「――主さん!履物!!」
昼下がりの本丸。堀川国広の焦燥が滲んだ大声を耳にした同田貫正国は畑仕事の手を止め、どたどたと廊下を駆けていく上記の声の主である脇差を目で追う。
「ったく、またか。あの主は」
「まだ抜けないもんなんだなあ。あっちでの生活習慣」
呆れが全面に出た同田貫の独り言に反応し、一緒に内番に励んでいた御手杵も立てた鍬に体重を預けながらぽつりと呟く。
「近侍も大変だ」
「ああああそのまま畳部屋に入らないで!!」
もはや悲鳴に近い叫びを上げて、今まさに部屋へ一歩を踏み入れようとしている主――刀剣男士たちを束ねる存在である審神者・を必死で呼び止める堀川国広は、すんでのところでその腕を掴むことに成功した。
「国広くん」
動きを阻止されてバランスを崩しそうになったは、しかし、堀川に支えられ両の足を地から離すことなく体勢を持ち直した。
「あ、ご、ごめん!!私、また……!」
「主さん……」
「ごめん!ごめんなさい!!」
「気を付けてください、ほんと……」
「ごめん!い、今脱いでくる!」
若干息を荒げて疲労の色が見える声を零した堀川に対し、は慌てて謝罪を繰り返すと、縁側を下りて玄関へと駆け出していく。
「――廊下も掃除するから!」
一度振り返ってそう告げると、その背中は慌ただしく庭を抜けて消えていく。そんな彼女の姿が見えなくなるまでを見送った堀川は一つ小さな溜め息を吐くと、の近侍となって暫く経つという事実に思いを馳せる。
現在は審神者としての能力を見いだされ、日本国の政府の下で刀剣男士たちを束ね歴史修正主義者達との戦いに身を投じているは、審神者の職に就く以前は自由を象徴とする異国に在住していた。
帰国するとほぼ同時に審神者となり、まだ日も浅く手探り状態なのが否めない中、持ち前の機転の良さで順調に戦果を上げながら活動を続けていた。――が、その一方、日常生活では異国の生活に慣れ親しんだが故に、自身と刀剣男士たちが持つ常識の間にたびたび齟齬が生じ、お互いに忙しない毎日を送っていた。
今も、外に出た際に靴を履き、脱ぐのを忘れたまま屋敷にあがってしまって堀川に呼び止められたところだ。今日だけでなく既に片の手では収まらないほど同じ注意を受けているのだが、生活の中で植え付けられたものはなかなか簡単には消えない。
――朝餉の献立も皆と一緒になったの、昨日からだし……
国が違えば食生活も異なるのは無論のことで、毎日のの食事メニューは厨房当番に当てられることが多い堀川や燭台切、歌仙といった面々を非常に困らせた。
まず「朝からスープはちょっと……」と言い味噌汁を飲まないうえ、主食とするのは白米ではなく"パン"、それに加えてヨーグルトやシリアルを食べるのが主だった。
が最初に目覚めさせた刀剣であり初代厨房当番の歌仙兼定は他の刀剣が揃うまでずっと彼女の近侍を務めていたのもあり、堀川が本丸にやってきた時にはすでにそれに慣れていた。――トースターに食パンを突っ込み、焼き上がるまでの間にヨーグルトを用意して中に入れる果物(苺やパイナップル、バナナ)をカットし、シリアルを皿に入れ、ミルクまたはジュース(日によって変わる)をコップに注ぎ、冷蔵庫から取り出した茹で卵をそのまま皿に乗せ、トーストが焼き上がったらピーナッツバターをたっぷりと塗りのもとへ持っていく、という動作を毎朝手際良く行っていたものだ。
最近になってやっと「お米が恋しい」と零しだしたは、今は刀剣男士たちと同じ一般的な日本の朝食を食べている。
