを受けているわけではない。馬鹿にしてるような雰囲気でも、遊んでるわけでも恐らく……ない。けれど、私としてはどうしても違和感が拭えない。

ちゃん』と名字に可愛らしい敬称をつけられることに。

安定の会話で度々名前が出てくる前の主のことも彼は親しみやすい呼び方で呼んでいた。なので、これは純粋に"大和守安定"という刀の性格なんだろうと割り切ればいいのだけど……。どうしようもないモヤモヤに一度取り付かれたら、それは簡単には消えてくれない。



「僕は僕で、その呼び方以外に違和感を覚えるんだけど」
「だよねー……」


出会ってから今日まで変わってないのだ。さほど付き合いが長くはないといっても"今更"なことに変わりはない。


「何か要望とかあるの」
「……聞き返す形になって悪いけど、今の呼び方を変えるならどうする?」


一体どうして欲しいの、という文字が浮かび上がってきそうな安定の顔を見て質問返しをする。それを聞いた安定は、口元に手をあてて考えるような仕草をしながら視線を彷徨わせ始める。

最近近侍として傍に居てもらうことが多いので珍しくもなくなったが、うちの部隊に彼が配属されたばかりの頃、とにかく私はその一挙一動に注目していた。
"刀"といえば武器。戦う為に使うものという認識が強く、実際、安定と出会うまでは戦闘意欲に溢れた刀たちばかりが近くにいたので、まるでどこかの良家の屋敷で使用人でもしていそうな物腰と手際の良さを持つ安定を初めて近侍にしたときは、周囲や自分のイメージとかなりのギャップがあることに驚いた。――のも束の間で、手合せや出陣先での言動は頭一つ抜けて過激なものだということを清光から聞かされ、またも驚愕する結果となったのが数日前。それ以外では比較的穏やかなため、本丸に待機している私が戦場での安定の様子を詳しく知る術もなく、今目の前で「うーん」と力のない声をあげて考えごとをしている姿からは、やはり話に聞いた荒々しい一面は想像できない。
以前本人にこの話をした時は『戦場に行くわけだから、気分を切り替えないとね』と涼しい顔で返され、台詞の剣呑さに反した態度に私はたじたじとするばかりだった。そんなことが度々あるので、この人畜無害そうな顔をしながら予想の斜め上をいく渾名が飛び出そうと、『安定らしい』として割り切ろうと腹をくくる。


「えっと、じゃあ」


清光が過激と評したもう一つの安定の顔について思案を巡らせ、ついでにどんな呼び方を提案されても驚かないよう身構えていると、結論を見つけたらしい安定がじっと私を見つめて、一言。


ちゃん」


至って真面目な表情で。いつもと変わらない抑揚で。ごく自然に零された"耳慣れない"呼び名。
――――私は咄嗟に反応することができず、


「……」
「……」
「…………」
「ええ……なんか言って」


固まる私に対し、眉を寄せて不本意な声をあげる安定。
――分かってる。何か言わなければいけないことは。分かってる。けれど、不意打ちで放たれた"それ"にどうリアクションをすればいいのかが分からず、ぽかんと口を開けることしかできない。


――思ったよりも、普通。


言うならば想定内の一つだ。安定が私に付ける敬称を名字から名前に変えただけ。


――だけ。
――だけ。……だけ。


「…………うん」
「なに?嫌だった?」
「ええと……」


"それだけ"なんだけども、真面目な顔で視線を真っ直ぐと私に据えながら言ってくるものだから、妙な雰囲気が漂ったことと、何より『相手』が刀だといっても異性ということ――つまり男の人に名前を呼ばれることに私自身の免疫がなく、だんだんと首から上が熱気を帯び始めたことで返事もまともに返せなくなる。


「『主』とかの方がよかった?」
「…………ま、前の」
「?」
「今までので……」
「『ちゃん?』」
「う、うん」


安定たち刀剣男士に囲まれて日々を過ごすうちに以前より耐性ができたものと思っていたけど、今だけは状況が状況なだけに恥ずかしさを感じずにはいらず、自分から答えを聞き出しておきながら、私は顔を下に向けて項垂れてしまう。
その露骨な反応の原因を安定が察せないわけがなく、再び口を開かなくなった私に対し、探りを入れる言葉を放つ。


「……そこまで初々しい反応されるとは思わなかったな」
「……」
「もしかして、僕が思ってる以上に"そういう耐性"ない?男に囲まれてこのまま審神者続けられるの?」
「いや、今のは……雰囲気とか、あと……言い方とか?」
「別に普通だったよ。僕は質問に答えを出しただけだし、ちゃんに言わされたようなものだけど」
「仰る通りです…………」


だよね。
質問に質問を返して回答を求めた私に安定は従っただけだ。その結果で私にこんな反応を返されれば戸惑いもするだろう。……もしかしたらちょっと引かれたかもしれない。こういう時に穴があったら入りたいとはよく言うけど、実際見当たらないのでいっそ首を落としてしまいたい。――このままではいけないとゆっくり顔を上げたはいいものの、羞恥心はなかなか消えず、思わず目の前にいる安定から視線を外す。
情けない主人に対しての慈悲なのかそれ以上安定が私に言及することはなく、代わりに、恥ずかしさで押し黙る私をからかうように口元を綻ばせて、言う。


「まあ、でも、気が変わったらいつでも呼んであげるよ。"ちゃん"」
「……いいです」