本当に頭を悩ませたのは夕餉の時で――和食は腹に溜まらないと嘆き、夜も深くなるという時間に食後のデザートと称してケーキや菓子を必ずと言っていいほど食べることが日課だった。とにかく体に良くないと短刀以外の総出で止める日々が繰り返されたのは記憶に新しく、メニューの試行錯誤に時間をかけたのは言うまでもない。
「主君!」
――そんな慌ただしい日常を回想しながら今日の夕餉は何が出るんだろうと考えが移ったところで、堀川の耳に入ってきたのは――幼い声。
「主君、今日の"すいーつ"はなんですか?」
「ボク、またアレ食べたいなあ。"がみ"ってやつ!」
「ぼ、僕は"ちょこれえと"が食べたい、です……!」
目を向けるとそこには、雑巾を持って戻ってきたの周りを取り囲んでる短刀たちが数人。――容姿に似合った無邪気な表情でに話しかける、秋田・乱・五虎退の三人は、「今日は、そうだなあ」と微笑むをじっと見上げている。
「じゃあ、みんなのリクエスト……要望にお答えしようかな。秋田くんは何食べたい?」
「"くっきい"がいいです!」
「よし。じゃあ、未の刻になったらみんなを呼んで広間においで」
の言葉に大きく首を縦に振った三人は、満足げな表情を浮かべて足取り軽やかにそれぞれの持ち場に戻っていく。
――今日は控え目なのが出るといいな
そんな四人の会話を聞いた堀川の脳内に浮かぶのは、が毎回用意する菓子について――。何せ、が"あちら"から持ち帰ってきた菓子の中には"食べ物"と認識するのが難しい物がちらほらと混ざっているのだ。その主な問題は色である。あまりに鮮やかで鮮明な一部の"それ"は堀川たちにとっては衝撃が強く、初見の際思わず「……それは玩具ですか?」と口にしてしまった程だ。ついている色が一色、二色ならまだいい方で、七色の菓子を目にするのも珍しくない。それに対する刀剣男士たちの反応は両極端で、露骨に眉を寄せる者がいれば、目を輝かせて手に取る者も少なくなく、度々意見が割れていた。
が事態を考慮してか、最近は比較的落ち着いたものが出るようになったので一旦は落ち着いたのだが。
「――さて」
手を振りながら秋田たち三人を見送ったが、短い一言を呟いて雑巾がけに取りかかる体勢に入る。それを目にした堀川は「僕がやりますよ」と声をかけての側に歩み寄る。
「ううん、国広くんはゆっくりしてて。私のせいでバタバタさせちゃったんだし」
「いえ。雑事こそ僕に任せて、主さんは週末に提出する用の戦績報告書を完成させちゃってください」
「終わったよ」
「、え?」
「今週中に済ませなきゃいけないことは全部。だから明日、明後日の予定は本丸内の稼働を維持する日課の任務をこなすだけ。――よって貴方たちの出陣と遠征も無し」
「――」
口を開けて呆けた表情をする堀川にそう言うやいなや、置いた雑巾に両手を乗せ、勢いよく床を蹴り出す。足音を響かせて直線の廊下を駆けると、曲がり角で減速してまた同じ速さで走っていく。
「本当に、何というか……」
視界から消えたの言葉を反芻した後、堀川が独り言を漏らす。
――手がかかるのか、かからないのか、分からない人だなあ
――仕事は僕の手助けなんて必要ないくらい手際良くできちゃうし
――でも、生活面ではすごく僕たちが振り回されてるし
――普通は逆だと思うんだけど
以外にも審神者は存在し、その数だけ刀剣男士がいて本丸があるはずだが――食や日常文化、生活習慣面で苦労し、本来苦悩や苦戦が多々あるはずの遡行軍との戦いでは挙げるほど苦闘した記憶がないのはうちの部隊くらいなのでは、と堀川は考える。
戰場に赴いている刀剣男士が傷を負って帰還してくることは勿論あったが、刀剣破壊や部隊壊滅など手酷くやられたことは今までに一度としてなかった。
それも偏にが刀剣男士たちの練度向上に力を入れ、各時代と遡行軍の情報を政府や同業者から掻き集め、自身もまたそれらの研究に没頭し、念入りに作戦を立てた後にやっと刀剣男士を過去に送り出す、という綿密を極めた先にある指揮を行っていたからだ。無理な行軍も指示せず、士気に何よりも気を遣っていた。お陰で特に難戦を強いられた経験もなく、順調に戦果を獲得し続け、今に至る。まだ新人という枠にいる身としては申し分ない働き。普段の生活では度々周りを驚かせているうえ気ままな性格なので刀剣男士たちもに翻弄されているが――彼女の審神者としての実力は采配を振る者として確かなものがあり、堀川を含む彼らがそれを認め信頼しているのは事実だった。
故に近侍が、手助けを必要としていないの審神者としての仕事を手伝えることもほとんどなく、堀川もあるときから一つの台詞が口癖になった。
『何かやっておくことはありませんか?掃除とか、洗濯とか』
元々家事が得意なのもあり、身近な作業でを支えることが今となっては己の仕事である。ひたすら一人で集中して仕事に打ち込むと周辺の世話をそつなくこなす堀川は効率面での相性が良く、元々は週番制だった近侍もずっと堀川が務めている。
――いつだったか、その様子を見た長曽袮虎徹に「夫婦かお前ら」と突っ込まれたことがあったが、
――僕は間違いなく主夫だろうなあ
――あ、
――"こっち"も"普通とは逆"だ
――主さんが仕事に励んで、僕が家事をして……
――いや、でも戦場に向かうのは僕で、主さんが見送ってうちで待っててくれるから……
――主さんが女房?
うーん、といつぞやの長曽袮の言葉に首を捻る堀川だが、そんな思考を巡らせて数秒後――ハッと我に帰る。
――……僕は勝手に何を考えてるんだ
――夫婦っていったら、その、契りを交わした男女のことで
――僕と主さんはそういうのじゃなくて……ないはずで……
遅ればせながら"夫婦"が持つ意味を思い出し、改めて理解すると同時に顔面がじわじわと熱を帯び始める。そして、問いかけられた事柄をごく自然に受け入れていたことに気づき、その温度がますます上昇していく。
「完了ーっ」
一人でもんもんと脳を働かせていると、廊下の向こうから戻ってきたが堀川の前で動きを停止し、雑巾を片手に立ち上がる。ぼうっと廊下に立つ堀川をじっと見つめ、
「国広くん?」
「え、あっ……は、はい!」
「休んでていいよ」
「あ、……はい。そうですね。でも、なんか落ち着かなくて」
虚を衝かれた堀川は朱に染まる顔をできるだけに晒さぬようにと正面から向き合わず、目線を彷徨わせながら返事を返す。
その挙動の原因を知る由もないは頭上に疑問符を浮かべるが、「な、何かやっておくことはありますかなんでもお手伝いしますよ」と早口で放たれた堀川の言葉に気が紛れ、うーん、と言葉を探し始める。
「えっ……と、じゃあ」
「はい」
「国広くん、今日の夜は何食べたい?」
「え?」
「ほら、今日。金曜日でしょ。宴では何を食べたい?」
「……」流れからして、雑務か何かを任せられるかと思っていただけに、想像していなかったの質問に面食らう堀川。
一週間の仕事終わりである金曜の夜は親しい人達と共に街へ繰り出すという、が居た異国の習慣を引き継ぎ――刀剣男士全員と城の外へ出掛けることはできなくても、本丸で宴と称した労いの会を毎週開くのだが、その際の夕餉の準備は当日の厨房当番の役目だった。
――僕が食べたいもの?
「今日は私がしてみようかなって。夕餉の支度」
「……主さんがつくるんですか?」
「うん」
「…………」
「な、なに?」
「あの、主さんって料理」
「できるよ!できる!」
「例えば?」
「サンドウィッチ作れるし、ターキー焼けるし、スープ、も、多分」
自信満々に断言し、堀川に具体的な部分を掘り下げられると指を折って自分のレパートリーを挙げだす。耳慣れない単語と、おまけに「多分」などという不安しか残らない一言を聞いた堀川は、これは一人で任せられないと心中で確信を抱く。今までにから手料理を振る舞ってもらったことがなく――全てが未知数なのもそれに拍車をかける要因になった。
「和食もできるよ!」
「え、ええっと、主さん。その、普段はしない……ですよね?料理。今日の厨房当番の刀が体調を崩したとか、なにかが?」
「ううん。……普段から国広くんには特にお世話になってるから」
そう言って少し照れぎみに口を動かすは「だから何かお返ししたいなあって」と、眉を下げて頬を緩めた。
一通りの仕事が終わるまで食事や睡眠といった最低限の休息の際以外は常に真面目に職務に取りかかっているに代わり、生活するために必要な本丸内の業務は刀剣男士たちが日替わりで行っている。がお礼として料理を思いついたのは、普段自分がしてもらってることで且つ刀剣男士の仕事を奪わないものとして最適だと考えたからだ。畑仕事や馬当番はが一人で励んだところでできることは知れており効率が落ちることは明らかである。の身の周りの家事や雑務は堀川の仕事であり、それを彼から取ってしまえばもはや近侍は一日手持ちぶさたな状態になってしまう。その点料理はが交代して作っても何も影響を及ぼすことはなく、だったら今日は、と厨房当番に立候補したわけだが――――
「……やめておいたほうがいいかな?」
何か言いたげな顔をしている堀川を見てが控えめにそう言えば、堀川は言葉を詰まらせて視線を泳がせる。
「えっと、いや……あ――――あの、じゃあ!」
僅かに気落ちした雰囲気を漂わせるを前に、何かそれを払拭する台詞を吐こうと瞬時に思考を巡らせ、結果浮かんだ一つの案を持ちかける。
「一緒につくりませんか?」
「え?」
「夕餉の準備、僕と一緒にしましょう」
「……でも、それじゃあ、また国広くんに仕事させることに……」
申し訳なさそうに曇るの顔。しかしそれを予測していたと言わんばかりに堀川は目の前の主を見据えて穏やかに口角を上げる。
「僕も、それからみんなも、主さんの作る料理なら是非食べさせてもらいたいです。……ただ、僕たちと主さんの間には慣れ親しんだ味に違いがあると思うので、それを埋める手助けをさせてもらえれば」
「……いいの?」
「もちろんです」
「お手伝いなら任せて!」
幾度となく口にしてきた一言。今回は更にポン、と軽く自分の胸を叩いて言えば、不安げだったの表情はだんだんと柔らかくなっていく。「じゃあ、お願いします」と破顔する彼女を見て心の中でほっと息を吐いた堀川は、どこまでも目が離せないを再び静かに見つめる。
審神者としての実力を他に知らしめる程の能力がある一方、所々不器用で。政府から見定められた選ばれし存在である傍ら、普通の年頃な人の子で。刀剣男士たちを立派に纏めあげている統率者の顔とは別に、反対に刀剣男士たちに手を焼かせる面もあったり。
近侍として彼女の傍にいるのは本当に退屈しないなあ、と何度思ったことかと堀川は考える。
今日の夕餉の準備の際は二人でどんな応酬をするのかを想像しながら、が自分のために手料理を振る舞いたいと申し出てくれた嬉しさを心の隅で噛み締める。
「国広くんの好きなもの、何でも言って。頑張るから!」
「うーん、そうですねえ」
「……ん、待って。材料どれだけあるかの確認……。なければ今から買いに行かなきゃ」
「あっ、じゃあそれもお供しますよ!」